見もの・読みもの日記

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わたしが子どもだった頃/「鉄学」概論

2012-02-08 23:48:16 | 読んだもの(書籍)
○原武史『「鉄学」概論:車窓から眺める日本近現代史』(新潮文庫) 新潮社 2011.1

 NHK教育テレビ「知る楽 探求この世界」のテキストとして刊行された『鉄道から見える日本』(2009)を加筆改稿し、再編集したものだという。当時、番宣などをチラ見した記憶では、もっと鉄道ファン向けの内容だと思っていた。本書は「鉄道」を糸口に、意外と手堅い政治社会史論になっている。各章のタイトルを挙げておくと、

1 鉄道紀行文学の巨人たち

 内田百、阿川弘之、宮脇俊三と連なる鉄道紀行文学の系譜を紹介。「鉄学」(鉄道を媒介として日本の近現代を俯瞰する学問)としては、わりとマトモなお題だと思う。

2 沿線が生んだ思想

 前章の補講。永井荷風、高見順、坂口安吾、須賀敦子、中井久夫の作品に現れた鉄道を語る。高見順の『敗戦日記』に登場する横須賀線の復員兵、進駐軍の描写を知って、読んでみたくなった。

3 鉄道に乗る天皇

 これは著者得意のフィールドだが、明治、大正、昭和天皇の行幸啓の密度を地図に落とし込んだ比較が興味深い。

4 西の阪急、東の東急

 阪急の小林一三、東急の五島慶太。梅田駅と渋谷駅など、比較のポイントはいろいろあるのだが、小林一三の逸翁美術館が、収蔵品約5,000点のうち国宝は1点もなく「一品一品を肩書きにこだわらず、自らの眼で厳しく鑑定した」といわれるのに対し、五島美術館は約4,000点のうち国宝5点、重文50点で「高価なもの、権威あるものを中心に集めた感は否めない」というのはどうなんだろう。逸翁美術館にもう少し通ってみるまで、判断保留。

5 私鉄沿線に現れた住宅

 本章以下は、多面的な切り口で展開する東京論。著者と同世代、同じ東京育ちの私には、言外ににじむ面白さがある。本章は1950~60年代、東京郊外に相次いで造成された「団地」について論ずる。

6 都電が消えた日

 漱石の『三四郎』『それから』に描かれた路面電車は、戦後の1960年代まで現役だった。ところが、60年代後半、地下鉄の建設ラッシュにより、都電はきわめて短期間のうちに姿を消してしまい、以後の人々の「空間認識」に大きな変化をもたらす。地下鉄日比谷線が日比谷と霞が関の間で急カーブしているのは、皇居進入を避けるためだが、地下では分かりようがない。そうか、そうだったのか! 著者は「都電の記憶をもつ最後の世代」と書いているが、私もそうだ。小学校にあがる以前、東京東郊の下町(橋本健二さんふうに言えば、労働者階級の住む新しい下町)から浅草(伯母がいた)や深川(母の実家があった)まで、都電で出かけた記憶がおぼろに残っている。

7 新宿駅一九六八・一九七四

 新宿駅は、60年代後半~70年代初頭「政治の季節」の重要な舞台となった。1968年、69年と相次いでおきた騒乱事件。しかし、下町の小学生だった私は、さすがにまだ覚えていない。それから5年後の1974年、小学校六年生の著者は、中学受験に備えて、中野の進学塾に通っていた。著者より2歳上の私も同じ進学塾に通った。ただし、日曜テストは父親のマイカーで送ってもらうのが常だった。春休みや夏休みの講習は、子どもだけで電車に乗って通うのが楽しかった。

8 乗客たちの反乱

 1970年代前半、国労・勤労が頻繁に用いた戦術「順法(遵法)闘争」。1973年の3月から4月にかけては、怒ったサラリーマンの暴動事件が頻発している。そうかー。私はこの年、中学に入学し、電車通学を始めているのだ。「国鉄スト」が決まると、学校が休みになるので、単純に喜んでいたが、かなり切実な危険回避の意味があったんだな、と今さらのように思う。

 自分が子どもだった頃の「歴史的意味」って、意外と知らないものだ。原先生、東京の60~70年代を、ぜひもっと掘り下げて書いてください。
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