見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

静岡市半日観光・登呂遺跡

2022-06-25 23:02:42 | 行ったもの(美術館・見仏)

 いま、アイスショーFaOI(ファンタジー・オン・アイス)2022ツアーが進行中である。私は、幕張、名古屋、神戸のチケット争奪戦(抽選)に連戦連敗だったが、なんと最後の静岡公演で、金曜(初日)と日曜(千穐楽)のチケットを確保することができた。もちろんこの幸運を手放す選択はないので、金曜は仕事を休むことにしたが、すでに「出席」で回答してしまったウェブ会議がひとつ、午後イチにある。どうする?と考えた結果、昨日は昼前にPCを持って東京を出発し、静岡で途中下車、駅前の貸し会議ブース(2時間1000円弱)を利用して会議に参加したあと、公演会場に向かった。

 初日の夜公演を堪能し、静岡泊。このまま日曜まで滞在することも考えたが、週末は老人ホームに入居している母の様子を見に行くタスクがあるので、今日はいったん東京に戻ってきた。

 以下は、今日の静岡半日滞在で観光してきたところについて書く。これまで東京~関西は何度も往復しているが、実は静岡駅で下車したのは初めてではないかと思う(バス旅行で久能山は行ったことがある)。朝はホテルから徒歩で駿府城公園へ。東御門~本丸堀~二の丸御門跡のあたりをうろうろする。私は戦国武将とか近世城郭にはあまり興味がない。

 むしろこういうのが気になる。「葵文庫」は、蕃書調所、開成所、昌平坂学問所など江戸幕府の公的機関の旧蔵書で、江戸幕府の崩壊とそれに続く徳川家の駿府移住によってこの地にもたらされたもので、現在は静岡県立中央図書館が所蔵している。写真は葵文庫の石碑で、後方には大規模な静岡市歴史博物館(2023年1月開館予定)を建設中だった。

 次に静岡駅南口から路線バスに乗って登呂遺跡へ(同じアイスショー帰り?行き?らしいお客さんを何組か見た)。たぶん日本で最も著名な、弥生時代の集落・水田遺跡である。先史時代の遺跡というのも、元来あまり興味がなかったのだが、最近、「まだまだ分かっていないことが多い」ことが分かって、興味が出てきた。遺跡(居住域)には、いくつかの竪穴式住居や高床式倉庫が復元されている。

 手前の丸い窪みは、住居が復元されていない住居跡。

 居住域の南側には復元水田が広がる。「〇〇幼稚園」という札が立っている区画もあり、各種の体験イベントが行われているようだった。遠くに見えるのが登呂遺跡博物館(隣の芹沢銈介美術館は、残念ながら休館だった)。

 居住域の隅にひときわ大きい高床式の建物があった。正面中央に扉があり(金属の錠前付き)、高床の柱に鼠返しがついていないのが不思議だった。てっきり倉庫だと思っていたが、博物館の展示を見ていたら「祭殿」だと説明されていた。

 どうして「祭殿」と分かるのかが気になって、博物館1階の「弥生体験展示室」にいたお姉さんに聞いてみたら「ほかの倉庫に比べて規模が大きいから」と「両端に棟持ち柱(斜めの太い柱)が用いられているから」という回答だった。でも棟持ち柱って、用途に限らず大きな建物には構造的に必要になるものじゃないのかな?と思って、いまいち納得できなかった。

 別のおじさんに同じ質問をしてみたら、この建物跡からは、焼けた獣骨(卜骨か)や琴が見つかっているのだという。琴(こと)と言っていたけれど、中国の琴(きん)に似ている感じがした。だからか。「弥生体験展示室」内に復元されている祭殿の中央には琴が置かれていて、孔明の空城の計を思い出してしまった。

 棟持ち柱というのは、伊勢神宮に代表される神明造の特徴のひとつであるらしい。ただ、現在の多くの神社建築では、地面に垂直に立てるもので、登呂遺跡の復元祭殿のように斜めには立てない。どうもあやしい。おじさんも「今の復元は神明造に影響され過ぎている」という趣旨のことをおっしゃっていた。もうひとつ気になったのは鳥形(とされている)木製品で、鳥が穀霊を運び、豊作をもたらすという信仰にもとづき、高い柱のてっぺんに鳥形木製品を付けて祭祀を行うイメージ映像を展示室で見た。出土品は、菱形を引き延ばしたような抽象的なかたちで、あまり鳥らしく見えなかったが、他の弥生時代や古墳時代の遺跡では、もっと鳥らしい木製品が出土しているらしい。

 登呂遺跡は、戦時中の1943(昭和18)年に発見され、1947(昭和22)年に日本で初めての総合的な発掘調査が行われた。敗戦に沈んでいた当時の日本人が、先史時代の日本に高度な文明があったことを示す発見に感じた高揚感は、今なら想像できる。大げさに言えば、戦後の登呂遺跡は、戦前の伊勢神宮みたいな、日本人の心のよりどころだったのではないか。私が習った1970年代の小中学校の教科書も、弥生時代と水田耕作といえば登呂遺跡一色だった。

 だが、登呂遺跡の発掘は平成以降にも行われており、漆が塗られた琴や祭殿跡の出土も平成のできごとである。逆に最近は、周辺の開発が進んだことで、多数の遺跡が発見されているそうだ。登呂遺跡博物館にも、登呂遺跡以外の出土品も多数展示されていた。

 ミュージアムショップで売っていた「古代米アイス」200円。店番のおじいちゃんがディッシャーでコーンに盛り付けてくれた。ただし登呂遺跡の田んぼでとれた古代米ではないとのこと。

 昼ごはんは駅ビルで買ったおにぎりを新幹線車内で。左側は「たぬきむすび」と言って、しぞ~かおでん(静岡おでん)の天神屋さんのまかないを商品にしたもの。うまかった。

さて、明日も静岡県・愛野のエコパアリーナへ往復、行ってきます!


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