伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2019/08/10

2019-08-10 11:20:20 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 8:1-7

主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。 しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。 ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、 あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。 主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。 アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。 魔術師らも秘術をもって同じように行い、かえるをエジプトの地にのぼらせた。

エジプト王が心を頑なにしてイスラエルをエジプトから立ち去らせようとしなかったため、神はモーセに、イスラエルを去らせて神に犠牲を捧げさせることを拒むならば、エジプト中にカエルを登らせて被害を被らせるとエジプト王に告げるように命じました。アロンがモーセの言葉に従ってその杖を水の上に差し伸べると、カエルがありとあらゆる水源から登ってきてエジプト中がカエルだらけになりました。するとエジプトの魔術師たちは、誰からの依頼も指示も受けていないのに、アロンと同じように呪いによってカエルを登らせました。しかし彼らの行為は更にエジプトを苦しめるだけで、何の益にも解決にもなっていません。神に対抗しようとする人間の行為は、何と愚かなことでしょうか。

https://www.bible.com/bible/81/exo.8.1-7.ja1955

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出エジプト記 8:8-15

パロはモーセとアロンを召して言った、「かえるをわたしと、わたしの民から取り去るように主に願ってください。そのときわたしはこの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるでしょう」。 モーセはパロに言った、「あなたと、あなたの家来と、あなたの民のために、わたしがいつ願って、このかえるを、あなたとあなたの家から断って、ナイル川だけにとどまらせるべきか、きめてください」。 パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。 そして、かえるはあなたと、あなたの家と、あなたの家来と、あなたの民を離れてナイル川にだけとどまるでしょう」。 こうしてモーセとアロンはパロを離れて出た。モーセは主がパロにつかわされたかえるの事について、主に呼び求めたので、 主はモーセのことばのようにされ、かえるは家から、庭から、また畑から死に絶えた。 これをひと山ひと山に積んだので、地は臭くなった。 ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった。

エジプト中にカエルが満ちあふれる第2の災いに困り果てたエジプト王は、モーセとアロンを呼び出して、かえるを除いてくれたらイスラエルを立ち去らせてもよいと答えます。カエルは当時エジプトの国では、子孫繁栄の象徴として神とされていました。すなわち彼らの神が自分たちを苦しめる結果になったのです。そこでモーセはエジプト王との約束に従いカエルを去らせると、カエルは死んで山のように積まれ、腐敗臭で満ちました。すると苦難が過ぎると、エジプト王は再び心を頑なにして、イスラエルを立ち去らせませんでした。偶像を神とする彼らは、どこまでも自分本位、結局は自分の意のままに神を扱う人々です。まことの神を神とする私たちは、彼らのように、苦しいときの神頼み的な信仰に陥ってはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.8.8-15.ja1955

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出エジプト記 8:16-19

主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。 彼らはそのように行った。すなわちアロンはそのつえをとって手をさし伸べ、地のちりを打ったので、ぶよは人と家畜についた。すなわち、地のちりはみなエジプトの全国にわたって、ぶよとなった。 魔術師らも秘術をもって同じように行ない、ぶよを出そうとしたが、彼らにはできなかった。ぶよが人と家畜についたので、 魔術師らはパロに言った、「これは神の指です」。しかし主の言われたように、パロの心はかたくなになって、彼らのいうことを聞かなかった。

エジプト王がモーセと交わした約束を破り、イスラエルを去らせなかったため、神はモーセに、アロンの杖で地の塵を打ち、ぶよにするようにと命じました。その通りに行うと、大量発生したぶよが人と家畜について、被害を受けました。エジプトの魔術師たちも同じように秘術によってぶよを出そうとしましたが、彼らにはできず、この災いが神の御業によるものだと認めざるを得ませんでした。しかしエジプト王は心を頑なにして、イスラエルを立ち去らせようとはしませんでした。実はエジプト王の心が頑なになったのは、神が言われた通りのこと、既定路線、イスラエルを苦しめたエジプトを裁く神の御心だったのです。人間視点ではなく神の視点に立つとき、それが神の御心であったことに気付くのです。

