お盆休みで娘が帰省したので「おばあちゃんも一緒に」というわけで、入院中の母(93歳)の外泊許可(3泊4日)をもらい久しぶりに自宅に連れて帰って一家団欒の食事のときのことだった。
丁度、テレビで「離婚した大阪の風俗嬢が幼い2児を置き去りにして餓死させた事件」を報じていた。
「どうせ遺伝子が悪いんだから、こんな子供は大きくなっても悪いことをするに決まってる。早く死んでくれたほうが国家のためにいいよ」と放言してみた。
近年、夢とも現実ともつかない、あらぬことを口走るようになった母なのであえて挑発してみたわけだが”ビックリしたような顔をしてマジマジとこちらを見つめてきた”。フー、これでひとまず安心!
さて、「夏の風物詩」といえば、「炎天下での甲子園」。
若人のひたむきなプレーにはいつも心を打たれるが、16日現在でベスト16が出揃い、いよいよ佳境に入る。
我が郷土のチームもエースが148kmの剛球投手とあって、大いに期待したがあえなく1回戦で敗退。
試合後の監督のコメントでエースが4月に肘を痛め、投げ込み不足でまだ復調途上だったそうで「将来がある選手なので無理はさせられない・・」と言ってたので納得。
「チームの勝利」と「個人の将来」を天秤にかけると、どちらを優先すべきか、これは明らか。
野球といえば、今年の大リーグ(MLB)は日本人選手にとって芳しくない話ばかり。
まずイチローは入団以来8年間続いたシーズン200本安打が今年はギリギリの状態だという。もう40歳に手が届こうかという年齢なのでボチボチ衰えが懸念されるが、それでもよく頑張っているほう。
情けないのはエンゼルスの松井。去年のワールドシリーズでMVPになったので、今年は一皮剥けて大活躍するかと期待していたが、例年にも増して、好不調の波が激しくサッパリ。打率2割5分前後、本塁打15本〔16日現在)という体たらくに「一体、何年野球をやってるんだ?」。今年は大事な年だったのに~。
この分だと、たった1年でエンゼルスからの放出は確実でMLBに留まるとすれば、大減俸のすえ弱小球団への移籍、あるいは日本の球団への出戻りも十分考えられる。
最悪の場合は年齢、古傷の膝の状態を考え合わせて「引退」の文字もチラホラといったところでそれほど追い詰められている状況。日本の長距離バッターがMLBで通用するかどうか、松井は大事な試金石だったが結果は完全にアウトだった。
ところで、日本では大人気の野球だが
「ヨーロッパではなぜ野球が盛んにならない」のだろうか?〔※再掲)
サッカーとかラグビーなんかの球技は非常に盛んだし、同じ西欧文明に属するアメリカでは国技とされているほどなのにである。
このことについて参考になる考察がある。
「随想集:偶然のめぐみ」(2007年、日本経済新聞社)
本書の207頁~241頁にかけて鼎談(清岡卓行、清水哲男、平出隆)により、この辺の理由が述べられている。
1 野球の特殊性
サッカー、ラグビーは双方に陣地があってお互いに攻め合うか、いつ攻め返されるか分からないという対称性が常にある。一方、野球の場合は攻守ところを変えてという面はルールできちんと縛っておりある時間帯を区切って守るだけ、攻めるだけとなっている。
ヨーロッパの感覚では国境を越えたり、超えられたりという侵略意識といったものがうまく国民的なスポーツになっている。
一方、アメリカ、オーストラリア、日本など野球が盛んなところは歴史的にも国境という意識が希薄なところがあり、その部分に野球が根付いているという側面がある。
2 知的で人工的な野球
ヨーロッパは歴史的にみて哲学的ないし科学的な知性による仕事の蓄積と疲労が一番著しいところ。したがって、スポーツが知性とは対照的な位置づけにあり本能への遊び、慰め、楽しみである側面が大きく、ルールが単純明快、ポジションもそれほど個性的ではない気安いスポーツが受け入れられ普及している。
これに対して野球はルールがとても複雑で知的かつ人工的。ヨーロッパ人にとって知的にわずらわしくて不自然で面白くないといった感覚がある。さらに一方では「ホームラン」というまるで試合の知的な要素すべてを一挙に吹き飛ばすような摩訶不思議なものがあり、ある意味不自然な印象を受ける。
およそ、以上のとおりだが以前読んだ「戦争」の研究家「石原莞爾」氏の著作で「ヨーロッパは古来、三度の飯より戦争が好きな連中の集まり」とあったが、国境の侵略意識と陣地争いがスポーツに投影されていると指摘してある点がなかなか面白い。