伊藤ファミリーBLOG

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【今日の聖句】 2019/08/24

2019-08-24 06:45:10 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 12:1 新共同訳

こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、

信仰の先達たちが命懸けで守り抜いてきた尊い信仰を私たちは受け継いでいるのですから、悪の攻撃にひるむことなく、信仰に堅く立って、神の賜る永遠のいのちを目指して信仰の生涯を走り抜く私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/heb.12.1.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/23

2019-08-23 08:00:06 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 21:1-6

「これはあなたが彼らの前に示すべきおきてである。 あなたがヘブルびとである奴隷を買う時は、六年のあいだ仕えさせ、七年目には無償で自由の身として去らせなければならない。 彼がもし独身できたならば、独身で去らなければならない。もし妻を持っていたならば、その妻は彼と共に去らなければならない。 もしその主人が彼に妻を与えて、彼に男の子また女の子を産んだならば、妻とその子供は主人のものとなり、彼は独身で去らなければならない。 奴隷がもし『わたしは、わたしの主人と、わたしの妻と子供を愛します。わたしは自由の身となって去ることを好みません』と明言するならば、 その主人は彼を神のもとに連れて行き、戸あるいは柱のところに連れて行って、主人は、きりで彼の耳を刺し通さなければならない。そうすれば彼はいつまでもこれに仕えるであろう。」

モーセの十戒は神が私たちに望んでおられる基本的な指針を示したもので、具体的な事例を挙げて、主の戒めを実践することを教えられました。その基本的な精神は、愛と憐れみです。当時、家畜や物と同様に扱われていた奴隷に対し、その人格を尊重し、憐れみの心をもって接すべきことを教えられました。特に同族のヘブル人が奴隷となった場合には、7年目には無償で奴隷の身から解放するべきことを定められました。これは7年毎の安息年、そして50年目毎にすべての負債を帳消しにするヨベルの年の考え方にも通じるものです。なぜなら、この世のものはすべて自分のものではなく神様のものであり、私たちがこの世に生を受けている期間だけ、神様から管理を委ねられているだけに過ぎない、という基本的な考え方に基づいたものです。しかし奴隷となった者が自分の意志で主人の下に仕え続ける場合について言及されていますが、これは私たちの主との関係に通じるものです。主イエスの十字架によって罪購われた私たちは、自分の意志で、主イエスに仕える僕となった者です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.21.1-6.ja1955

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出エジプト記 21:7-11

「もし人がその娘を女奴隷として売るならば、その娘は男奴隷が去るように去ってはならない。 彼女がもし彼女を自分のものと定めた主人の気にいらない時は、その主人は彼女が、あがなわれることを、これに許さなければならない。彼はこれを欺いたのであるから、これを他国の民に売る権利はない。 彼がもし彼女を自分の子のものと定めるならば、これを娘のように扱わなければならない。 彼が、たとい、ほかに女をめとることがあっても、前の女に食物と衣服を与えることと、その夫婦の道とを絶えさせてはならない。 彼がもしこの三つを行わないならば、彼女は金を償わずに去ることができる。」

神はさらに、奴隷の子として生まれた女性についても言及されました。当時の社会では女性の奴隷は物以下、家畜以下の扱いを受けていましたから、自分の娘と同様に扱うようにとの教えは、実に驚嘆に値するものです。この中にも神の愛と憐れみの精神、人は生まれながらにして自由の身であるべきことを教えたものです。神の視点は常に人格を尊重するものです。

https://www.bible.com/bible/81/exo.21.7-11.ja1955

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出エジプト記 21:12-17

「人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない。 しかし、人がたくむことをしないのに、神が彼の手に人をわたされることのある時は、わたしはあなたのために一つの所を定めよう。彼はその所へのがれることができる。 しかし人がもし、ことさらにその隣人を欺いて殺す時は、その者をわたしの祭壇からでも、捕えて行って殺さなければならない。 自分の父または母を撃つ者は、必ず殺されなければならない。 人をかどわかした者は、これを売っていても、なお彼の手にあっても、必ず殺されなければならない。 自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。」

殺人は最も重大な罪です。なぜなら人にいのちを賜るのは神の領域であり、同じように神からいのちを受けた私たちには人のいのちを奪う権利などないからです。しかし殺意を抱いたものではなく、過失によって人を殺めてしまった場合については、神はその加害者のいのちに対しても手厚い保護を設けられました。そして殺人と同列に挙げられているのが、自分を産み育ててくれた両親に対する悪意や暴力と、人を誘拐することです。いずれもいのちの尊厳、人格の尊重に基づいた基本的な考え方です。人が人であるために、私たちは人のいのちと人格を何よりも重んじなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.21.12-17.ja1955

