「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

グスタフ・マーラーの「大地の歌」

2020年12月02日 | 音楽談義

先日、京都の見知らぬ方からメールをいただいた。仮にAさんとしておこう。

11年前のブログ「マーラー作曲・大地の歌~8枚の試聴盤~」をたまたま読まれたとのことでご感想を寄せられたものだった。

マーラーですか・・・、あまり好きな作曲家ではないけれど「大地の歌」だけは別格ですね(笑)。

退職後の暇つぶしでブログを始めてから今年(2020年)の10月で丸14年、記事の総本数は「2、405件」に上るが、いずれも素人の域を出ず、ほんのとるに足りない記事ばかりだが、それでも人気記事というのはある。

音楽関係では「ベートーベンのピアノ・ソナタ32番の凄いHP」と並んでこの「マーラー・・・」の記事が双璧となっており今でもアクセスが絶えない。

オーディオ関係の記事はその場限りのもので、あっという間に忘れ去られていくが、音楽関係の記事は永遠であることを実感している。

やはり「音楽とオーディオ」の関係は「王様」と「召使い」に当たりますね(笑)。

それでは、せっかくの機会なので修正なしに再掲させてもらおう。

グスタフ・マーラーの晩年の大作「大地の歌」は聴くたびに、そして歳をとるごとに印象が深くなっていく。

作曲の経緯については1907年に友人から贈られた「シナの笛」の詩集(李太白、孟浩然などの詩集)にマーラーが深い感銘を受けたことに発する。当時、健康の衰え、死が近いことを予感していたので東洋的諦観、無常感に深い共感を覚えたことによるものだ。

六楽章からなる全楽章をこの詩集の詩を歌曲として用いている。第一楽章は「大地の哀愁を歌う酒の歌」で詩は李太白で”生は暗く、死もまた暗い”と結ばれる。

以下第二楽章は「秋の寂しさ」、第三楽章は「青春について」、第四楽章「美について」第五楽章「春に酔った者」そして最後の第六楽章は「告別」として第一~第五楽章の集大成として全曲のほぼ半分に当たる長大な楽章になっている。

奇数楽章はテノール、偶数楽章はコントラルトまたはバリトンで歌われる。

自分が一番好きなのは第六楽章。

永遠なる大地の美しさへの憧れとこの世への惜別の情を告白する心境が万感の思いをこめて歌われる。

めぐり来る春を賛美しつつ”永遠に、永遠に・・・・”と空中に溶けいるように消えていくはかない歌声で結ばれるくだりの寂寥感は限りなく美しく深い感動を呼び起こす。

演奏は、さすがに大作だけあって幾多の指揮者が挑戦しているが、現在、手元にあるのは次の8枚。

 ブルーノ・ワルター指揮〔1948年録音:ライブ)
  歌手:カスリーン・フェリアー(コントラルト)、セット・スワンホルム
  演奏:ニューヨーク・フィルハーモニー

 ブルーノ・ワルター指揮〔1952年録音)
  歌手:カスリーン・フェリアー、ユリウス・パツァーク
  演奏:ウィーン・フィルハーモニー

3 オットー・クレンペラー指揮(1964年)
  歌手:クリスタ・ルートヴィッヒ(メゾソプラノ)、フリッツ・ヴンダーリッヒ
  演奏:フィルハーモニア管弦楽団 

 ベルナルト・ハイティンク指揮(1975年)
  歌手:ジャネット・ベーカー(メゾソプラノ)、ジェームス・キング
  演奏:ロイヤル・コンセルトヘボー

 ヘルベルト・ケーゲル指揮(1977年:ライブ)
  歌手:ヴェラ・ソークポーワ(メゾソプラノ)、ライナー・ゴールドバーグ
  演奏:ライプツィヒ放送局交響楽団

 レナード・バーンスタイン指揮(1966年)
  歌手:ディースカウ(バリトン)、ジェームス・キング
  演奏:ウィーン・フィルハーモニー

7 クラウス・テンシュテット指揮(1982年)
  歌手:アグネス・パルツァ(アルト)、クラウス・ケーニッヒ
  演奏:ロンドン・フィルハーモニー

 ジュゼッペ・シノーポリ指揮(1996年)
  歌手:イリス・ヴェルミヨン(アルト)、キース・ルイス
  演奏:ドレスデン国立管弦楽団

      
     

