オーディオ愛好家の一人として、他の愛好家の出している音は気になるもので、自分が井の中の蛙にならないように時々は訪問して音を聴かせてもらったり、あるいは逆に耳がよいと信頼のおける方に自宅に来ていただいてアドバイスをお願いしたりする。
人はそれぞれ生まれた時から環境も違うし感性も違うのでいい音に対する感覚も実に千差万別であり、しかも、たまたま幼少時にしょっちゅう聞かされた音があまりいい音ではなくても刷り込み現象のようになっていて無意識のうちに影響していることも十分ありうる。
したがって、自分ではいい音と思っていても他人が聴けばそれほどでもないといったことが日常茶飯事に起こり、オーディオ機器にかなりの投資を伴っていることから悲喜劇が絶えない。
ただし、そうはいっても普遍的に誰が聴いてもいい音というのはあるもので、定義するのは実に難しいが一言で表現すれば「原音に忠実で長く聴いても疲れない音」といっていいかもしれない。
じぶんもそういう音を目指そうと考えているので、己の耳に絶対の自信がないことも手伝って謙虚に他人のアドバイスを積極的に受け入れる気持ちをいつも持っている。
もっとも、このタイプはかなり少数派のようで、例えば他家の音を聴いてはっきり良くないとご本人の面前で指摘することは、「あなたの家の子供はバカですね」と言うのと一緒だという記事を読んだことがある。
オーディオに縁の無い方は、何故面前で指摘するのが悪いのか分かりにくいだろうが、簡単に言うとどのような音を出すかは、オーディオ機器の選択から部屋の状況、音楽の聴き方まで、幅広くその人の芸術に対するセンス、どうかすると人生や生き方に関するプライドに関わることとして、人によっては、あだやおろそかに出来ない世界なのである。
したがって、単なるお付き合い程度の他家での試聴結果の第一声は慎重にならざるを得ず、相手に配慮しながら結局あたりさわりのないやりとりに終始する事が多い。
もちろん遠慮のない懇意な間柄なら別で、じぶんの場合には装置の一部を入れ替えるたびに耳のいいオーディオ仲間に来ていただいて遠慮なく指摘を頂いているが、そういう間柄を築くのにはすごく時間がかかる。
しかし、実は簡単に本音を聞かせてもらう手っ取り早いやり方がある。
それは、例えば機器を接続するケーブルとか、簡単に取替えがきく機器を2,3種類準備しておいて、それぞれ入れ替えるごとに意見を聞くようにすると比較試聴ということで本音の意見があっさりと聞けることが多い。
指摘する方も比較してどちらかに軍配を上げる以上何らかの具体的な理由を述べねばならず、その理由を敷衍してみると率直な意見につながり、実に有益な点が多い。少なくとも独りよがりの弊害から抜け出るチャンスがある。
とにかく、オーディオ装置には本当に苦労するし、音楽を聴く限りこれは一生続くテーマなのだが、一方では変化に富んだ大きな楽しみでもある。
"いい音、いい音楽”に向けて毎日が前進あるのみである。
’07年2月現在の装置 ワディアと真空管アンプ