高校時代の同級生「T」君(横浜)から、「奥さんに内緒で見てね」と送ってくれた「トルコ美人」の写真。
「A4版」なので、迫力ありまっせ~!(笑)
ところが・・、何気なしにパソコン机の上に置いていたところ、日課の早朝ウオーキングに出かける寸前の家人に見つかってしまった。
「あら、綺麗な人ね! この写真どうしたの?」
さあ、たいへん・・、「ほらこの前来た横浜のT君が送ってくれた写真だ。宇佐神宮で見かけたトルコ美人だぞ。どうだ綺麗だろう」と逆に開き直ったところ、
「この写真借りていい? ウォーキング仲間に見せるから・・」
「案ずるより産むがやすし」とは、このことか。
それにしても、「嫉妬」の「し」の字も無いのもちょっと淋しいなあ~。
「好いた、惚れたはもう昔の話」なんだよね(笑)。
ここで、ブログを終わってしまうと余白が残り過ぎなので付け足しておこう。今日は休日だし「暇つぶし」になってくれれば幸いです(笑)。
作家をはじめ、有名人50人の「死生観」を集めた本である。
「死なんて縁起でもない」と忌避される方もいるだろうが、な~にいずれはだれでも「あの世行き」なんだから~。
面白いと思った「死生観」を3人ほどあげてみた。
まずは「山田風太郎」さん「作家、享年79歳」。
「みんな酒をやめ、タバコをやめて、長生きして何になるの?40代くらいの年代で長生きできるなら、いくら長生きしてもいいけど、人間、年とればボケるし老化するんだからね。」(「コレデオシマイ」)
「風太郎死言状」に、曰く
〇 路傍の石が一つ水に落ちる。無数の足が忙しげにその傍らを通り過ぎてゆく。映像にすればただ一秒。
〇 自分が消滅したあと、空も地上もまったく同じとは実に何たる怪事。
〇 人は死んで3日経てば、300年前に死んだのと同然になる。
〇 最愛の人が死んだ日にも、人は晩飯を食う。
つまり、本人の死は他人にとって、愛犬の死より何でもないことなのである。
「国は国立往生院のようなものを作って、老人が安楽死の途を選ぶようにすべきだ」と書いたことがあるが、ほんとうにそう思うね。
高齢のご夫人から手紙が殺到したんだが、これが全部「私も同じ考えです」という内容、抗議は一通だけ、77歳の男性からのものでしたがね。
実際、世の中には死にたいと願っている高齢者が相当数いる。僕はそう思うね。いや経済的な問題じゃなくて、老いとは、死に向かって体が壊れていく過程なんだね。
ある程度の年齢になると、必ず体のどこかに障害が出る。僕も目は見えにくくなる。歩けば転びやすい。小便は近くなる。具合が悪いというのは、指1本でも気にかかる。で、もう死んでもいいやという気になるんだよ。そのくせ病院に行くんだ、人間は。
だからなかなか死なない。人間の厄介なところだねえ(「サライ」)
次は同じく作家の「城山三郎」さん(享年79歳)では、正反対の視点からの「死生観」が伺える。
「名を上げるのは控えるが、西日本の名刹(めいさつ)の高僧が、病んで臨終のときを迎えた。高僧が後世に伝え残す言葉を聞こうとして、弟子たちが枕元に参集した。
ところが、息を引き取る直前、高僧の口から出たのは「死にとうない」の一言だけ。弟子たちは慌てた。それでは凡俗の徒のつぶやきと同じ。
何か言い違いか、勘違いではないのか。このため、おそるおそる、もう一度訊いてみた。「何か他に・・・」高僧は答えた。「ほんま、死にとうない」と。
笑話ではない。私はむしろその高僧に好感を持つ。それほど「生死事大」なのである。
最後に、これまた作家の「赤瀬川原平」さん(享年77歳)。
「ぼくは病気を一人の人間みたいに思うようにしている。病気という名前の人である。この人がときどき交際を求めてくる。もちろん好きな人ではないからお断りしたいのだが、そうもいかない事情がある。
世の中には現実のこの人、病気さんがたくさん動き回っているのだ。電車の中にも横断歩道にも沢山いるから、無関係ではいられない。
必要悪という言葉があるが、この病気さんに対しても嫌だけど、ほどほどの交際は必要なんだと思っていたほうがいい。
顔を合わせたら、少なくとも挨拶ぐらいはしておく。嫌だからといって無視すると、相手は逆上することがある。そうなると急激に関係が深まってしまい、別れるのに苦労する。
病気にだって生活があるんだからと考えて、ある程度はお付き合いをして、潮どきを見てうまく離れていくのがいいのだけど、それは相手によってもいろいろだ。」
ほかにも、黒澤明(映画監督)、渥美清(映画俳優)、星野哲郎(作詞家)、高倉健(映画俳優)、小林秀雄(評論家)など、錚々たる面々の「ひとくち死生観」が伺えます。
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