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出エジプト記 21:18-27

「人が互に争い、そのひとりが石または、こぶしで相手を撃った時、これが死なないで床につき、 再び起きあがって、つえにすがり、外を歩くようになるならば、これを撃った者は、ゆるされるであろう。ただその仕事を休んだ損失を償い、かつこれにじゅうぶん治療させなければならない。 もし人がつえをもって、自分の男奴隷または女奴隷を撃ち、その手の下に死ぬならば、必ず罰せられなければならない。 しかし、彼がもし一日か、ふつか生き延びるならば、その人は罰せられない。奴隷は彼の財産だからである。 もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば、ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ、裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。 しかし、ほかの害がある時は、命には命、 目には目、歯には歯、手には手、足には足、 焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。 もし人が自分の男奴隷の片目、または女奴隷の片目を撃ち、これをつぶすならば、その目のためにこれを自由の身として去らせなければならない。 また、もしその男奴隷の一本の歯、またはその女奴隷の一本の歯を撃ち落すならば、その歯のためにこれを自由の身として去らせなければならない。」

「目には目を、歯には歯を」との教えは、一般的にはハムラビ法典に起因する報復に関する教えとみなされていますが、聖書の中では意味する内容が全く正反対です。神様は私たちに、罪や過失は必ず償わなければならないこと、そしてその基準について教えるために、この規定を定められました。神の視点は常に弱い者、被害を受けた側を守ることにあります。すべての人々が聖書の神の基準に従うならば、無益な報復の繰り返しもなくなり、この世に真の平和を実現することができます。

https://www.bible.com/bible/81/exo.21.18-27.ja1955

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出エジプト記 21:28-36

「もし牛が男または女を突いて殺すならば、その牛は必ず石で撃ち殺されなければならない。その肉は食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は罪がない。 牛がもし以前から突く癖があって、その持ち主が注意されても、これを守りおかなかったために、男または女を殺したならば、その牛は石で撃ち殺され、その持ち主もまた殺されなければならない。 彼がもし、あがないの金を課せられたならば、すべて課せられたほどのものを、命の償いに支払わなければならない。 男の子を突いても、女の子を突いても、この定めに従って処置されなければならない。 牛がもし男奴隷または女奴隷を突くならば、その主人に銀三十シケルを支払わなければならない。またその牛は石で撃ち殺されなければならない。 もし人が穴をあけたままに置き、あるいは穴を掘ってこれにおおいをしないために、牛または、ろばがこれに落ち込むことがあれば、 穴の持ち主はこれを償い、金をその持ち主に支払わなければならない。しかし、その死んだ獣は彼のものとなるであろう。 ある人の牛が、もし他人の牛を突いて殺すならば、彼らはその生きている牛を売って、その価を分け、またその死んだものをも分けなければならない。 あるいはその牛が以前から突く癖のあることが知られているのに、その持ち主がこれを守りおかなかったならば、その人は必ずその牛のために牛をもって償わなければならない。しかし、その死んだ獣は彼のものとなるであろう。」

神は人だけでなく、その所有する家畜が犯した過ちについても教えられました。それはこの世において起きた事件の責任の所在を明らかにし、人類が神が造られたこの世界を正しく治めるための基本的な考え方に基づいています。私たちは自分の利益や欲望を実現するために生きているのではなく、神の御心をこの世に実現するために生きているのだということを忘れてはなりません。私たち人間に与えられた高度な知恵や管理能力は、そのために備わっているのだということを、私たちは常に心に留めて、自らの言動に責任をもって、公明正大に日々の生活を送ることが、神に喜ばれる生き方です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.21.28-36.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/23

2019-08-23 05:30:51 | 今日の聖句
ホセア書 6:6 新共同訳

わたしが喜ぶのは
愛であっていけにえではなく
神を知ることであって
焼き尽くす献げ物ではない。

人の心の内を見られる神は、全焼の生贄を捧げることよりも、心から神を畏れ、愛し仕えることを喜ばれます。形式的・儀礼的な礼拝、見せかけの愛で神を欺くことなく、神を畏れ敬い、心の底から神を愛し、喜んで御言葉に聞き従う私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/hos.6.6.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/22

2019-08-22 07:55:17 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 20:1-6

神はこのすべての言葉を語って言われた。 「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。」

イスラエル全会衆の目の前でシナイ山に降られた神は、モーセに十戒を授けられました。十戒の精神は、決して○○してはならないという禁止条項を並べ立てたものではなく、私たちが神の恵みの中で真にさいわいな生涯を歩むための秘訣として勧められた人生の処方箋です。だからこそ前文として「わたしはあなたを奴隷から導き出した神である」と始まり、「私の戒めを守る者には恵みを施して千代に至る」と、自由と祝福を約束してくださいました。私たちをねたむほどに愛してやまない神の切なる愛を知り、この神を差し置いて自分の好き勝手な神々を作って拝むことなく、心から喜んでまことの神の戒めを守り、御言葉に聞き従う私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.20.1-6.ja1955

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出エジプト記 20:7-11

「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。 安息日を覚えて、これを聖とせよ。 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。」

