見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014札幌・初吹雪

2014-12-16 20:37:01 | 北海道生活
12月に入って気温が下がり、だんだん道が凍り始めたものの、衆議院選挙の12/14(日)まで、雪は少なかった。

そうしたら12/15(月)は、しんしんしんしんと一日中、律儀に雪が降り続いた。一晩明けたら、朝はこんな感じ。







最後の写真は、有形文化財の清華亭である。前日の夜は、なぜか遅くまで灯りがともっていて、美しかった。ふだんは消えているのに。


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サル・人・ゴリラ/「サル化」する人間社会(山極寿一)

2014-12-16 00:06:20 | 読んだもの(書籍)
○山極寿一『「サル化」する人間社会』(知のトレッキング叢書) 集英社インターナショナル 2014.7

 「サル化」の意味には注釈がいる。著者は、1978年からアフリカ各地でゴリラの野外研究に従事してきた。性行動や社会行動において、人はゴリラとサルの中間にあると著者は考えている。にもかかわらず、現在の人間社会は、次第にサル社会に近づいているのではないか、というのが著者の危惧である。

 少し本書を離れるが、私は、高校時代、今西錦司や伊谷純一郎、河合雅雄の本を読んで「サル学」に憧れ、京大に入って霊長類研究所で学びたいと、一時期、本気で考えていた。サルに名前をつけて個体識別するという「ジャパニーズ・メソッド」も面白かったし、ゴリラとチンパンジーの研究に多大な成果をもたらした、二人の女性科学者の存在も魅力的だった。山極寿一さんの名前を知ったのは、もう少し後だったと思うが、1991年刊行の立花隆『サル学の現在』に1章が設けられていたことは、強く印象に残っている。

 今年の夏、思わぬところで山極先生の名前を聞くことになった。10月から京都大学の学長になることが決まったというのだ。あの「ゴリラ研究」の山極先生が!と思うと、さすが京大と妙に感心し、嬉しかった。というわけで、久しぶりに読んでみたサル学(霊長類学)の本。

 冒頭では、著者がゴリラを研究するようになった理由と経緯が語られる。ゴリラの群れを「人づけ」(餌を用いず、ひたすら対象の行動を追う)しようとして、リーダーのシルバーバック(白銀の背中を持った、成熟したオス)に襲われた経験、なんとか群れに受け入れられた後、木の洞で雨宿りしていると、一匹のコドモオスが入ってきて、著者の膝の上ですやすや眠ってしまった話は、むかし、別の本でも読んだような気がした。

 このときのコドモオスのタイタスと、著者は2008年に26年ぶりの再会を果たす。はじめは著者を認識しなかったタイタスが、次第に記憶を取り戻し、表情や行動が変わっていく様子は感動的だ。著者の記述は、科学者らしい冷静さを踏み外さないが、行間には童話のような明るさと暖かさがあふれている。私が「サル学」の魅力に取りつかれたのはこういうところだ。

 「人づけ」の話でいうと、著者は、はじめ屋久島のサルの「人づけ」に挑戦し、山の中を傷だらけになりながら、サルになったつもりで駆けめぐり、サルのやることは全て一通り経験してみた。ずいぶん努力してサルになりきってみたが、最後に思ったのは「俺はサルにはなれないんだ」ということだった、という。私は爆笑してしまった。最近の文科省が必死で旗を振る「社会や産業界のニーズに応える研究」からは、見事にハズレまくった研究だ。こういう学長を戴く京大は素敵である。

 しかし、さらに読み進んでいくと「俺はサルにはなれない」という感慨には、もう少し深い意味があったことが分かる。著者はいう。サルは人間に心を開いてくれない。サルが人間に馴れ、警戒を解くことはあっても、それは人間を「無視」することでしかない。しかし、ゴリラには人間を受け入れる能力がある。観察者がゴリラの真似をしていて、間違った行動をすると、「違う、そうじゃない」ということを視線や行動で教えてくれる。「すみません」と謝って、教わったとおりに行動すると、どんどんゴリラと仲良くなっていけるのだ。

 サルは人間の気持ちを忖度しないが、ゴリラは人間の気持ちを読む名人だという。これは知能の差ではなく、サルは厳密なヒエラルキーのある社会に生きているので、立場の優劣で行動を決める。それに対して、ゴリラは優劣のない社会で暮らしているので、相手が何をしたいのか、自分が何を望まれているのかを読み取り、状況に即して行動を考える。ここまで読むと、「サル化する人間社会」というのが何を危惧しているかも、だいたい予想がつくのではないだろうか。

 著者は、サル社会とゴリラ社会、その中間にある人間社会の起源を、オスとメスの生殖活動と関係づけて説明していく。また、人間の祖先が生き残るために取った戦略(子育て、食物の獲得、分配)、その結果としての脳の発達、社会性の進化など、素人には検証のしようがない推論が続くが、一気に読むのは面白かった。

 人間社会は、社会(群れ)の中に「家族」という集団を持つ点に特徴がある。もし家族が崩壊してしまったら、人間社会はサル社会にそっくりになってしまうのではないか。サルは群れの中で序列を作り、全員でルールに従うことで、個体の利益を最大化している。サルが群れているのは、そのほうが得だからにすぎず、サルは群れから離れれば、その集団に対する愛情を示すことはない。ここは、経済性や効率性を優先する現代社会に対する厳しい批判になっていると思う。私は、「家族」のありかたは伝統的な規範に縛られなくていいと思うけれど、「家族」がもたらす安定は、とても重要なものだと思う。ひとりで生きる人間は、競争や序列を原理とする社会集団において、疲弊しやすい。

 中学生でも読める平易な文章だが、内容は深い。そして、むかしも思ったけど、やっぱり私は霊長類の中では、ゴリラがいちばん好きだなあ。
コメント (1)
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