○東京国立博物館 久隅守景筆『納涼図屏風』
http://www.tnm.jp/
本館2階の第7室「屏風と襖絵」に、久隅守景(くすみもりかげ)の『納涼図屏風』が出ているというので見に行った。よく知っている作品だが、実物を見るのは初めてである。立っているだけのような粗末な家、屋根から張り出した夕顔の棚、蓆を敷いて夕涼みする男女と幼い男の子。はじめ、おや、想像していたよりも寂しい絵だなあ、と思った。写真図版では、人物の描かれた部分をアップにしたがる傾向があるが、実際は、広い画面の4分の1ほどしかない。あとの4分の3は不思議な空白である。
私はこの家族をアップで見て、江戸か京都の市中に住む町人一家をイメージしていた。そうだとすれば、彼らの隣には、同じような家族が軒を並べて住んでいるはずである。夫婦の会話や子どもの泣き声も聞こえてくるだろうし、さまざまな生活の音や匂いが素通しで行き交っているはずだ。ところが、この3人は、まるで世の終わりに取り残されたように、静謐な空白の中に浮かんでいる。だいたい、夫婦+子ども1人の「核家族」なんて、この絵の描かれた当時は、きわめて「異端」だったんじゃないかしら。
じっと何かを注視するような彼らの耳には、何が聴こえているのだろう。画面の左上には、この絵の本当の主役ではないかと思われるくらい、大きな月。庶民の日常生活を描いたものと思っていたけど、そうも言い切れない、気になる作品である。
一緒に見られるのは、酒井抱一筆『夏秋草図屏風』。もと、光琳の『風神雷神図屏風』の裏面にあったものである。私は、「夏草」側の上方に描かれた流水(雨雲?)が美しいと思う。でも、繊細すぎて不安を誘う美しさだなあ。
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本館2階の第7室「屏風と襖絵」に、久隅守景(くすみもりかげ)の『納涼図屏風』が出ているというので見に行った。よく知っている作品だが、実物を見るのは初めてである。立っているだけのような粗末な家、屋根から張り出した夕顔の棚、蓆を敷いて夕涼みする男女と幼い男の子。はじめ、おや、想像していたよりも寂しい絵だなあ、と思った。写真図版では、人物の描かれた部分をアップにしたがる傾向があるが、実際は、広い画面の4分の1ほどしかない。あとの4分の3は不思議な空白である。
私はこの家族をアップで見て、江戸か京都の市中に住む町人一家をイメージしていた。そうだとすれば、彼らの隣には、同じような家族が軒を並べて住んでいるはずである。夫婦の会話や子どもの泣き声も聞こえてくるだろうし、さまざまな生活の音や匂いが素通しで行き交っているはずだ。ところが、この3人は、まるで世の終わりに取り残されたように、静謐な空白の中に浮かんでいる。だいたい、夫婦+子ども1人の「核家族」なんて、この絵の描かれた当時は、きわめて「異端」だったんじゃないかしら。
じっと何かを注視するような彼らの耳には、何が聴こえているのだろう。画面の左上には、この絵の本当の主役ではないかと思われるくらい、大きな月。庶民の日常生活を描いたものと思っていたけど、そうも言い切れない、気になる作品である。
一緒に見られるのは、酒井抱一筆『夏秋草図屏風』。もと、光琳の『風神雷神図屏風』の裏面にあったものである。私は、「夏草」側の上方に描かれた流水(雨雲?)が美しいと思う。でも、繊細すぎて不安を誘う美しさだなあ。