神の神聖を冒すこと、神を侮ることは、神よりも自分の方が上位に立つこと、神を否定することに等しき大罪です。真に神を畏れるならば、神を侮辱するような言葉を口にすることさえはばかられるはずです。親しき仲にも礼儀あり、私たちは礼節を保って神と接することが肝要です。また天地創造の折、神は第7日目に安息を創造されたと解釈することもできます。神の定められた安息日を守ることは、神の恵みを覚えて感謝する一日を過ごすと同時に、私たちが働きづめで健康を害することのないようにとの神のご配慮でもあります。現在のキリスト教会では週の始めの日、日曜日を主の日として礼拝を捧げていますが、神を覚えて一日を聖別することは、私たちがいつまでも健康でさいわいな生涯を歩むための秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.20.7-11.ja1955

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出エジプト記 20:12-17

「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。 あなたは殺してはならない。 あなたは姦淫してはならない。 あなたは盗んではならない。 あなたは隣人について、偽証してはならない。 あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。

モーセの十戒は、第四戒までは神に対する戒め、第五戒からは対人関係の戒めとして構成されています。その筆頭に父と母を敬えとありますが、ここにもあなたがたが長寿を全うすることができるようにとの神の配慮が記されています。後に続く戒めは、この世の様々な国々の法律の基本にもなっている倫理的、道徳的な戒めです。神のかたちに造られた人間が真に人間らしく、人として真っ当な存在となるために、そして神の御心に適う人間社会を形成するために、十戒は最も基本的なガイドラインとして守るべきものです。

https://www.bible.com/bible/81/exo.20.12-17.ja1955

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出エジプト記 20:18-26

民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。 彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」。 モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。 そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。 主はモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々にこう言いなさい、『あなたがたは、わたしが天からあなたがたと語るのを見た。 あなたがたはわたしと並べて、何をも造ってはならない。銀の神々も、金の神々も、あなたがたのために、造ってはならない。 あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたの燔祭、酬恩祭、羊、牛をささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。 あなたがもしわたしに石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それをけがすからである。 あなたは階段によって、わたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである』。

神はイスラエル全会衆の目の前でモーセと語り、十戒を授けられました。それは単に人の恐怖心をあおるものではなく、神の民イスラエルが真に神を畏れる心を持つようになるためです。人は畏れるべき者を畏れなくなるとき、何事も自分勝手、自分本位に解釈し、如何様にも罪を犯してしまう、実に不遜で愚かな存在です。現代社会において犯罪の増加、深刻化が進んでいるのも、教育において真に畏れるべき者の不在化が挙げられます。権威に従うことを嫌い、守るべきルールを破っても問題視せず、むしろそれらを正当化し、美化する風潮は、実に憂慮すべき事態です。天地万物を造り、生きとし生けるものにいのちを授け、私たち人間に心を授けてこの世を治めようとされたまことの神を畏れかしこみ、主に喜ばれる真に祝福された生涯を歩ませていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.20.18-26.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/22

2019-08-22 05:25:47 | 今日の聖句
フィリピの信徒への手紙 4:19 新共同訳

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

私たちの必要をすべてご存じであられる主は、ご自身が造られた天地万物の中から惜しみなく与えてくださらないはずがありません。必要ことごと供え賜う神にあって満ち足りることを知る私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/php.4.19.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/21

2019-08-21 07:55:36 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 19:1-8

イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。 すなわち彼らはレピデムを出立してシナイの荒野に入り、荒野に宿営した。イスラエルはその所で山の前に宿営した。 さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、 『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。 それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。 それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、 民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。

エジプトから脱出して3ヶ月目に、イスラエルの民はシナイの荒野に入り、シナイ山の麓に宿営しました。モーセが山に登ると、神は全イスラエルに対し、奴隷生活から救い出された神の大いなる御業を見たあなたがたが、わたしの言葉を聞いて守り行うならば、あなたがたをわたしの宝の民、祭司の国、聖なる民とすると告げられ、全イスラエルの意志を問われました。神はいつでも、なにをするにしても、私たちの意志を問われます。私たちが神を信じるのも信じないのも、私たちの側の意志です。神は目には見えなくとも永遠に存在されるお方ですが、その存在を認めるのも認めないのも、私たちの側の意志です。主の御言葉を聞いて従うのも従わないのも、私たちの側の自由意志によります。しかし、信じます、主に従いますと答えた者には、神は限りない祝福をもって私たちを宝の民、祭司の国、聖なる民としてくださいます。

https://www.bible.com/bible/81/exo.19.1-8.ja1955

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出エジプト記 19:9-15

主はモーセに言われた、「見よ、わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨むであろう。それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである」。モーセは民の言葉を主に告げた。 主はモーセに言われた、「あなたは民のところに行って、きょうとあす、彼らをきよめ、彼らにその衣服を洗わせ、 三日目までに備えさせなさい。三日目に主が、すべての民の目の前で、シナイ山に下るからである。 あなたは民のために、周囲に境を設けて言いなさい、『あなたがたは注意して、山に上らず、また、その境界に触れないようにしなさい。山に触れる者は必ず殺されるであろう。 手をそれに触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、射殺されるであろう。獣でも人でも生きることはできない』。ラッパが長く響いた時、彼らは山に登ることができる」と。 そこでモーセは山から民のところに下り、民をきよめた。彼らはその衣服を洗った。 モーセは民に言った、「三日目までに備えをしなさい。女に近づいてはならない」。

