見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2018年11月@関西:和歌山県立博物館、近代美術館

2018-11-23 23:33:47 | 行ったもの(美術館・見仏)

和歌山県立博物館 西行法師生誕900年記念 特別展『西行-紀州に生まれ、紀州をめぐる-』(2018年10月13日~11月25日)

 今年の特別休暇があと1日余っていたので、なんとか木曜に休みを取って、1泊2日でまた関西に行ってきた。この秋、どうしても行きたかった2箇所。1日目はまっすぐ和歌山へ。平安時代の歌人西行法師を特集する特別展を見る。受付で「今日(11/22)は和歌山県ふるさと誕生日なので入館無料です」と言われる。確か去年も「関西文化の日」で無料だった。1年に1回しか来ないのに申し訳ない感じ。

 冒頭には、西行入寂の地と伝える大阪・広川寺が所蔵する木造の西行坐像。老齢にもかかわらず、頸も太く肉厚で頑健な肉体の持ち主につくられていて、歌人のイメージからは遠いが、かえってこんな人物だったかも知れないと思わせる。はじめに書や和歌、同時代の記録や伝説から西行の事蹟をたどる。ちょっと面白かったのは『蹴鞠口伝集』という書物に西行の名前が見られること。弓馬の故実に詳しかったのは知っていたが、蹴鞠にも精通していたのか。西行をとりまく人々として、京都・安楽寿院所蔵の『鳥羽法皇像』『美福門院像』に加え、白峯神宮所蔵の『崇徳上皇像』も出ていて興味深かった。この崇徳院は太りじしで茶色い衣に埋もれている。法金剛院蔵の『待賢門院像』は残念ながらパネル写真のみだった。

 西行、俗名・佐藤義清(1118-1190)を生んだ佐藤氏は、紀伊国那賀郡に経済的基盤を持ち、義清の弟・仲清は、摂関家が所有する田中荘という荘園の預所(現地の代官)をつとめていた。ということで、田中荘(和歌山県紀の川市)に関する文書、絵地図、有力寺院に伝わる仏画や仏像が示される。へえ、全然知らなかった。図録のコラムに「西行自身は、自らの故郷について一切語るところがない」という一文があるように、私は西行の和歌は多少読んでいるが、紀伊国とのつながりは全く考えたことがなかった。

 さらに西行が、出家後、約30年にわたって高野山に草庵を結んでいたというのも知らなかった。吉野や熊野へは高野山を拠点にめぐっていたのか。「現在、高野山上には西行桜と呼ばれる桜が三昧堂の前に植えられている」というのにもびっくり。桜の季節の高野山には行ったことがないので見落としていた。西行は、金剛峯寺方と大伝法院方の融和を図るべく、蓮華乗院(大会堂)を壇上に移し長日談義を始め、三昧堂建立の奉行をつとめたという。「大伝法院」といえば、覚鑁上人を筆頭とする勢力である。覚鑁は鳥羽上皇の庇護を受けていた。いろんな知識がつながって興味深い。天野社にも西行堂があるんだな。一度行ってみなくては。

 そのほか、紀州を離れて西行が訪ねた地といえば、まず讃岐。白峯寺と崇徳院廟、なつかしいなあ。ここでも白峯寺所蔵の『歌仙切 崇徳上皇像』が出ていた。細面の神経質そうな崇徳院を描いた小幅。伊勢でもしばらく暮らしたことがあって、二見安養寺に滞在したと考えられている。その安養寺跡からは、平安時代から鎌倉時代後半にかけての遺構が見つかっており、土器片、絵を描いた木片、下駄、しゃもじ、箸など生活用品が出土しているのが面白かった。それと当時の地図を見で、今よりずっと五十鈴川の存在感が大きい(海に続いている)ことが分かった。

 のちの時代には、伝説化した西行物語が、絵巻、絵画、芸能などを通じて享受された。特に絵巻は、今治市河野美術館所蔵の着色本(江戸時代)、サントリー美術館所蔵の白描本など、珍しいものを見ることができて満足。また、江戸時代につくられたり描かれたりした西行像には、笠を携え、風呂敷包みを背負った(両肩よりもかなり下の位置で背中にまわす)旅姿のものがある。そして、この旅姿の西行像の小さな塑像(立像・坐像あり。首が取れているものも)が10体余りも並んでいると思ったら、東大本郷キャンパスの構内遺跡で発掘されたものだという。へええ、知らなかったが、「西行人形」で画像検索すると、今でも伏見人形にあるらしい。ちょっとほしい。西行入寂の地・弘川寺も一度行ってみたい。やっぱり桜の季節がいいだろうなあ。

和歌山県立近代美術館 創立100周年記念 特別展『国画創作協会の全貌展 生ルヽモノハ藝術ナリ』(2018年11月3日~12月16日)

 お隣りの近代美術館もこの日は入館無料。ダブルで申し訳ない。1918(大正7)年に野長瀬晩花、小野竹喬、土田麦僊、村上華岳、榊原紫峰という5人の日本画家が国画創作協会を創立して100年を迎えることを記念する特別展。なんと1993年に京都国立近代美術館が開催した『国画創作協会回顧展』の開催趣旨をネットで読むことができ、その解説に詳しいが、文部省美術展覧会(文展)のありかたに疑問を持った若手の画家たちが、新しい日本画の創造を目指して結成したものである。1918(大正7)年の第1回展から、中断を挟んで1928(昭和3)年まで7回の展覧会を開いたが、会員間の確執等あって活動を停止した。

 私の憶測かもしれないが「大正らしさ」を感じる作品が多かった。明るい色とかたち、自由でのびやかで、少し軽佻浮薄な雰囲気。小野竹喬の初期の作品は、色彩が明快すぎて銭湯のペンキ絵みたいだと思ったが、よい感じに枯れていく。土田麦僊は『大原女』(三人が座っているもの、京都近代美術館)の完成品と大下絵(完成品と同サイズ)を見比べることができて興味深かった。明るい色彩の下に隠された確かな形態の把握がよく分かった。『舞妓林泉』もすてき。

 野長瀬晩花は和歌山県田辺市生まれの画家。よく知らなかったけど、大作『初夏の流』が気に入った。大正らしいなあと思って眺める。今年6月に千葉市美術館で見たばかりの岡本神草『口紅』が出ていたのには驚いた。こんなに早く再会するとは。そして、同じ展覧会で見た甲斐庄楠音や梶原緋佐子の作品に出会えたのも嬉しかった。甲斐庄楠音は、気味の悪い絵を描く画家だと思っていたが、『母』『娘子』は全然そうではなかった。入江波光の『彼岸』もどこかで見たことをすぐに思い出した。京都市美術館の開館80周年記念展であるようだ。やはり京都市美や京都近美からの出品が多く、関東人にはなかなか見る機会がない作品を、まとめて見ることができてよかった。

 この日は大阪に出て江坂泊。

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