「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

読書コーナー~「ヨーロッパ三大オーケストラ物語」~

2012年01月17日 | 読書コーナー

本の題名は忘れたが、昨年の11月ごろに「書評はどうあるべきか」についての本を一読したことがあり、書評とは「書いてある内容について自分なりの所感を述べる」ものであって、本に書かれてある内容をそのまま紹介するのは、単なる「受け売り」でとても書評とは言えない、ということが書かれてあった。

たしかに正論で、この「読書コーナー」にしても書評としての位置づけをするのなら「私見を交えての読後感想」なんだろうけれども、自分のような素性の知れない人間がたとえ感想を記したとしても何の値打もないし、おそらく誰も興味を持たないと思う。

というわけで、このコーナーも引き続き「受け売り」させてもらいます~。


さて、今回は「指揮者の役割」~ヨーロッパ三大オーケストラ物語~(2011年9月20日、新潮選書)について。

                         

著者の「中野 雄」(なかの たけし)氏は以前、オーディオ・メーカーの「ケンウッド」の社長をされていたことがあり音楽評論に関しても著書多数で、音楽にもオーディオにも造詣の深い方。

ちなみに「ケンウッド」は今はどうか知らないが昔は良質のユニークな製品を次から次に製品化していた。

たとえば30年ほど前に製造されたプリメインアンプの「01-A」(出力100W)は音質に配慮して筐体が非磁性体(つまり、鉄を使わない)で作られており、電源部も隔離されていて音質も超Good。

このアンプ(トランジスター)は自分も大のお気に入りで、オーディオ仲間ののMさんから「メインアンプ」に改造してもらい、現在の第一、第二システムの低域用に使用しているが中高域用の真空管アンプとの音色のマッチングがいいので実に重宝している。

ただし、何せ古い製品なので、いつ故障してもいいように(半田付けの箇所のひび割れが多いそうだ)順次オークションで購入し続け、今では手持ちが6台(うち3台使用中)にも及んで、ひとまずは安全地帯である。

再び話は戻って、中野氏の著作にはほかにも「モーツァルト 天才の秘密」というのがあってこれは一読後、おおいに感銘を受けて、以前、このブログでも内容の紹介をしたことがあった。

「生まれつきの天才は存在しない、”臨界期”までに本人を取り巻く環境、たとえば適切な教育を受けることなどが大きく影響する」、また「好きで好きでたまらないことに嫌だと思わないで打ち込む才能が天才の条件の一つ」という結論が印象に残っている。

さて、本書の内容は次のとおり。

序章    指揮者の四つの条件

第一章  指揮者なんて要らない?~ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

    間奏曲その一  世界一のオーケストラはどこ?

第二章  カラヤンという時代~ベルリンフィルハーモニー管弦楽団~

    間奏曲その二  コンサートマスターの仕事とは?

第三章  オーケストラが担う一国の文化~ロイヤル・コンセルトヘボー管弦楽団~

終章    良い指揮者はどんな指示を出すのか?

写真でご覧のとおり、本書の表紙に副題として「ヨーロッパ三大オーケストラ」とあり、すぐに、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルが浮かんだが、残る一つはどこだろう、「ドレスデン・シュターツカペレ」かなと、
思ったところ上記の内容紹介にあるとおりロイヤル・コンセルトヘボー・アムステルダムだった。

認識不足なんだろうが、コンセルトヘボーのCDは手元にないし、地味な存在だと思っていたのだが、2008年の英国「グラモフォン」誌(12月号)の発表した「世界ランキング」で第一位の栄冠を獲得したというから驚き。

いったい、このオーケストラのどこがそんなにいいのだろうと、思っていたところ本書にその回答と思しき部分があったので引用(209頁~)させてもらおう。

「或るオーケストラの弦楽器セクションを評してその良否を口にする場合、何をもってその価値尺度となすか。アンサンブルの精度か、音色か、音量か、はたまた音符を正確に音にする技術的能力のことを指すのか。

基準は聴き手それぞれの美的感性によるのであろうが戦前のコンセルトヘボーの弦楽器群に対する賛辞は、まず何よりも、その厚みを持った艶やかな音色に寄せられていた。」

まあ、こういう良き伝統があるというわけだが、一流のオーケストラになるための必須条件は抜群の力量を持ったコンサート・マスターの存在である。1961年当時、常任指揮者のオイゲン・ヨッフムから当時名ヴァイオリニストだったヘルマン・クレッバースはこう口説かれた。

「現世のことは別として、歴史的に考えてみたら一国の存在意義は軍事力ではない。結局、文化なんですね。或る国、或る民族が人類の歴史に刻む遺産、それは文化しかない。経済的な繁栄も強大な武力も、時が経ってみれば単なる出来事に過ぎない。虚しいものです。

君が生まれ育ったオランダには、かって世界に誇る文化の華が咲き誇りました。たとえばレンブラント、フェルメール、フランツ・ハルス~国立美術館に収められている絵画の巨匠たちの作品群です。近代ではあのヴィンセント・ヴァン・ゴッホ。オランダ人、オランダという国の歴史が彼らの作品の中に芸術にまで昇華されて刻み込まれている。

では、今、この国には何があるか。世界に対して発信できる文化として、われわれは何をもっているか。残念ながら絵画も、文学も、昔日の輝きを失っているとしか言えない。あるのは音楽、うちのオーケストラだけです。この楽団以外にオランダという国は世界に向かって自らの文化を発信する手段を持っていないのです。

私たちのオーケストラはアムステルダムの市民によって創設され、メンゲルベルク(指揮者)が50年という歳月をかけて育て上げ、磨き上げた、生きて現在活動している文化財なのです。

オランダ国民にはこのオーケストラが今もっている演奏の質と名声を保持し、次の世代、いや永遠に伝えていく義務があると思う。コンセルトヘボーの死は、今やオランダという国の文化の死を意味するといっても過言ではないでしょう」

結局、クレッバースはこの殺し文句で口説き落とされるわけだが、ヨーロッパにおけるオーケストラの存在意義、ひいてはクラシック音楽への接し方がよく分かる話である。

ユーロ不安に象徴されるように、もはや落日の一途をたどるヨーロッパだが、これから文化的な伝統と経済的な側面との明暗がどのような跛行的展開を遂げていくのか興味があるところ。

翻って、世界に発信できる文化として現代の日本には
いったいどういうものがあるのだろうかとも考えさせられる。

本書にはほかにもたくさん引用したい部分があったが、長くなりすぎるのでこの辺で打ち止め~。

 


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