https://www.bible.com/bible/81/exo.8.16-19.ja1955

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出エジプト記 8:20-24

主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。 あなたがわたしの民を去らせないならば、わたしは、あなたとあなたの家来と、あなたの民とあなたの家とに、あぶの群れをつかわすであろう。エジプトびとの家々は、あぶの群れで満ち、彼らの踏む地もまた、そうなるであろう。 その日わたしは、わたしの民の住むゴセンの地を区別して、そこにあぶの群れを入れないであろう。国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。 わたしはわたしの民とあなたの民の間に区別をおく。このしるしは、あす起るであろう」と』」。 主はそのようにされたので、おびただしいあぶが、パロの家と、その家来の家と、エジプトの全国にはいってきて、地はあぶの群れのために害をうけた。

第三の災いを経験しても心を頑なにして悔い改めなかったエジプト王に対し、神は第四の災い、あぶによって国中が被害を受ける、しかしイスラエル人の住むゴセンの地域だけはあぶが入らず、エジプト人と区別すると予告されました。神は御言葉に忠実に聞き従う者、神の民を、特別な守りの御手をもって災いから遠ざけ、他の人々と区別されます。それは決して人種差別ではなく、神の選びによる区別であり、この世に神の生きて働かれることの証のためであることを忘れてはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.8.20-24.ja1955

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出エジプト記 8:25-32

そこで、パロはモーセとアロンを召して言った、「あなたがたは行ってこの国の内で、あなたがたの神に犠牲をささげなさい」。 モーセは言った、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。 わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」。 パロは言った、「わたしはあなたがたを去らせ、荒野で、あなたがたの神、主に犠牲をささげさせよう。ただあまり遠くへ行ってはならない。わたしのために祈願しなさい」。 モーセは言った、「わたしはあなたのもとから出て行って主に祈願しましょう。あすあぶの群れがパロと、その家来と、その民から離れるでしょう。ただパロはまた欺いて、民が主に犠牲をささげに行くのをとめないようにしてください」。 こうしてモーセはパロのもとを出て、主に祈願したので、 主はモーセの言葉のようにされた。すなわち、あぶの群れをパロと、その家来と、その民から取り去られたので、一つも残らなかった。 しかしパロはこんどもまた、その心をかたくなにして民を去らせなかった。

第四の災いによって被害を受けたエジプト王は、モーセとアロンを呼び出して、エジプト国内でイスラエルが神に礼拝を捧げるようにと命じました。しかし神のご命令はあくまでも、エジプトの国から3日ほどの道程を出て行って神に礼拝を捧げさせることでした。なぜならエジプト人は神に礼拝を捧げるために用いられる羊を忌み嫌っていたこと、何よりも偶像礼拝で満ちているエジプトは、いと聖なる神を礼拝するに相応しい場所ではなかったからです。私たちが神を礼拝する際にも、自分にとっての利便性を求めるか、神の定める基準に従うかは、とても重要なことです。モーセは自分たちを欺かないようにとエジプト王に釘を刺した後、神に祈ると、あぶの被害はエジプトから離れ去りました。しかし王はまたも心を頑なにして、イスラエルを去らせませんでした。エジプト王のように喉元過ぎれば熱さ忘れるような態度は、神の民に相応しくありません。

https://www.bible.com/bible/81/exo.8.25-32.ja1955
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【今日の聖句】 2019/08/10

2019-08-10 07:55:57 | 今日の聖句
マタイによる福音書 8:10 新共同訳

イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。 」

中風で苦しむ僕の癒しを願い求めた百人隊長は、上長の命令には何が何でも従う経験から、言葉の持つ力を誰よりもよく理解していました。主イエスの絶対的な権威の前にひれ伏し、神の御言葉は必ず成就すると確信する私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1819/mat.8.10.新共同訳
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