主に従う決意を表明した全イスラエルに対し、主は3日の内に衣服を洗い、身をきよめて主と出会う備えをさせるようにと、モーセに命じました。それは全イスラエルに神がモーセと語り合う場を直接見せて、彼らが神を畏れ、信じ続けることができるようにするためでした。また神は、シナイ山との間に境界線を設け、イスラエルの民が神の領域にみだりに触れて死ぬことのないようにと配慮されました。本来、人間は聖なる神と直接触れあうことなどできない、罪に汚れた存在です。にもかかわらず神は私たちを召して、聖なる民、神と人との仲立ちとなる祭司の国、受ける資格など本来ない私たちを宝の民としてくださいます。神と人との間の断絶は死をもってして然るべきものであるのに、神は私たちを召してくださったのですから、大いなる畏敬の念と心からの感謝と真実な信仰をもって、どこまでも神にお従いする者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/exo.19.9-15.ja1955

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出エジプト記 19:16-25

三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。 ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。 主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。 主はモーセに言われた、「下って行って民を戒めなさい。民が押し破って、主のところにきて、見ようとし、多くのものが死ぬことのないようにするためである。 主に近づく祭司たちにもまた、その身をきよめさせなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。 モーセは主に言った、「民はシナイ山に登ることはできないでしょう。あなたがわたしたちを戒めて『山のまわりに境を設け、それをきよめよ』と言われたからです」。 主は彼に言われた、「行け、下れ。そしてあなたはアロンと共に登ってきなさい。ただし、祭司たちと民とが、押し破って主のところに登ることのないようにしなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。 モーセは民の所に下って行って彼らに告げた。

イスラエルの民が身をきよめて神と出会う備えをしてから3日後に、神はシナイ山の頂に降られました。その様子はまるで激しいゲリラ豪雨が降るときのよう、分厚い雲の中で雷鳴と稲妻が轟き渡り、シナイ山は全山雲に包まれて、噴火する火山のように煙が立ち上り、震え動き、全イスラエルは恐怖のあまり死んでしまうと思うほど、圧倒的な権威を示されました。神は山の頂からモーセを呼び、モーセが山に登ると、イスラエルの民が興味本位で山に押し入って、神のきよさに触れて死ぬことのないように戒めなさいと命じられました。モーセは既に民が山に近付くことのないように境界線を設け、民もまた恐怖に震えているから大丈夫ですと答えましたが、神はそれでも行きなさいと命じ、モーセは従いました。何度も山頂と麓を往復したモーセの忠実さとは対照的に、多くの民は神の真実な御姿を口で言うほど身にしみて理解しておらず、まるで珍しい見せ物を見るかの如く、みだりに神のきよさに触れてしまう、鈍くて愚かな存在です。親しき仲にも礼儀ありという言葉の如く、私たちは神のきよさを真に畏れ敬うべきことを、骨の髄から身に染みて知り置かなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.19.16-25.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/21

2019-08-21 06:45:11 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 10:10 新共同訳

盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。

自分が幸せになるためには人を蹴落としてでも這い上がろうとする世知辛いこの世の論理とは異なり、主イエスは互いに愛し合うことによりまことのさいわいを得ることを教えられました。羊のために命を捨てるほど私たちを愛してくださった主イエスの愛を受けて、永遠のいのちをいただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/jhn.10.10.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/20

2019-08-20 07:55:16 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 18:1-5

さて、モーセのしゅうと、ミデアンの祭司エテロは、神がモーセと、み民イスラエルとにされたすべての事、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。 それでモーセのしゅうと、エテロは、さきに送り返されていたモーセの妻チッポラと、 そのふたりの子とを連れてきた。そのひとりの名はゲルショムといった。モーセが、「わたしは外国で寄留者となっている」と言ったからである。 ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神はわたしの助けであって、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。 こうしてモーセのしゅうと、エテロは、モーセの妻子を伴って、荒野に行き、神の山に宿営しているモーセの所にきた。

かつてモーセがエジプト王の追っ手から逃れて身を寄せたしゅうとに当たるミデアン人の祭司エテロは、神がイスラエルの民をエジプトから脱出させされたとの知らせを聞いて、先に里帰りしていたモーセの妻子を連れて神の山ホレブの前に宿営しているモーセの元にきました。モーセの子でありエテロの孫にあたる子の名は、モーセが異国の地に寄留していたこと、神が助けてエジプトの支配から解放してくださることを記念する名前でした。私たちの名前にも、両親の想いや信仰が反映されています。名前を呼ぶ毎に神の恵みと憐れみを思い起こすことができるならば素晴らしいことです。

https://www.bible.com/bible/81/exo.18.1-5.ja1955

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出エジプト記 18:6-12

その時、ある人がモーセに言った、「ごらんなさい。あなたのしゅうと、エテロは、あなたの妻とそのふたりの子を連れて、あなたの所にこられます」。 そこでモーセはしゅうとを出迎えて、身をかがめ、彼に口づけして、互に安否を問い、共に天幕にはいった。 そしてモーセは、主がイスラエルのために、パロとエジプトびととにされたすべての事、道で出会ったすべての苦しみ、また主が彼らを救われたことを、しゅうとに物語ったので、 エテロは主がイスラエルをエジプトびとの手から救い出して、もろもろの恵みを賜わったことを喜んだ。 そしてエテロは言った、「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトびとの手と、パロの手から救い出し、民をエジプトびとの手の下から救い出された。 今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。 そしてモーセのしゅうとエテロは燔祭と犠牲を神に供え、アロンとイスラエルの長老たちもみなきて、モーセのしゅうとと共に神の前で食事をした。

