佐藤功の釣ったろ釣られたろ日誌

釣り・釣りの思い出・釣り界のこと・ボヤキ.etc

日本のことわざ

2013-02-21 19:59:00 | 日々の思い

先日テレビで若い芸能人を相手にことわざのことを聞いていた番組があった。

若い芸能人というのは常識にかけてる方も多いように感じるがそんな勉強はしてきてないのであろうと思うが、あまりにもなさけない人も中にいる、

 

そういうのはプロダクションでは教えてないのだろう、少し疑う?

私たちも使わなければ忘れていくだろうダイソーで買った「コトワザ辞典」この小冊子、205頁

からなるものが100円で売っている、びっくりです。

その中からよく使われるものを書き出してみました、みなさんならご存知と思いあます。

 

青菜に塩・・・落ち込んでうなだれている様子。

 

阿吽の呼吸・・・お互いの気持ちや調子があってること。

 

秋風が立つ・・・男と女の愛情が冷めること

 

秋茄子は嫁に食わすな・・・美味しいから嫁には食わすのはもったいないというのと

             お腹を冷やすから食べさせないという説。

 

悪女の深情け・・・器量の良くない女性ほど愛情が強くシット深い

 

悪銭身につかず・・悪いことで得たお金はつまらんことに使ってしまう

 

頭隠して尻隠さず・・悪いところを全て隠したつもりがすべてが隠れていない

 

あの声でトカゲ喰らうかホトトギス・・見かけで判断できないのタトエ

 

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夢にまで見た宇治群島へP-11

2013-02-20 19:54:01 | 釣り界の歴史

不死身のアキレス

しかし如何にアタリは小さくとも、流石は矢張り宇治群島の口白(クチジロ=石鯛の1種)である。

くわえ込んだら最後、徹頭徹尾、もの凄い馬鹿力で暴れまくる。

私はこのバカ力に備えて、アレーやエキスパンダーのボデイビルで

ずい分腕力を鍛えたつもりだったが、それでもテンデ歯が立たない。

送りこんで喰い込ました途端に、竿をペタッとシメ込まれて、それからは、

どんなに力んでみても、それを持ち上げることも、どうすることも出来ない。

完全な力負けの、黒星の連続である。

 

昨年の失敗にこりて、今年は道糸6分ワイヤー30番でやったから、高切れやワイヤー切れは1度も

なかったが、シメこまれてモタモタしているうちにオリンピックの2寸バリを、まるでチュウインガムでも噛むように、ペチャリと咬みしがんでしまうのだから恐れいる。

 

そんなハリはずれが、無慮十数回もあった。

大モノはそれで大方バラしてしまい、取り込んだのは、1貫23百クラスのザコばかり、

最高が1貫650という不甲斐なさだった。

今度こそ、何とか記録モノを釣り上げて、会稽(かいけい)の屈辱を雪ごうと、巻尺まで持参したのだが、又しても、手も足も出ずにかえりうちにあった。

 

ここでちょっと誤解のないように申し上げるが、口白は一説にイシガキの老成したヤツといい、

従って近海のイシダイの2倍は引く。

でかいのは、まず、クエの4貫クラスといすずみの2貫クラスを同時にかけたとおもっていただけば

間違いがない、海面近く引き寄せても、弱るどころか四方八方に暴れまくるタフガイなのである。

 

こいつの大きいのは,3貫56百もあるという。

餌は、礒の穴子(流れ子)、陣笠、イガイ、フジツボなどで間に合わせたが、

このエサに5キロもあるタマミがときどき凄い勢いで竿が舞い込んだり、

メバルの1キロ近いのが、2寸のハリに喰いついた。 

万能餌の効力というよりそれだけ魚数も魚種も濃いのだろう。

 

追記)これを読んで下さっている皆さん、この中で1貫23百のザコとかかれています、この魚

   今風に言うと約4キロです、大きいのが3,5貫、やく13㌔からなるもので、礒から竿では

簡単に上がるものではないということで、いかに凄いかという事です。

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夢にまで見た宇治群島へP-10

2013-02-19 18:08:10 | 釣り界の歴史

昭和35年(1960年)にリターンマッチを

4月28日、私はネオンのきらめく大阪をあとにした。

行き先は、魚の宝庫、宇治群島、丸1年ぶりの遠征行である。

今年は少し思うところあって、この日まで、まだ1度も愛竿を握っていない。

 

だからリュックを背負い、竿束を担いで家を出たとたん、私の耳は潮騒の音を聞き、私の鼻は

磯の香を嗅ぎ、私の心は、遥かなる宇治群島の蒼い空と海の間に飛んでいた。

昨年、僅か9枚のイシダイを獲るのに14枚もバラシタ宇治群島、呆れた馬鹿力で、サンザンに

私をホンロウしたそこのイシダイども、今度こそは釣って、釣ってつりまくってやるゾ、と

私は、超満員の夜行列車の中でひとり胸を躍らせていた。

 

