○千葉市美術館 『伊藤若冲 アナザーワールド』(2010年5月22日~6月27日):前期
大入り札止めの辻惟雄先生の講演会が終わったあとは、混雑が収まるまで、レストラン(11階)で小休止。窓際席では広い角度の眺望が楽しめて、晴れやかな気持ちになった。人の波が一段落した頃を見計らって、展示室に向かう。金曜・土曜は20:00まで開館している。金曜に延長開館している美術館は多いけれど、土曜もゆっくり観覧できるのはすごくありがたい。
本展は、水墨画を主体に、前後期あわせて165点の若冲作品を紹介。正直なところ、昨年のMIHOミュージアム『若冲ワンダーランド』の二番煎じ?と思っていた。しかし、会場に入ると初めに「若冲前史」の章立てがあって、若冲に影響を与えたと思われる画家たちの作品が並んでいる。これは『若冲ワンダーランド』にはなかった新しい試み。特に、神戸市立美術館で見て以来、「若冲に似ている~!!」と気になっていた鶴亭という画家(黄檗僧)の作品が、まとめて見られて嬉しかった。鶴亭の全ての作品が”若冲テイスト”ではないということも分かった。
若冲作品は、彩色画から。京都・両足院所蔵の『雪梅雄鶏図』は薄墨色の背景に、こってり輝く白雪を載せた梅の木、そして宝石のような紅色サザンカ。ニワトリの脚の立体感と、料紙の地を塗り残した(たぶん)地面の対比が醸し出す奇妙な非現実感は、いま、図録を見ても全然迫ってこない。両足院は、長谷川等伯の『竹林七賢図屏風』についても、本物を見たとき、写真とは全く異なる印象にびっくりした経験がある。つくづく日本画は複製に騙されてはいけない、と思った。
この絵の印章は、ちょっと珍しいかたちで「丹青不知老将至」とある。出典は杜甫の「丹青引(絵画のうた)」という長詩だそうだ。『若冲ワンダーランド』図録の印章解説(これは便利)で確認すると、使われているのは彩色画だけだ。「丹青」が水墨画には合わないからかな。本展の図録も、印章・署名の解説が丁寧でありがたい。
水墨画は楽しい作品が続くので、思わず口元がゆるむ。時には、声に出して笑いそうになる。私のお気に入りはいろいろあるが、花火みたいな『墨竹図』。まるまるわんこの『狗子図』(顔が見えないっ)。『親犬仔犬図』も。あー若冲はイヌはよく描くけどネコはあまり描きませんね。唐子も布袋さんも寒山拾得も好きだ。会場の作品キャプションは、題名などのほか、美術館がつけた短い見出し+解説で構成でされていたが、この見出しが取ってつけたようで、真面目に読むとかなり笑えた。「ちまきは柔らかい」「海老は筋目描き向き」って…図録に採録されているかな?と期待して買ったんだけど、載っていなかった。後期はもっとメモ取ってこよう。
気になる作品として、若冲の『海老図』に上田秋成が賛をつけたもの(無腸の号に合わせて蟹の花押)があったが、二人は実際に顔を会わせていたのだろうか。秋成も近代になって真価が発見されたところのある小説家なので、両者には少し共通点を感じる。それから、京都国立博物館所蔵の名品『果蔬涅槃図』や『石灯籠図屏風』が久しぶりに見られてよかった。西福寺の『蓮池図』では厳粛な気持ちになった。会場には、10代、20代の若者が多くて、文字どおり目を輝かせて作品に見入っている。ほんとに若冲は幸せな画家だなあ、と思う。
若冲展をひとまわりすると、最後に『江戸みやげ』と題した所蔵浮世絵名品選の展示室に到達する。そうか、春信とか歌麿って若冲と同時代人なんだ、とあらためて気付く。当時の広汎な人々に受け入れられたのは、こっち(浮世絵)だったんだよなあ、と思って見比べると感慨深い。
※補記:若冲の来訪記事をめぐって(2010/7/14記事)
大入り札止めの辻惟雄先生の講演会が終わったあとは、混雑が収まるまで、レストラン(11階)で小休止。窓際席では広い角度の眺望が楽しめて、晴れやかな気持ちになった。人の波が一段落した頃を見計らって、展示室に向かう。金曜・土曜は20:00まで開館している。金曜に延長開館している美術館は多いけれど、土曜もゆっくり観覧できるのはすごくありがたい。
本展は、水墨画を主体に、前後期あわせて165点の若冲作品を紹介。正直なところ、昨年のMIHOミュージアム『若冲ワンダーランド』の二番煎じ?と思っていた。しかし、会場に入ると初めに「若冲前史」の章立てがあって、若冲に影響を与えたと思われる画家たちの作品が並んでいる。これは『若冲ワンダーランド』にはなかった新しい試み。特に、神戸市立美術館で見て以来、「若冲に似ている~!!」と気になっていた鶴亭という画家(黄檗僧)の作品が、まとめて見られて嬉しかった。鶴亭の全ての作品が”若冲テイスト”ではないということも分かった。