モーセの下に来た神の祭司エテロは、神が数々の奇跡をもってイスラエルの民をエジプトの支配から救い出してくださったことを、モーセの口を通して聞いて喜び、神に向かって感謝を捧げ、主の偉大なる御名をほめたたえました。そして祭司の務めとして神に燔祭と犠牲を備え、アロンとイスラエルの長老たちと共に神の御前で会食を行いました。主を喜ぶことは私たちの力となります。また神の成し遂げられた奇跡や御業を語ることは、感謝と礼拝をもって私たちを神に近付かせ、親しき交わりの中に加えさせてくださいます。

https://www.bible.com/bible/81/exo.18.6-12.ja1955

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出エジプト記 18:13-20

あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。 モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。 モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。 彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。 モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。 あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。 今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。 あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。」

いと高き神の祭司である舅のエテロとの再会を喜んだのも束の間、翌日モーセは朝から晩まで、イスラエルの民から寄せられる苦情や訴えに対して神の御心を伺い、仲裁する働きをしていました。その様子を見ていた舅のエテロは、このままではモーセもイスラエルの民も疲弊してしまうと案じ、モーセにしかできない働き、すなわち神と直接対話し、御心を伺い、民に教える働きに専念するようにと適切な助言を与えました。神の働きは尊いものですが、何でもかんでも自分一人で完結しようと、孤軍奮闘するだけでは十分に機能しません。自分のなすべき分を知ることも、正しい信仰を保つ上で私たちに必要なことです。

https://www.bible.com/bible/81/exo.18.13-20.ja1955

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出エジプト記 18:21-27

「また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。 平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。 あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。 モーセはしゅうとの言葉に従い、すべて言われたようにした。 すなわち、モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、民の上に長として立て、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした。 平素は彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセに持ってきたが、小さい事件はすべて彼らみずからさばいた。 こうしてモーセはしゅうとを送り返したので、その国に帰って行った。

さらにエテロは、民の中から神を恐れ、聖日で潔白な知恵に満ちた有能な人々を選出し、それぞれの能力に応じて民を裁かせるようにとモーセに助言しました。モーセはエテロの忠告に聞き従い、民の訴えを判断し処理する長を置いて、分業体制を敷きました。これは新約の時代にも、12弟子と7人の執事が選出されたように、今日の教会にも受け継がれている協業体制の原型です。神の御心に適うものであるならば、この世の知恵もきよめて用いることで、多くの人々の間の調和を保つことができます。同時に、人は一人で生きているのではなく、すべての人がその分に応じて協力し合い、一致することこそ、神の願っておられる人間社会のあり方です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.18.21-27.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/20

2019-08-20 05:40:55 | 今日の聖句
マタイによる福音書 6:7-8 新共同訳

「また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。 彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。」

天にいます父なる神は全知全能なるお方ですから、私たちの必要も、心の願いも、祈る前からすべてご存じです。言葉数は少なくとも、神は必ず祈りに答えてくださるとの強い確信をもって、あきらめることなく、神の最善を祈り続ける私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.6.7-8.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/19

2019-08-19 07:40:27 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 17:1-3

イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。 それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。 民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。

メラで飲み水がないとつぶやき、シンの荒野で食料がないとつぶやいたイスラエルの民は、今度はレピデムの宿営地でも水がないと言ってモーセと争いました。モーセはなぜ主を試みるのかと答えましたが、エジプトから荒野に連れ出して死なせようとしているのかと食ってかかりました。人の心は変わりやすく、目の前の出来事に振り回さて、過去の経験や恵みを忘れやすいことを覚えます。これは神はよいお方だという基本的信頼がない者の特徴です。神は私たちに常に最善をなさるお方であると確信する者は、目の前の些細なことに動じることなく、神を待ち望むことができます。

https://www.bible.com/bible/81/exo.17.1-3.ja1955

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出エジプト記 17:4-7

このときモーセは主に叫んで言った、「わたしはこの民をどうすればよいのでしょう。彼らは、今にも、わたしを石で打ち殺そうとしています」。 主はモーセに言われた、「あなたは民の前に進み行き、イスラエルの長老たちを伴い、あなたがナイル川を打った、つえを手に取って行きなさい。 見よ、わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つであろう。あなたは岩を打ちなさい。水がそれから出て、民はそれを飲むことができる」。モーセはイスラエルの長老たちの目の前で、そのように行った。 そして彼はその所の名をマッサ、またメリバと呼んだ。これはイスラエルの人々が争ったゆえ、また彼らが「主はわたしたちのうちにおられるかどうか」と言って主を試みたからである。

