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社会はかわるし、かえられる!

格差社会の縮小めざして、誰もが安心できる社会をめざして!
 

本地垂迹

2017-05-24 06:20:30 | 日記

本地垂迹は「ほんじすいじゃく」と読む。

日本の古代、神々への信仰=神道(しんと
う)に対して、中国から仏教が伝来してき
た。当然衝突する。
しかし、仏教にはその地の神々を包摂する
ものがある。インドのヒンズー教、中国し
かり、そして日本でも神仏習合(しんぶつ
しゅうごう)が、平安時代に確立していっ
た。この神仏習合が本地垂迹だ。

日本の八百万の神々は、仏の化身という考
えが広まっていった。
天照大神 = 大日如来、八幡神 = 阿弥陀如
来といった具合だ。いわゆる「権現さま」

また逆の「反本地垂迹」説もある。
宗教史はさまざまな人の衝突や習合で、ど
ちらかが強くあらわれてきた。
明治の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」
は極端な例であり、多くの悲劇を生んだ。
貴重な仏典や仏像が焼かれ、また言うこと
をきかない地方の神社も廃止されたという。

なぜこのような宗教史をとりあげたかとい
うと、今の政治をみるようだから。

今の公明党、維新などの補完勢力は、自民
党の本地垂迹ではないか。
さらに自民党も極右の「日本会議」の本地
垂迹ではないか。

昨日、「共謀罪」法案の衆議院本会議での
強行採決をみて思った。

つぎは「良識の府」といわれる参議院に舞
台は移った。
ひたすら数の力で押し切る政治は、もはや
民主主義とは言わない。

歴史に「神仏分離」ということがあったこ
とを思いだすことも必要ではないか。