ご存知、岸和田市のふぐ料理店「喜太八」はミシュランで2つ星を獲得したお店で、ふぐ通には全国区で知られる老舗。主の北濱喜一さんは日本で唯一の私設「ふぐ博物館」の館長で、ご著書も多く、だぼ鯊は古くから「ふぐ博士」とお呼びし尊敬、親しくさせて頂いております。
作家・坂口安吾曰く
文化とは「ふぐちり」なり
その北濱さんがNHK「ラジオ深夜便」で40分にわたりふぐを語られる、と聞き、一言一句を洩らさず速記、3年前、だぼ鯊のからくさ文庫で「日本人とフグ」の小冊子(写真)にまとめさせていただきました。その中で、北濱さんが引用された作家・坂口安吾の一文(ふぐ毒と人間の闘いの歴史)の凄まじさは他に比類なく、ここにご紹介しましょう。
《我々は、事もなくフグ料理に酔いしれているが、あれが料理として通用するに至るまでの暗黒時代を想像すれば、そこにも一編の大ドラマがある。幾十百の斯道の殉教者が血に血をついだ作品なのである。
その人の名は筑紫の浦の太郎兵衛であるかも知れず、玄海灘の頓兵衛であるかも知れぬ。
とにかく、この怪物を食べてくれようと心をかため、たちまち十字架にかけられて天国へ急いだ人がある筈だが、そのとき、子孫を枕頭に集めて、爾来この怪物を食ってはならぬと遺言した太郎兵衛もあるかも知れぬが、おい、俺は今ここにこうして死ぬけれども、この肉のうま味だけは子々孫々忘れてはならぬ。
俺は不幸にして血をしぼるのを忘れたようだが、お前達は忘れず血をしぼつて食うがいい。努々勇気をくじいてはならぬ。
こう遺言して往生を遂げた頓兵衛がいたに相違ない。こうしてフグの胃袋について、肝臓について、又臓物の一つ一つについて、各々の訓戒を残し、自らは十字架にかかって果てた幾百十の頓兵衛がいたのだ》
以上は「ラムネ氏のこと」という文章の中の一節ですが、太郎兵衛、頓兵衛をわかりやすく「馬鹿」に言い換えて後年、つぎのようなお話として広く流布しているようです。
《昔、ふぐがうまそうだなと思った馬鹿がいた。最初の馬鹿はふぐを全部食べて「どうも目玉がよくなかったらしい」と言って死んだ。それを聞いた次の馬鹿が、目玉以外全部食べて「どうも皮がよくなかったらしい」と言って死んだ。それを聞いた次の馬鹿は、皮をはいでふぐを食べた。彼は「どうも骨が…」と言って死んだ。こうしたたくさんの馬鹿のおかげで、我々は安心してふぐちりが食べられる。これこそが文化というものである》と…。
結局は「ご先祖様のおかげをこうむって今日のある我々は、次の、また次の時代にも人間が幸せになるものを、なにか残さなきゃならん責任ってものがある」ということなのでしょうね。
人類の歴史において魚を釣るために考案されたさまざまなツール=有形文化、それらを伝える情報文化の究極の目的は、やっぱり人を幸せにすることにあるわけですから…。
野良の言葉「たねまき」は農学の門をくぐると「播種(はしゅ)」、になります。まったく同じ意味なのに、前者は野良の言葉だから文化の程度は低い、なんて話になると、はなはだ不愉快です。
その点「あたり」や「あわせ」「いれぐい」「ばらし」などなど、ツーカーで通じあえる釣り人同士の “情報文化”がなんとスッキリして素晴らしいか、だぼ鯊にはよ~くわかりました。ハイ。
(からくさ文庫主宰)