飲み水がないと騒ぎ立てるイスラエルの人々の訴えに対し、モーセは、この民にどのように対処したらよいかと、神に向かって解決策を求めました。すると神はモーセの手にある杖を用いて、岩を打つと水があふれ流れ出ました。様々な問題に直面するとき、この世の人々は人や組織に解決策を求めますが、真の解決策を知っている人は神に求めます。求めよ、さらば与えられん、との御言葉の通り、神に求める者だけが真の解決策を与えられ、自分のものとすることができます。

https://www.bible.com/bible/81/exo.17.4-7.ja1955

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出エジプト記 17:8-13

ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。 モーセはヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。 ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。 モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。 しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。 ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。

飲み水を得ることができて喜んだのも束の間、今度はアマレク人の襲撃を受けました。そこでモーセは、後にイスラエルを導くリーダーとなるヨシュアを召し出して、アマレク人と戦うように命じました。そして自らは戦況が一望できる高い丘の頂に立ち、主に向かって両手を上げて戦勝を祈願しました。そしてモーセが手を挙げている間はイスラエルが優勢になりましたが、だんだん疲れて手が下がるとアマレクが優勢になりました。そこでアロンとホルが両手を支えると、モーセは戦いの間中祈り続けることができ、ヨシュアはアマレクに勝利することができました。私たちの戦いは人の力によるものではなく神の力によるものであり、その神の力を引き出すのは背後の祈りです。たとい私たちが疲れ果てて、祈ることも続けられなくなったとき、同じ信仰の仲間たちの助けがどれほど励みとなるでしょう。互いに祈り合い、支え合って共に神の栄光に与らせていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.17.8-13.ja1955

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出エジプト記 17:14-16

主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。 モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。 そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。

最前線に出て戦ったヨシュアに対し、神はモーセにこの出来事を書物に著して、どうして勝利できたのか、背後の祈りの重要性を教えるために、記録として残すように命じられました。そして長旅で疲れ切っているイスラエルを背後から襲ったアマレク人に対しては、その記憶を完全に消し去ると宣告されました。事実、アマレクという民族は旧約時代に完全に消滅してしまいました。神に逆らい、神の民に対して容赦なく襲う者には、神もまた容赦されないことを、私たちは記憶しておく必要があります。

https://www.bible.com/bible/81/exo.17.14-16.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/19

2019-08-19 05:25:01 | 今日の聖句
ダニエル書 12:3 新共同訳そ

目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。

この世の終わりの時、正しい信仰を守り抜いた人々は太陽のように輝き、人々を救いに導いた人々は夜空の星のように永遠の輝きを放ちます。いかなる試練に遭おうとも最後までサタンに屈することなく、世の光、地の塩となって神の義と愛を証し、やがて神より永遠の輝きを放つ栄冠を戴く私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/dan.12.3.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/18

2019-08-18 14:45:20 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 16:1-5

イスラエルの人々の全会衆はエリムを出発し、エジプトの地を出て二か月目の十五日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきたが、 その荒野でイスラエルの人々の全会衆は、モーセとアロンにつぶやいた。 イスラエルの人々は彼らに言った、「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。 そのとき主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたがたのために、天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを試みよう。 六日目には、彼らが取り入れたものを調理すると、それは日ごとに集めるものの二倍あるであろう」。

飲み水がないためにメラでつぶやいたイスラエルの民は、オアシスの町エリムを出立してシナイ半島の中程にあるシンの荒野に到着すると、今度は食料がないと言ってモーセとアロンにつぶやきました。しかもエジプトでは飽きるほどパンと肉を食べていたと、奴隷生活にはあり得なかったことを言い出す始末でした。しかし神はイスラエルの民の窮乏を心に留め、天からパンを降らせると告げられました。人にいのちを与えられた神は、人が生きるために最低限必要なものはすべて備えてくださるお方です。この主に信頼して人生のすべてをお委ねする私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.16.1-5.ja1955

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出エジプト記 16:6-10

モーセとアロンは、イスラエルのすべての人々に言った、「夕暮には、あなたがたは、エジプトの地からあなたがたを導き出されたのが、主であることを知るであろう。 また、朝には、あなたがたは主の栄光を見るであろう。主はあなたがたが主にむかってつぶやくのを聞かれたからである。あなたがたは、いったいわれわれを何者として、われわれにむかってつぶやくのか」。 モーセはまた言った、「主は夕暮にはあなたがたに肉を与えて食べさせ、朝にはパンを与えて飽き足らせられるであろう。主はあなたがたが、主にむかってつぶやくつぶやきを聞かれたからである。いったいわれわれは何者なのか。あなたがたのつぶやくのは、われわれにむかってでなく、主にむかってである」。 モーセはアロンに言った、「イスラエルの人々の全会衆に言いなさい、『あなたがたは主の前に近づきなさい。主があなたがたのつぶやきを聞かれたからである』と」。 それでアロンがイスラエルの人々の全会衆に語ったとき、彼らが荒野の方を望むと、見よ、主の栄光が雲のうちに現れていた。