若冲作品は、彩色画から。京都・両足院所蔵の『雪梅雄鶏図』は薄墨色の背景に、こってり輝く白雪を載せた梅の木、そして宝石のような紅色サザンカ。ニワトリの脚の立体感と、料紙の地を塗り残した(たぶん)地面の対比が醸し出す奇妙な非現実感は、いま、図録を見ても全然迫ってこない。両足院は、長谷川等伯の『竹林七賢図屏風』についても、本物を見たとき、写真とは全く異なる印象にびっくりした経験がある。つくづく日本画は複製に騙されてはいけない、と思った。
この絵の印章は、ちょっと珍しいかたちで「丹青不知老将至」とある。出典は杜甫の「丹青引(絵画のうた)」という長詩だそうだ。『若冲ワンダーランド』図録の印章解説(これは便利)で確認すると、使われているのは彩色画だけだ。「丹青」が水墨画には合わないからかな。本展の図録も、印章・署名の解説が丁寧でありがたい。
水墨画は楽しい作品が続くので、思わず口元がゆるむ。時には、声に出して笑いそうになる。私のお気に入りはいろいろあるが、花火みたいな『墨竹図』。まるまるわんこの『狗子図』(顔が見えないっ)。『親犬仔犬図』も。あー若冲はイヌはよく描くけどネコはあまり描きませんね。唐子も布袋さんも寒山拾得も好きだ。会場の作品キャプションは、題名などのほか、美術館がつけた短い見出し+解説で構成でされていたが、この見出しが取ってつけたようで、真面目に読むとかなり笑えた。「ちまきは柔らかい」「海老は筋目描き向き」って…図録に採録されているかな?と期待して買ったんだけど、載っていなかった。後期はもっとメモ取ってこよう。
気になる作品として、若冲の『海老図』に上田秋成が賛をつけたもの(無腸の号に合わせて蟹の花押)があったが、二人は実際に顔を会わせていたのだろうか。秋成も近代になって真価が発見されたところのある小説家なので、両者には少し共通点を感じる。それから、京都国立博物館所蔵の名品『果蔬涅槃図』や『石灯籠図屏風』が久しぶりに見られてよかった。西福寺の『蓮池図』では厳粛な気持ちになった。会場には、10代、20代の若者が多くて、文字どおり目を輝かせて作品に見入っている。ほんとに若冲は幸せな画家だなあ、と思う。
若冲展をひとまわりすると、最後に『江戸みやげ』と題した所蔵浮世絵名品選の展示室に到達する。そうか、春信とか歌麿って若冲と同時代人なんだ、とあらためて気付く。当時の広汎な人々に受け入れられたのは、こっち(浮世絵)だったんだよなあ、と思って見比べると感慨深い。
※補記:若冲の来訪記事をめぐって(2010/7/14記事)
「日曜美術館」は見逃しましたが、何かで「上田秋成」展の情報を探していて墓のことを知り、びっくりしました。
週末は久しぶりに上洛の予定で、京博の秋成展も見てきたいと思っています。暑そうですよねえ…。
「日曜美術館」のアートシーン『上田秋成展』で交流のあった画家たちの紹介で若冲が秋成の墓石を彫ったとありました。
『江戸の博物学集成』(平凡社)に上田秋成の
『あしかひのことは』--木村けんか堂の貝
コレクションーー若冲の「貝甲図」の関係を
眺めて楽しんでいます。
MIHOミュージアム「若冲ワンダーランド」図録を読みかえしてみたら、巻頭の辻惟雄先生の論文に「若冲はこの年(※天明8=1788年)の10月に大坂の木村蒹葭堂を訪ねている」とありますね。そのあとの「関連年表」では10月21日と日付も明示されています。
私は蒹葭堂日記の原文は見ていないのですが、中村真一郎氏の『木村蒹葭堂のサロン』(2000.7)は読みました(興味がありましたら拙ブログ内検索で検索してみてください)。同書は「若冲と蒹葭堂の交友は確認されない」と結論づけていたと思うので、ちょっと意外でした。辻先生は、何か中村真一郎氏の見逃した記事をご覧になっているのかな…。
若冲の「売茶翁像」に蒹葭堂が賛を記した(売茶翁=高遊外の自賛を”録”した)ものもあるので、もちろんお互いの存在は知っていたと思われます。
秋成と蒹葭堂の交友は確認されており、快活で鷹揚な蒹葭堂から見て、偏屈者の秋成は、少しうっとおしい相手だったようですね。
このへんの人物関係は、画人、僧侶、博物学者、文学者など異業種の人々がボーダーレスに入り乱れていて、とても面白いです。
さて、若冲の『海老図』に上田秋成が賛をつけたもの、二人は実際に顔を会わせていたのだろうか?なのですが若冲は1788年に2度大阪の木村けんか堂を訪ねているのでそこで上田秋成と出会っている可能性もあるのでは?
昨秋のミホミュージアムの「若冲ワンダーランド」の説明文で木村けんか堂の名前を見つけましたのでチョットしたらと思いまして。
若冲ワンダーランドの『目録』もけんか堂の『日記』も読んでおりませんので
あくまでもミハーおばさんの推理ですが。