葬斂屋(そうれんや)とは葬儀を執り行う
人のこと。
人間の喜怒哀楽や思いやりという優しさが
凝縮するのが「死」のときではないかと思
う。
ひとつ2ページにまとめた葬儀にまつわる
70のお話だ。大阪民主新報に掲載されたも
のをまとめ、本となった。
一つひとつ読み進めていくとあたたかい気
持ちになっていく。
私も議員時代、困難で大変な葬儀のお手伝
いをしてきた。100人いれば100人の葬儀
があるように皆違う。お金がなくても心を
こめて送らなければと思っていた。
HPでも紹介したが、この本もすごい。
3年前だが、その時の紹介は、
札幌への往復で、文庫版「遺体」を読んだ。
読みながら嗚咽してしまった。
テレビで放映された街を襲う津波映像。私は、その年の7月に気仙沼へボランティアで訪れた。4か月経っても異様な臭いが満ちていた。その裏でこのような事が展開されていた。何十倍もの異様な臭いのなかで。
何百もの遺体を取り扱った民生委員の千葉さん、市職員の松岡さん、医師、歯科医、海上保安庁職員、自衛隊員、消防署員・団員など、たくさんの方々が登場する。茫然自失な状態から、それぞれ自分が必要されていることを自覚していく。人間としての尊厳を守ってきた方々に敬意を表したい。
ぜひ一読を。そして、二度とあってはならないこととして。
地震・津波は天災だが、先の大戦=戦争は
人災そのものだ。
日本人3Ⅰ0万人、世界では6000万人とも
いわれる途方もない人命が失われた。
国連憲章の前文では、
われら連合国の人民は、われらの一生のうち二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念を改めて確認し、
日本国憲法の前文では、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言
そして、9条に結実した。
安倍一強といわれる政治が、きな臭くなっ
ている。秘密保護法、戦争法、そして共謀
罪。9条に第3項を追加する。
日本が再び戦争への道を歩んでいる。不安
な雲が日本中を覆っている。
この流れにストップをかけなければ。
理不尽な「死」はあってはならない。