「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

音楽談義~相互理解のための音楽~

2009年09月19日 | 音楽談義

総選挙で民主党大勝利の後を受けて、この16日晴れて内閣総理大臣に選ばれた鳩山さんだがメディア情報によると、どうやら趣味の一つにクラシック鑑賞が入っているようだ。

何代か前の総理だった小泉さんはオペラ・ファンで有名だったし、先々代の福田さんはいわゆる通好みのバルトークを愛好されていたが鳩山さんがどういう作曲家や曲目を好まれるのか興味があるところ。おいおい分かってくることだろう。

国際人として活躍する前提として専門的な仕事の知識以外にも基礎的な教養として文学、絵画、音楽など幅広く芸術の分野にも通暁しておく必要があるとはよく聞く話。

日本の総理ともなると、当然「サミット」や「首脳会談」などで各国首脳との丁々発止の議論をしなければならないが、会議の時間以外の首脳同士の胸襟を開いた交流もそれに劣らず大切な仕事。

そのときの話題は各人の趣味に踏み込むことが多く、それも音楽の話が多いとあの「昭和の大勲位:中曽根」さんが言っていたのを聞いたことがある。

その音楽とは当然のごとく西洋の伝統と権威に支えられたクラシックが中心。

鳩山さんがクラシックの分野で各国首脳と堂々と薀蓄を披瀝して語り合い相互の理解を深めることは、単なる個人の趣味以上の問題で大げさに言えば国益に資するようなもの。

さて、ここで話がやや逸れるが「芸術に親しむ」に関連してガッカリした思いをしたのがたしか2008年12月号の「文藝春秋」。

本の中で、立花隆さんと佐藤優さんという現代を代表するような知性の持ち主が是非読んでおきたい本としてそれぞれ100冊の本を紹介し推薦していたが、いずれもが知識というか知性を優先した難しそうな本ばかりで、芸術関係の本が全然ないか、あるいは極端に少なかったのが妙に印象に残ってしまい非常に「潤い」が欠けている感じを抱いた。


人間にとって「知性と感性」はクルマの両輪みたいなもので、人生に幅と”ゆとり”のない「頭でっかちの知的バカ」をこれ以上量産して一体どうしようというんだろうか、な~んて偉そうに勝手な御託を並べたりして~。

さて、話はもどって相互理解のための手段としての音楽の話。

もちろん人間同士のコミュニケーションに言語は欠かせないが国ごとに使っている言葉が違うのが大きな難点。戦後すぐとは違って近年では日本人でも英語がペラペラの堪能な人はいくらでもいるが、フランス語、ドイツ語、イタリア語、中国語なんてことになるとおそらく全部操れる人はそうはおるまい。通訳を介してみてもお互いの”人情の機微”にまで触れるとなると”いまいち”だとは容易に想像できるところ。

その点、音符で成り立つ音楽は世界の共通言語みたいなもので実に相互理解に手っ取り早い。たとえば、自分の場合ともなるとモーツァルトのオペラ「魔笛」とかグールドが弾くピアノ・ソナタが好きと分かっただけで、瞬間的に百年も前からの知己のようなうれしい気持ちになる。

同じ感性を共有する喜び、親しみは言語を通じて分かり合えるよりもずっと心の奥深くまでつながるような気がするのが不思議だが、これは人によって様々で自分はどちらかというと感性人間かもしれないと思うことがある。場面、場面で適切な言葉を操るのが苦手なタイプで文章を作成する方が時間の余裕があるだけまだマシ。おそらく頭の回転が”いまいち”なんだろう。

しかし、弁解するわけではないがあの孔子に「巧言令色、仁あること少なし」という警句があるようにいくら言葉を尽くしてみてもその表現には限界があるような気もするのだが・・。

ところで、作曲家や演奏家、曲目などの好みが共有できる人に巡り会うのは本当に難しい。自分の周囲を見回してもオーディオはさておいて作曲家や曲目の好みが”おおかた”でも一致する人はまずいない。改めて人間の気質というか感性は千差万別と思う。

全国を捜し歩いてようやく巡り会えるようなものだろうが、作家の石田依良さんの著作「アイ・ラブ・モーツァルト」には魔笛とかグールドが好きとかあるのでホントにうれしくなる。好きな作品を通じて作曲家へとたどっていく道が一緒なのがいい。


五味康祐氏の「いい音、いい音楽」(1980年10月、読売新聞社刊)を読んでいたら、代表作品を聴けばその作曲家がどんな音楽家であるかが分かるとあった。(92頁)

偉大な音楽家ほどその代表作に人間性、民族性、芸術観の全てを表出しているという。

たとえば、大バッハであれば「マタイ受難曲」、ヘンデルなら「メサイア」、ショパンでは「24の前奏曲」、ブラームスでは「交響曲第1番」とあったが、モーツァルト、ベートーヴェンについては文中に記載がない。

この二人、クラシック音楽を語るときに絶対外せない存在だがあまりに代表作と目される優れた作品が多すぎて絞り込めなかったのだろうか。

しかし、衆目の一致するところベートーヴェンは「第九交響曲」だと思う。

問題はモーツァルトで、こればかりは難しい。交響曲、協奏曲、ピアノソナタ、オペラ、宗教曲いずれの分野でも代表作に値する作品が目白押し。結局、あえて挙げないほうが多作家で正体不明の感があるモーツァルトらしくていいのかもしれない。

                 
           
             


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