      
      

以上、8枚の「大地の歌」を”第六楽章に絞って”次々に聴いてみた。

ずっと昔にフルトヴェングラーの演奏に熱中・感動した体験を持ち、ジネット・ヌヴーが弾く「ブラームスのヴァイオリン協奏曲」に今でも涙する深い思い入れのもと、ややエキセントリックなコメントになるがお許しを。

1と2
ワルターはマーラーの友人、直弟子として知られ、初演もワルター指揮で行われている。最高のマーラー解釈者といわれているので一度は聴くべきものだろう。

つごう三回録音しているが今回は1948年盤と1952年盤。しかし、いかんせん、いずれも録音があまり良くないので万人向きではない。自分でも一度聴けば十分だと思った。この曲目は「豊かな音」で聴かなければ感興が削がれる。


クレンペラーはさすがに大器晩成型の指揮者だけあって、「勿体ぶりや」の名に恥じず雄大なスケール感に見るべきものがある。

長年の愛聴盤だがメゾ・ソプラノのルートヴィッヒがみせるドラマテックな歌唱力にゾッコンで一世一代の名唱ではないかと思えるほどで、ほかのどんな名演を聴こうとこの印象は覆らないが、近年あまりに聴きすぎてやや飽きてきた印象あり。


包み込まれるような豊かな音のコンセルトへボウは好みだが惜しむらくは肝心のベーカー(メゾソプラノ)がいまいち。やや声質が軽すぎて心に響いてくるものがない。一度聴けば十分。


ソークポーワの第一声を聴いたときにこの歌手は只者ではないと思った。朗々としてあたりを睥睨するかのような歌声に圧倒されてしまった。クレンペラー盤のルートヴィッヒに匹敵すると思ったほど。

指揮者のケーゲルも「大地の歌」の曲風に合うと思って購入したのだが狙いが当たった感じ。しかし、ベスト盤にするにはどこか”ためらい”を覚える。


さすがにディースカウ。余裕のある年期の入った歌唱力が「骨太い男の諦念の世界」をいともたやすく醸し出す。こうなると偶数章を「「アルト(orメゾソプラノ)かバリトン」のどちらが担うのがいいのか永遠の課題に直面する。

フィナーレの「永遠に、永遠に・・・」
という部分ではウィーン・フィルとの一体感もあって「寂寥感」の表現に他の歌手とは違って明らかに一日の長を感じる。これは是非手元に置いておきたい盤。


パルツァの澄みわたった歌声がきれいに空間の中に溶け込んでいく。耽美派のマーラーとでも言うべきか。「慟哭」とか「生への執着」とは無縁の悟りきった世界で、これはこれで立派なマーラーだろうが自分が求める「大地の歌」ではない。


少しも気負ったところのない自然な雰囲気の「大地の歌」ですぐに演奏に引き込まれる。ヴェルミヨン(アルト)の歌唱もまったくの過不足無しで極めてGood。オーケストラも秀逸で管楽器の美しさは特筆もの。

録音もドレスデン・聖ルカ教会の立体空間の広さを充分感じさせるもので、歌手、演奏、録音など何もかもが揃っていてすっかり魅了された。

これら8枚の中で
「ベスト」と言っても何ら”ためらい”を覚えない。

最後に自分なりの順番を。

1位は「シノーポリ盤」「バーンスタイン盤」「クレンペラー盤」で甲乙つけ難し、その次がケーゲル盤

以下は順位なし。



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