神の言葉を聞いたモーセとアロンは、イスラエルの民を召集して、なぜイスラエルの民は自分に向かってつぶやくのかと
主が自分たちのつぶやきを聞かれ、食事を備えてくださると告げました。するとそのとき荒野の方向には神の栄光が雲の内に現れ、神がイスラエルと共に進むべき道に歩んでくださり、ご臨在くださることを証されました。たとい私たちの前途は多難であっても、主が共にいてくださるならば恐れる必要はありません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.16.6-10.ja1955

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出エジプト記 16:11-18

主はモーセに言われた、 「わたしはイスラエルの人々のつぶやきを聞いた。彼らに言いなさい、『あなたがたは夕には肉を食べ、朝にはパンに飽き足りるであろう。そうしてわたしがあなたがたの神、主であることを知るであろう』と」。 夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。 その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。 イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。 主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。 イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。 しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。

イスラエルの民のつぶやきを聞かれた主は、彼らの言葉通り、夕方にはうずらの肉で飽きたらせ、朝には天から下ってきたパンによって飽き足りるようにされました。神が天から降らせたパンは、家族毎にその人数に従って一人一オメルずつ集めても、余る者も足りない者もなく、必要な分だけ食料が与えられました。神は私たちの具体的な祈りに一字一句違わずに叶えてくださるお方であり、一人一人の必要に応じて必要な分だけ与えてくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.16.11-18.ja1955

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出エジプト記 16:19-30

モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。 しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。 彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。 六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、 モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。 彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。 モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。 六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。 ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。 そこで主はモーセに言われた、「あなたがたは、いつまでわたしの戒めと、律法とを守ることを拒むのか。 見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに六日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、七日目にはその所から出てはならない」。 こうして民は七日目に休んだ。

神が天から降らせたパンは、毎朝必要な分だけを集めるよう、モーセはイスラエルの民に命じました。しかし中には横着をして二日分を集めた者がいましたが、昼になると腐って虫が付いてしまいました。そこでモーセは神のご命令に従わなかった民に向かって怒りました。しかし神は週の6日目にはいつもより倍の量のパンを降らせ、民にも2日分の量を集めるようにと命じられました。そして6日目に集めたパンだけは、翌日になっても腐ることも虫が付くこともありませんでした。これは神の恵みは必要な分だけ備えられること、日毎の糧は日毎に求めるべきこと、そして安息日を神のための聖なる日として守るべきことをイスラエルの民に定着させるための神の強い意志の表れです。私たちも毎日、御言葉を読み祈る、デボーションの習慣を身に付けることが大切です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.16.19-30.ja1955

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出エジプト記 16:31-36

イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。 モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。 そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。 そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。 イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた。 一オメルは一エパの十分の一である。

イスラエルの民を養うために毎朝与えてくださった天からのパンを、人々はマナと名付けました。その名は15節にある「これは何であろう」と人々が言った言葉のヘブル語読みに由来します。そしてモーセはマナを後世の人々に伝えるために、壷にとって神のあかしの箱の前に置きました。森永製菓の商品に「マンナ」というお菓子がありますが、これも聖書のマナに由来して命名されました。神はイスラエルが草一本生えていない荒野を旅した40年間、一日たりとも休むことなく、マナをもってイスラエルの民を養われました。人にいのちを授けられた神は、生存の保証をされるお方、生きるための基本的欲求を満たされるお方、責任をもっていのちを守ってくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.16.31-36.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/18

2019-08-18 06:25:40 | 今日の聖句
箴言 序‬ ‭17:22‬ ‭新共同訳‬‬

喜びを抱く心はからだを養うが
霊が沈みこんでいると骨まで枯れる。

病は気からとも言われるように、心の憂いは心身共に健康を害する要因となります。いつも喜びが絶えないように、すべてのことを神に感謝し、身も心も健全な状態を保つ私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/pro.17.22.新共同訳
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【COGHCC聖書通読】 2019/08/17

2019-08-17 23:05:37 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 15:1-5

そこでモーセとイスラエルの人々は、この歌を主にむかって歌った。彼らは歌って言った、「主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。 主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。 主はいくさびと、その名は主。 彼はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれた、そのすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ。 大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵に下った。」

主がエジプト人を海の中に投げ込まれて滅幌ぼされた様を目の当たりにしたイスラエル人は、歌声をあげて主の御名と、その大いなる救いの御業をほめたたえました。主が私たちのために成し遂げてくださった大いなる御業を経験したとき、直ちに主に向かって讃美し、その御名をほめたたえることこそ、神を信じる者に相応しい感謝の心の表現方法です。私たちの日常生活の中で、自然と讃美の歌声が上がるような、霊に満たされた素晴らしい日々になりますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.15.1-5.ja1955

