昨日書いた思い出のイシダイはクラブの顧問さんに連れられての、串本行きでした
当時はどこのクラブも繊細な上物釣りよりも太い大きな竿に大きなリールを使っての
底物釣りが多かった。
天王寺から「いそつり号」という名の南紀串本行きの夜行列車が土日になると出て
いまして、この列車に長靴に作業服を着たようなむさ苦しい格好の釣り人がワンサと
乗り込んで満員でした、そしてその道中たるや釣り談義で眠ることなどなかったのでした。
それで途中のそれぞれの釣り場に近い駅にて降りて磯に行き釣りをして、その足で
また帰りの、この列車に乗り込んで帰ったものでした。
私もご他聞に漏れず、通ったものでした。
今の釣り師のスタイルからは、程遠い格好でしたが、誰も気にすることもなかった
ようで一般のお客さんにはうるさくて大変だったと思います。
夜の11時過ぎに出て夜中に各釣り場の駅に着くまで誰も興奮して眠ることなど考えら
れなかった、串本の駅には確か午前5時前ぐらいに着いて1番の渡船に間に合った
様だったと思う。
その列車も最盛期には2列車出ていたがそれが釣り師で満員でした、当時車で串本に
いくには高速道路がなく大阪からは26号線を使い和歌山のキヨシ峠を越えて何時間も
かけて走っていかなくてはならなかったのと車が今ほど安全なものでなかった、
私のクラブの大会のときなど小型のバスで行ったこともありましたが、道も悪く
途中で車がエンコして雨の中を修理に時間がかかり、渡船に間に合わなかったことも
ありましたが、今から考えるとそれも今はいい思い出です。