○東京国立博物館・本館16室 特集陳列『船の世界』
http://www.tnm.jp/
毎度おなじみ、歴史資料による「日本の博物学シリーズ」。今期は船をテーマに、誰が見ても面白い史料が揃っている。たとえば下の写真は「舟印かるた」。同じ舟印を見つけて組み合わせる遊びらしい。
すぐに目をひいたのは、有名な『北野天神縁起絵巻』(承久本)の道真配流の場面。明治大正期の画家、小堀鞆音による摸本だが、たぶん京都の北野天神社が持っている模写より出来がいいと思う。古い絵巻で、リアルな船が描かれたものといえば、やっぱりこの作品なのかな。13世紀に成立したこの絵巻には、当時の最大級の海船が描かれている。隣の『松崎天神縁起絵巻』(これも展示は摸本)の原本は14世紀初頭の成立だが、船のかたちが少し違う。やはり、原本成立時の海船を描いたものであるそうだ。
初めて実見したのは、栃木県の龍江院が所蔵する木造エラスムス立像(重要文化財)。文化財一覧だか仏像(?)一覧だかで、資料名を見て、なんでそんなものが日本に?!と長らく怪しんでいたのだ。やっと真相が分かった。これは、慶長5年(1600)九州臼杵に漂着したオランダ船の船首の飾りだったのだ。この漂着船に乗っていたのが、航海士でイギリス人のウイリアム・アダムス、のちの三浦按針である。聖エラスムス(聖エルモ)は、ローマ帝国時代の司教で、船乗りの守護聖人。人文主義者のエラスムスとは別人ね。言わずもがなだけど。
最も興味深く思ったのは、江戸時代、将軍の御座船として使われた巨船、天地丸と安宅(あたけ)丸。天地丸は、寛永7年(1630)、3代将軍家光の時代に建造され、幕末の文久2年(1862)まで、233年にわたって将軍の御座船の地位にあったという。それだけでもびっくりなのに、廃船以後もしばらくは隅田川に係留されており、明治期の古写真に姿を留めているのだ。いやー寛永の御座船の「写真」が残っているのかあ。それって、宮本武蔵の写真がある、と言われるくらい、アナクロニックで、頭がくらくらする。天地丸は全長30メートル、幅20メートル(かなり小太り?!)だが、安宅丸は全長40メートルとも50メートル以上とも言う。寛永12年(1635)に建造された。4系統に分かれる古絵図が10数点あるのみで、正確な図面が残っていないため、実態がよく分からないそうだ。
帰ってから調べてみたら、ますます面白いことが分かってきた。まず、天地丸の古写真がネットに載っているのを見つけた(→船の科学館 もの知りシート)。それから、安宅丸の”想像図”を見つけた(→企画展「世界のロイヤルヨット今昔物語」報告書)。これ、すごいなー。子どもの頃に読んだ古典SFもかくや、と思うくらい想像力を刺激される。ジュール・ベルヌか。いや、むしろ矢野龍渓「浮城物語」だな!(読んでないけど)
また、Wikipediaによれば、安宅丸は巨体のために航行に困難が伴い、隅田川の河口にほとんど係留されたまま留め置かれた末、天和2年(1682)に解体されたそうだ。どうして日本人って、性懲りもなく巨大な船を作りたがるかなあ。実朝以来の悪癖であるとも言える。
さらに意外なものもヒットしてしまった。日文研の小松和彦先生が監修している「怪異・妖怪伝承データベース」で、「安宅丸」で検索すると、『嬉遊笑覧』に3件言及があることが分かる。ほとんど活躍の場を与えられないまま廃船になった安宅丸は、妖怪になったらしい。怖いような、哀しいような。
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毎度おなじみ、歴史資料による「日本の博物学シリーズ」。今期は船をテーマに、誰が見ても面白い史料が揃っている。たとえば下の写真は「舟印かるた」。同じ舟印を見つけて組み合わせる遊びらしい。
すぐに目をひいたのは、有名な『北野天神縁起絵巻』(承久本)の道真配流の場面。明治大正期の画家、小堀鞆音による摸本だが、たぶん京都の北野天神社が持っている模写より出来がいいと思う。古い絵巻で、リアルな船が描かれたものといえば、やっぱりこの作品なのかな。13世紀に成立したこの絵巻には、当時の最大級の海船が描かれている。隣の『松崎天神縁起絵巻』(これも展示は摸本)の原本は14世紀初頭の成立だが、船のかたちが少し違う。やはり、原本成立時の海船を描いたものであるそうだ。
初めて実見したのは、栃木県の龍江院が所蔵する木造エラスムス立像(重要文化財)。文化財一覧だか仏像(?)一覧だかで、資料名を見て、なんでそんなものが日本に?!と長らく怪しんでいたのだ。やっと真相が分かった。これは、慶長5年(1600)九州臼杵に漂着したオランダ船の船首の飾りだったのだ。この漂着船に乗っていたのが、航海士でイギリス人のウイリアム・アダムス、のちの三浦按針である。聖エラスムス(聖エルモ)は、ローマ帝国時代の司教で、船乗りの守護聖人。人文主義者のエラスムスとは別人ね。言わずもがなだけど。
最も興味深く思ったのは、江戸時代、将軍の御座船として使われた巨船、天地丸と安宅(あたけ)丸。天地丸は、寛永7年(1630)、3代将軍家光の時代に建造され、幕末の文久2年(1862)まで、233年にわたって将軍の御座船の地位にあったという。それだけでもびっくりなのに、廃船以後もしばらくは隅田川に係留されており、明治期の古写真に姿を留めているのだ。いやー寛永の御座船の「写真」が残っているのかあ。それって、宮本武蔵の写真がある、と言われるくらい、アナクロニックで、頭がくらくらする。天地丸は全長30メートル、幅20メートル(かなり小太り?!)だが、安宅丸は全長40メートルとも50メートル以上とも言う。寛永12年(1635)に建造された。4系統に分かれる古絵図が10数点あるのみで、正確な図面が残っていないため、実態がよく分からないそうだ。
帰ってから調べてみたら、ますます面白いことが分かってきた。まず、天地丸の古写真がネットに載っているのを見つけた(→船の科学館 もの知りシート)。それから、安宅丸の”想像図”を見つけた(→企画展「世界のロイヤルヨット今昔物語」報告書)。これ、すごいなー。子どもの頃に読んだ古典SFもかくや、と思うくらい想像力を刺激される。ジュール・ベルヌか。いや、むしろ矢野龍渓「浮城物語」だな!(読んでないけど)
また、Wikipediaによれば、安宅丸は巨体のために航行に困難が伴い、隅田川の河口にほとんど係留されたまま留め置かれた末、天和2年(1682)に解体されたそうだ。どうして日本人って、性懲りもなく巨大な船を作りたがるかなあ。実朝以来の悪癖であるとも言える。
さらに意外なものもヒットしてしまった。日文研の小松和彦先生が監修している「怪異・妖怪伝承データベース」で、「安宅丸」で検索すると、『嬉遊笑覧』に3件言及があることが分かる。ほとんど活躍の場を与えられないまま廃船になった安宅丸は、妖怪になったらしい。怖いような、哀しいような。