ダイナマイト

私がチャーターしたのは7トン、焼玉エンジンの単気筒、その上舵がちょっとおかしいという、

全くひどい老朽船、これで東支那海の荒波を乗り切るのかと思うと、如何に暢気者の私でも、

流石に心細かったが、これより他に適当なのがないというのであってみれば、どうも仕様がない。

私は運を天に任せることにした。

5月1日、私は宇治群島で目が覚めた。紺碧の空、・・・。

夢にまで見た宇治群島が、私の目の前にあった。しかし、私のそんな陶酔した充足感も、

すぐケシ飛んでしまった、腹の底まで響くような爆発音が、大海の静寂を引き裂いて、

島の向こうから伝わってきたからだ。

「何だあれは?」

「ダイナマイトです」「何をしているんだ、工事かね?」

「魚(いよ)の密猟です」

私はひどいことをするもんだ、と思った、

船長の話によると、五島列島や沖縄方面からやって来て、ごっそり獲っていくらしい、

グレなど一船で4~5千貫も持って帰るらしい。

よく聞くと、爆発音には2種類ある。

“ドカン”と鳴るのが、「上打ち」でドドッと響くのが「底打ち」である。

上物と底物を狙うわけだが浮き上がって来て獲りこめるのは、せいぜい上物で20パーセント

底物で10パーセント止りというから、大半は無  意味に殺されて、底に沈んだり、潮に流されたりするわけだ、なんともはや、乱暴な殺戮ではないか、私はひどく憂鬱になった。磯に上がって竿を出したが、そのせいか、あたりがあっても食い込みが極度に悪い。

フジツボをジヤンジヤンかぶせてみても、余程おびえているのか、更に効果がない。

送りこんで漸く食いこむ始末だ。

放り込むなり、いながらに竿が舞い込んだ去年とはうん雲泥のちがいである。

最果ての南冥の地で、このザマとは、釣りもいよいよセチ辛くなったものだ。

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夢にまで見た宇治群島へP-9

2013-02-18 19:33:03 | 釣り界の歴史

森岡さんのこの記録を、私も読ませてもらいながら、打ち直して掲載させてもらっていますが

読むほどに当時の磯釣りのむつかしさが、ひしひしと感じてきます。

 

今でこそ快速船で気楽に行けるようですが、それでもまだまだ大変なところです。

当時のこの宇治群島、草垣群島、男女群島、鳥島、などにはとても行けるようではなかったようです。

新しいところに行くのに、どなたかが行ってくれたあとは行きやすいものです、その方に連絡が取れればなんとかいけるものですが、

森岡さんのように漁船をチャーターしていこうなんて考えられません、

 

その分人が味わったことがない物を味わえるのですが、この中でも文章に現れない大変な格闘があったと思います。

石鯛に引きずり込まれそうになったり、命からがら阿久根まで逃げ帰った様子、シケの中小さな

漁船で7時間、考えただけでもゾットしますわ、物凄い根性の持ち主だったのでしょう。

 

わたくしも人に教えてもらい昔テニアン島という日本に原爆を落とした飛行機の飛び立った島に

仲間と毎年1度、5年ほど続けて、釣りに行きましたが、

サイパン島からセズナをチャターするのですが、初めての時、英語の話せない私達と、

日本語がわからない操縦士との交渉、でもなんとか話が通じるもので、

飛んでもらいましたが、本当にテニアン島に行くのか不安でした。

 

また、小さなセスナに荷物と5人が乗ると飛ばないと言われて2機もチャーターしなくてはならなくなったり、荷物が取られないのかとの心配もありました。

でも今は大変良い思い出です。

この当時の仲間は今は私と弓削氏のみとなりました、さみしいものです。

 

今移しているのは、昭和34年の記録です、続いて35年の再挑戦を写していきますご期待下さい。

 

森岡さんは、大正8年(1919年)奈良県出身ですから今年94歳になられました、

今は豊中で、健康でお元気でお過ごしでなによりです。

 

 

 

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新年会(親しい釣り仲間)

2013-02-17 18:58:55 | 日々の思い

遅い新年会?を開きました、

Tさんが大阪にいるうちに一杯飲もうなと、

Mさんが言い出して、

Sが皆さんに呼びかけてというより急なものですが、

お留守の方も多くて

まあ、いいかということで、少ない人数ですが新年会を開きました。

気心のあったものばかりですので時間さえ合えば場所は負かすということで

以前私の事務所のしたで居酒屋をしていた「しらさわ」の新しいところに行きました。

お酒の種類も魚もいろいろあるので楽しく料理を味わえます。

 

今日はマスターがよく来てくれたとのことで「ふぐ鍋」を用意してくれました。

魚の天ぷらから刺身、ふぐの刺身に鍋のあとの雑炊色々と気を使ってくれてありがとう

マスターに皆さんからお礼の言葉です。

 

今までならそのあとで南の「ソロ」に出かけるのですがやめてしまったので、いけません

Tさんが、お気に入りの「Mさんの止まり木のスナック」へ出かけて楽しみました。

 

この時に変わった経験をしました、カラオケの最中に店のママさんが急にお願いがあるのです

とお客さんに言い出し、何かなと聞くと、5分、いや長くて7分だけカラオケを止めさせてという

「エー、何?」と聞くと今から来るお客さんがカラオケがきらいなんです、と言う

 

それで申し訳ないが止めさせてくださいという

やがて下のクラブのマスターに連れられてあがってこられたお年寄りの方。

本当に5分足らずで帰られた、聞くところによると、毎晩あのようにして20軒からの

いお店を回られるとのこと。

何とすごい方もおられるのだなーと感心しました、大金持ちの隠居さんなんだろう、

自分のテレトリーを見て回られておられるのでしょう、毎晩何十万とつかって・・・

以前のソロに来ていた格好ばかりつけての年寄りと大変な違いと思った。

 

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