○神奈川県立歴史博物館 御移転100年記念 能登から鶴見の地へ 特別展『曹洞宗大本山總持寺 名宝100選』(2011年4月16日~5月22日
鶴見の總持寺(総持寺)へは、10年以上前に一度だけ行ったことがある。知人の家族の葬儀に参列するためだった。予想を超えて巨大な山門と伽藍群に度肝を抜かれたことを記憶している。それきり、観光や参拝で訪ねたこともなく、私は全く知らなかったが、曹洞宗大本山總持寺は、もと能登(石川県)にあり、明治の火災を契機に横浜鶴見の地へ移転してきたという。以来、節目の100年目を記念して、本展では、能登伝来の品々をはじめとする總持寺の文化財が一堂に公開されている。
まずは文書から。能登總持寺の開山は瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)で、第2世・峨山韶碩(がざん じょうせき)は、塔頭五院による住持の輪番制を定めた。室町時代から明治(明治3年に輪番制廃止)まで書き継がれた『住持記』がきちんと残っているのはすごい。また、峨山の弟子を順に記した『法嗣目録』を見ると、23~25番目あたりに「比丘尼」が登場する(25番目は「峨山妹也」と注あり)。Wikiの瑩山の項に「積極的に門下の女性を住職に登用し、女人成道の思想を推し進めた」とあるが、峨山も同様だったようだ。
絵画では、巨大な『提婆達多像』に驚く。雲の中に上半身をあらわした、中国の皇帝風の提婆達多像。胸から上だけなのに、高さ150cmもある。「朝鮮・高麗時代」ってほんとなのかなあ。文化庁の「国指定文化財等データベース」では「国:朝鮮/時代:高麗」だが「解説文:元時代の作品」ともある。『蘆葉達磨・墨梅図』は、中央に「蘆葉達磨図」、左右に「墨梅図」(枝に積雪ありとナシ)を組み合わせた三幅対。悪くないけど「元時代」は疑わしい。達磨図の落款「天暦庚午(元の年号なら1330年)月澗作」は下手すぎる。
ポスターになっている釈迦如来坐像(細かい襞のある通肩の衣をまとう)は、一時期、鶴見總持寺の本尊とされていた。檀家の外交官・栗野慎一郎(逸話の多い有名人なんだな)が寄進したもので、もとは外務省にあったという。何の印相なんだか、中途半端に人間くさくて新しい。「中国・清時代か」に納得。
比べては申し訳ないが、特別出品の観音菩薩坐像(能登・總持寺祖院から)は優品。優美な瓔珞にもかかわらず、きゅっと引きしまった力強さ、厳しさを感じさせる。「院派仏師の作風を示す」のだそうだ。大船観音寺の観音菩薩像(平安時代)は腕が長く、腰が細い、たおやかなプロポーション。眠たそうで平和的な表情がいい。大船観音が總持寺の直末寺であることも、正月三が日だけご開帳になる、こんな秘仏がおいでであることも、全く知らなかった。
後半には、達磨・大黒・蔵王権現・大将軍神像など、多様な神仏像がごちゃごちゃと登場。何事かと思ったら、檀家衆から寄進されたもので、とりわけ「煙草王」村井吉兵衛からの寄進が多いそうだ。参考展示の「禅僧の什具さまざま」や、明治~今日までの写真や絵図に描かれた總持寺も面白かった。「あ、うちの大学!」と喋っていた女の子たちは、鶴見女子大の学生さんだな、きっと。
※曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)
「總持寺の名宝」はこちら
※大本山總持寺祖院(石川県輪島市)
※佛海山 大船観音寺(鎌倉市岡本)
慈光堂・聖観音立像の写真あり
鶴見の總持寺(総持寺)へは、10年以上前に一度だけ行ったことがある。知人の家族の葬儀に参列するためだった。予想を超えて巨大な山門と伽藍群に度肝を抜かれたことを記憶している。それきり、観光や参拝で訪ねたこともなく、私は全く知らなかったが、曹洞宗大本山總持寺は、もと能登(石川県)にあり、明治の火災を契機に横浜鶴見の地へ移転してきたという。以来、節目の100年目を記念して、本展では、能登伝来の品々をはじめとする總持寺の文化財が一堂に公開されている。
まずは文書から。能登總持寺の開山は瑩山紹瑾(けいざん じょうきん)で、第2世・峨山韶碩(がざん じょうせき)は、塔頭五院による住持の輪番制を定めた。室町時代から明治(明治3年に輪番制廃止)まで書き継がれた『住持記』がきちんと残っているのはすごい。また、峨山の弟子を順に記した『法嗣目録』を見ると、23~25番目あたりに「比丘尼」が登場する(25番目は「峨山妹也」と注あり)。Wikiの瑩山の項に「積極的に門下の女性を住職に登用し、女人成道の思想を推し進めた」とあるが、峨山も同様だったようだ。
絵画では、巨大な『提婆達多像』に驚く。雲の中に上半身をあらわした、中国の皇帝風の提婆達多像。胸から上だけなのに、高さ150cmもある。「朝鮮・高麗時代」ってほんとなのかなあ。文化庁の「国指定文化財等データベース」では「国:朝鮮/時代:高麗」だが「解説文:元時代の作品」ともある。『蘆葉達磨・墨梅図』は、中央に「蘆葉達磨図」、左右に「墨梅図」(枝に積雪ありとナシ)を組み合わせた三幅対。悪くないけど「元時代」は疑わしい。達磨図の落款「天暦庚午(元の年号なら1330年)月澗作」は下手すぎる。
ポスターになっている釈迦如来坐像(細かい襞のある通肩の衣をまとう)は、一時期、鶴見總持寺の本尊とされていた。檀家の外交官・栗野慎一郎(逸話の多い有名人なんだな)が寄進したもので、もとは外務省にあったという。何の印相なんだか、中途半端に人間くさくて新しい。「中国・清時代か」に納得。
比べては申し訳ないが、特別出品の観音菩薩坐像(能登・總持寺祖院から)は優品。優美な瓔珞にもかかわらず、きゅっと引きしまった力強さ、厳しさを感じさせる。「院派仏師の作風を示す」のだそうだ。大船観音寺の観音菩薩像(平安時代)は腕が長く、腰が細い、たおやかなプロポーション。眠たそうで平和的な表情がいい。大船観音が總持寺の直末寺であることも、正月三が日だけご開帳になる、こんな秘仏がおいでであることも、全く知らなかった。
後半には、達磨・大黒・蔵王権現・大将軍神像など、多様な神仏像がごちゃごちゃと登場。何事かと思ったら、檀家衆から寄進されたもので、とりわけ「煙草王」村井吉兵衛からの寄進が多いそうだ。参考展示の「禅僧の什具さまざま」や、明治~今日までの写真や絵図に描かれた總持寺も面白かった。「あ、うちの大学!」と喋っていた女の子たちは、鶴見女子大の学生さんだな、きっと。
※曹洞宗大本山總持寺(横浜市鶴見区)
「總持寺の名宝」はこちら
※大本山總持寺祖院(石川県輪島市)
※佛海山 大船観音寺(鎌倉市岡本)
慈光堂・聖観音立像の写真あり