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出エジプト記 15:6-10

「主よ、あなたの右の手は力をもって栄光にかがやく、主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。 あなたは大いなる威光をもって、あなたに立ちむかう者を打ち破られた。あなたが怒りを発せられると、彼らは、わらのように焼きつくされた。 あなたの鼻の息によって水は積みかさなり、流れは堤となって立ち、大水は海のもなかに凝り固まった。 敵は言った、『わたしは追い行き、追い着いて、分捕物を分かち取ろう、わたしの欲望を彼らによって満たそう、つるぎを抜こう、わたしの手は彼らを滅ぼそう』。 あなたが息を吹かれると、海は彼らをおおい、彼らは鉛のように、大水の中に沈んだ。」

海を真っ二つに分ける大いなる奇跡により、神が追いつめられた自分たちが救われたと同時に、追撃するエジプトの軍勢が目の前で滅ぼされたことを目の当たりにして、イスラエルの民は神の御名をほめたたえ、讃美の歌を捧げました。彼らの捧げた讃美は、まず神が何をしてくださったのかを告白し、その素晴らしさを豊かな比喩的表現で言い表しています。これはイスラエルの民の筆舌に尽くせない感謝の気持ちの表れです。私たちもまた考えつく限りあらゆる褒め言葉をもって神の栄光をほめたたえる、表現豊かな信仰者とならせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/81/exo.15.6-10.ja1955

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出エジプト記 15:11-18

「主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、ほむべくして恐るべきもの、くすしきわざを行うものであろうか。 あなたが右の手を伸べられると、地は彼らをのんだ。 あなたは、あがなわれた民を恵みをもって導き、み力をもって、あなたの聖なるすまいに伴われた。 もろもろの民は聞いて震え、ペリシテの住民は苦しみに襲われた。 エドムの族長らは、おどろき、モアブの首長らは、わななき、カナンの住民は、みな溶け去った。 恐れと、おののきとは彼らに臨み、み腕の大いなるゆえに、彼らは石のように黙した、主よ、あなたの民の通りすぎるまで、あなたが買いとられた民の通りすぎるまで。 あなたは彼らを導いて、あなたの嗣業の山に植えられる。主よ、これこそあなたのすまいとして、みずから造られた所、主よ、み手によって建てられた聖所。 主は永遠に統べ治められる」。

イスラエルの民はこの時点ではエジプトを出発したばかりで、目指す約束の地はまだまだはるか彼方にありました。それでも彼らはすでに、ペリシテ、エドム、モアブ、カナンの先住民族を打ち破ると告白しています。これは預言的な讃美であり、言葉に言い表したことは必ず実現するという、先取りの信仰の表れです。現実に目に見えていることを言い表すことは単なる確認であり、誰にでもできますが、まだ自分の目に見ていないことを言い表すことこそ、まことの信仰です。ヘブル人への手紙11章に「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」とあるように、まだ現実のものとなる前から、神の約束は必ず成就すると確信をもって自分の口で公に言い表すことこそ、素晴らしい信仰です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.15.11-18.ja1955

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出エジプト記 15:19-21

パロの馬が、その戦車および騎兵と共に海にはいると、主は海の水を彼らの上に流れ返らされたが、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行った。 そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムはタンバリンを手に取り、女たちも皆タンバリンを取って、踊りながら、そのあとに従って出てきた。 そこでミリアムは彼らに和して歌った、「主にむかって歌え、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた」。

再び神のなされた奇跡を振り返りつつ、モーセの姉ミリアムが他の女性たちと共に、タンバリンを手に取り、踊りながら讃美の歌声を捧げました。踊りもまた神に対する感謝の気持ちを表現する方法の一つです。あらゆる芸術を神のために、栄光を主に帰するために、きよめて用いていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.15.19-21.ja1955

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出エジプト記 15:22-27

さて、モーセはイスラエルを紅海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野に入り、三日のあいだ荒野を歩いたが、水を得なかった。 彼らはメラに着いたが、メラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、その所の名はメラと呼ばれた。 ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」。 モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった。その所で主は民のために定めと、おきてを立てられ、彼らを試みて、 言われた、「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。 こうして彼らはエリムに着いた。そこには水の泉十二と、なつめやしの木七十本があった。その所で彼らは水のほとりに宿営した。

イスラエルの民は、航海を渡る大いなる奇跡を経験しながら、そのわずか3日後には飲み水がないと言って神につぶやきました。三日坊主ともいわれますが、人の心は熱しやすく冷めやすい、実にご都合主義的な存在です。にもかかわらず神はモーセに、一本の木をもってメラの苦い水を飲むに適した水へと変える奇跡を行ったばかりか、多くの泉の湧く豊かな実りの町、オアシスへと導かれました。何かと文句をつけつぶやきやすい私たちですが、神はそんな不誠実な私たちをも豊かに祝福し、その命をつないで生かしてくださるお方です。

https://www.bible.com/bible/81/exo.15.22-27.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/17

2019-08-17 07:30:19 | 今日の聖句
ヘブライ人への手紙 13:8 新共同訳

イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。

この世のものは皆、時と共に移ろい変わり行くものですが、世のはじめから神と共におられるイエス・キリストは、世の終わりまで変わることのないお方です。永遠に変わることのないエイスの御言葉に土台を据えて、揺るぎない人生の指針とする私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/heb.13.8.新共同訳
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