伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/08/09

2019-08-09 07:40:12 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 7:1-7

主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする。あなたの兄弟アロンはあなたの預言者となるであろう。 あなたはわたしが命じることを、ことごとく彼に告げなければならない。そしてあなたの兄弟アロンはパロに告げて、イスラエルの人々をその国から去らせるようにさせなければならない。 しかし、わたしはパロの心をかたくなにするので、わたしのしるしと不思議をエジプトの国に多く行っても、 パロはあなたがたの言うことを聞かないであろう。それでわたしは手をエジプトの上に加え、大いなるさばきをくだして、わたしの軍団、わたしの民イスラエルの人々を、エジプトの国から導き出すであろう。 わたしが手をエジプトの上にさし伸べて、イスラエルの人々を彼らのうちから導き出す時、エジプトびとはわたしが主であることを知るようになるであろう」。 モーセとアロンはそのように行った。すなわち主が彼らに命じられたように行った。 彼らがパロと語った時、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。

自分は口下手で同族のイスラエル人からも人望のない人物であるのに、どうしてエジプト王が私の言うことを聞くでしょうかと申し上げたモーセに、神は、あなたをエジプト王に対して神の如き偉大な者とすると告げ、兄アロンをあなたの代わりに言葉を語る預言者とすると励まされました。そのためには神がモーセに語られた御言葉を、一言も漏らさず、ことごとくアロンに告げるようにと命じられました。神の御言葉には一言たりとも無駄な言葉はなく、すべて成就する永遠の約束です。しかし神は同時に、エジプト王はモーセとアロンの語る言葉には耳を傾けないと告げられました。それは神がエジプト王ファラオの心を頑なにして、神の民イスラエルを虐待したエジプトに下そうと定められた裁きを、余すところなく受けるためでありました。神は人の心もコントロールされるお方です。神に対して頑なな態度を貫くならば、大いなる裁きを自身の身に受けることになります。きょう御声を聞いたならば、あなたがたの心を頑なにしてはならない、との御言葉にあるように、神の御言葉に心を開き、素直に受け入れて、真のさいわいに至らしめていただく私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.7.1-7.ja1955

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出エジプト記 7:8-13

主はモーセとアロンに言われた、 「パロがあなたがたに、『不思議をおこなって証拠を示せ』と言う時、あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを取って、パロの前に投げなさい』と。するとそれはへびになるであろう」。 それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。 そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。 すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。 けれども、パロの心はかたくなになって、主の言われたように、彼らの言うことを聞かなかった。

イスラエルを解放せよとの神の御告げを語るモーセとアロンに、エジプト王が神が語ったという証拠を示せと言われたならば、モーセの手にある杖をエジプト王の前に投げなさい、そうすれば杖はへびになると約束されました。モーセとアロンが神の御言葉の通り行うと、奇跡が起きて杖はへびになりました。しかしファラオはエジプト中の魔術師を呼び出して同じ事を再現させましたが、モーセの杖から変わったへびにすべて飲み込まれてしまいました。人の行う魔術が神の奇跡に敵わないことを目の当たりにしても、エジプト王は心を頑なにしてイスラエルを立ち去らせませんでした。これらの経緯もすべて、神の語られた御言葉の通りになったのです。神に対抗しようとすること自体、そもそも無駄な抵抗なのだということに気付かず、私たちもまた心を頑なにして、自分の考えや願望に従ってやりたい放題の人生を送っています。そんなことは空しい努力なのだといち早く気付き、真理の御言葉に素直に聞き従う私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/exo.7.8-13.ja1955

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出エジプト記 7:14-25

主はモーセに言われた、「パロの心はかたくなで、彼は民を去らせることを拒んでいる。 あなたは、あすの朝、パロのところに行きなさい。見よ、彼は水のところに出ている。あなたは、へびに変ったあのつえを手に執り、ナイル川の岸に立って彼に会い、 そして彼に言いなさい、『ヘブルびとの神、主がわたしをあなたにつかわして言われます、「わたしの民を去らせ、荒野で、わたしに仕えるようにさせよ」と。しかし今もなお、あなたが聞きいれようとされないので、 主はこう仰せられます、「これによってわたしが主であることを、あなたは知るでしょう。見よ、わたしが手にあるつえでナイル川の水を打つと、それは血に変るであろう。 そして川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことをいとうであろう」』と」。 主はまたモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを執って、手をエジプトの水の上、川の上、流れの上、池の上、またそのすべての水たまりの上にさし伸べて、それを血にならせなさい。エジプト全国にわたって、木の器、石の器にも、血があるようになるでしょう』と」。 モーセとアロンは主の命じられたようにおこなった。すなわち、彼はパロとその家来たちの目の前で、つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変った。 それで川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことができなくなった。そしてエジプト全国にわたって血があった。 エジプトの魔術師らも秘術をもって同じようにおこなった。しかし、主の言われたように、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。 パロは身をめぐらして家に入り、またこのことをも心に留めなかった。 すべてのエジプトびとはナイル川の水が飲めなかったので、飲む水を得ようと、川のまわりを掘った。 主がナイル川を打たれてのち七日を経た。

へびの奇跡を見ても神の言葉に聞き従わなかったエジプト王に対し、神はモーセとアロンに命じて、明日の朝ファラオと出会い、モーセの手にある杖でナイル川の水を打つと、エジプト中の水が血に変わり、水中の生物は死に絶え、川は臭くなって人々は水を飲めなくなるであろうと告げられました。モーセとアロンは神の言葉の通りに行い、エジプト中の水という水がすべて血に変わりました。これは単に水が血に変わったという不思議な奇跡というだけではなく、エジプトに対する裁きの一環です。というのも、ナイル川はエジプト人にとっては、いのちの源である神として信じられていたからです。そのエジプトの神が血に変わってすべての生物が死んだということは、神が死んだのと同然です。にもかかわらず、エジプト王は魔術師たちにモーセと同じ奇跡を起こすように命じました。神としてあがめていたものを自ら死に至らしめるように命じるとは、なんと愚かなことでしょうか。これがこの世に存在するありとあらゆる偶像礼拝の本質です。私たちはこれらの空しい偶像の神々ではなく、まことの神、私たちにいのちを与え、豊かな人生を生かしてくださる神を信じなければなりません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.7.14-25.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/09

2019-08-09 05:30:10 | 今日の聖句
マタイによる福音書 6:34 新共同訳

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

私たちの人生は悩みの絶えない日々の連続ですが、どれほど思い悩んだとしても将来を変える力は人間にはありません。明日のことは最善以外をなさらない神に委ねて、主が私たちのためにご計画されている人生のプランに期待して待ち望む者でありたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.6.34.新共同訳
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