最新の「週刊ポスト」(7月13日号)の表紙の見出しが仰々しく読売新聞の広告欄に掲載されていた。
「日本の新聞信頼度ランキング」(英オックスフォード大発表)とあって、堂々の1位にランクされていたのが「日経新聞」。さすがだなあ!しかも、あの朝日新聞ともなると最下位だった(笑)。
ややお固いとされている、その日経新聞の紙面の中でかすかに憩いの場となっているのが「私の履歴書」だ。
いつも各界の「功成り名を遂げた」有名人の「生い立ちの記」が1か月にわたって連載されている。
興味のない人物が登場するときはいっさい読まないが、6月は作家の「阿刀田 高」さんだったので毎日興味深く読ませてもらった。
「阿刀田」さんといえば、ミステリーをはじめ学術的な分野まで幅広く手掛けられており、軽妙洒脱な作風が円満な人柄をしのばせるものがあり、文壇のいろんな役職を務められているのもよくわかる。
以前のブログでも「阿刀田」さんの本を題材にしたことがある。それは「順番への思惑」(2017.2.20)というタイトルだった。
要は、物事にはすべて順番というものがつきものだが、「2番目に質のいいものがそろっている、それはなぜか」というユニークなお話である。
このたびの6月30日の最終回に搭載された「私の履歴書」のタイトルは「花は散るために咲く」だった。結びのくだりがいかにも阿刀田さん(当年80歳)らしいので紹介しておこう。
「昨今は死を意識することも多く”花は散るために咲く”と勝手に箴言(しんげん)を創って座右に置いている。花は散るからこそ美しい。人も、私たちの営みはすべて死を意識することから中身を濃くしてきた。少なくとも文学はそうだ。AIは死ぬことができない。~ざまあみろ~
ここにおいて人はAIより優れている。残された余生はこのあたりを考えよう。」
そういえば「私の履歴書」の最終回は作者の「死生観」で結ばれることが多い。
特に印象に残っているのは農業経済学の泰斗にして、政府の税制調査会長を務められた「東畑精一」氏の「カラスの一群は人生の縮図」で、これを紹介させてもらって終わりにしよう。
「昔から老馬知夜道と言われた。老馬は御者の案内がなくとも、夜道を知っており、行くべきところに無事に着くのである。その老練さを述べた言葉であろう。駿馬と老馬とどこが異なるかと聞かれても困るが、ただ重要の一点の相違がある。駿馬は夜道をかけることができないのだ。
現代、ことに政治や国際関係には昼間もあるが夜もある。それにもかかわらずチャキチャキの駿馬ばかりいて、老馬が少ないように思う。~略~。東洋の心は駿馬のみでは征せられない。
次に思い出すのはカラスのこと。
子供仲間が夕刻、遊びに疲れて屋敷のそばの石垣に腰をかけていると、カラスの一群が飛ぶのに飽いてねぐらに帰ってゆく。それをながめながら、「後のカラス、先になれ、先のカラス、後になれ」と呼んでいると、ときどきその通りになり、われわれは快哉を叫んだものである。またいつでもはぐれカラスが一、二羽は後から飛んでいった。
この履歴書を書きつつ(※昭和54年)、過去を顧みると、どうもこのカラスの一群はわれわれの人生の一つの縮図のようにも思われる。小学校から大学まで、幾多の同級生、同窓生があるし、また社会に出ても共に仕事をした多数の人々がある。長い間のそれらの人々を思うと、わたしはカラスの一群の動きを思わざるを得ない。
幼少時代に頑健なもの必ずしも長命せず、かえって弱々しい男が今も健在である。俊秀のもの、卒業後数十年の後には凡骨と化しているのもある。鈍重なカラスが長年コツコツと仕事に励んでいて、見事な成果を挙げて真っ先のカラスとなっているのもある。
そうかといって、はぐれカラスがいつまでもそうではなくて、はぐれ仲間で立派なグループを作り、結構楽しんでいるのを見るのは愉快である。
どうしてこうなのか。
歳月は人間の生涯に対して黙々たる進行のあいだに猛烈な浄化や風化の作用や選択作用をなしているからだ。こう思うと、ある瞬間、ある年代だけを捕えて、むやみに他人や事態を評価したり判定したりすることの皮相なのに気がつく。
他人の先頭に立っていると思っている間に落伍者となっておるとか、その逆とかは日常しばしば見られることである。急いではいけない。静かにじっと見つめる要がある。ことに怱々忙々何十年を経てきた自分自らを凝視するのが大切である。
人生はただ一度限り、繰り返すことが出来ない。美人ならぬ老馬を天の一角に描きながら、また人生のカラスの大群をじっと見つめながら、腰痛をかかえて座しているのが昨今の私である。」