ふろしき王子のブログ◎
出前講座開催☆
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メール isamix@gmail.com
 





うさぎの水飲み器は、逆さにしたペットボトルの口から
筒が伸び、筒の先はパチンコ玉のような玉が穴を塞いでいる。

そこにウサギが口を付けると玉が中へ押され、隙間から水が流れ
落ちてくる仕組みだ。ところが、微妙な隙間ができてきたのか、普段から
水がぽたり、ぽ、垂りとゆっくりでも落ち続けるようになり、
下の水受けからも溢れて床まで濡れるようになった。

問題は濡れることよりも、早く水が空になるため旅行中等に困ること。





筒の先の玉がもっとしっかりはまって栓になれば水漏れはなくなる。
そこで、筒の中に棒を挿しておき、玉が先へ押されやすいよう
改造した。棒は、ヨシの茎を使う。長さが肝で、短ければ玉は押されないし
長いと玉が固定され水を飲めない。

結果的に何とかなって、漏水は解決。

何か道具をつくったり使ったりするとき、どのような仕組みや構造にすべきかは、
自分の手足の代わりと考えればよい。

水飲み器の吸い口の玉をしっかりとはめるには、
内部から指を突っ込んで押すことになる。
その、指の代わりに物をあてがえばよく、自ずと
必要な形が見えてくる。

ふろしきで何かをつくるときも、
風呂敷がなかったら他のものや手を使ってどう対応するかやってみて、
そこを風呂敷へ置き換えればよい。

たとえば腕で荷物を持つ代わりに、斜めに折った大風呂敷を
タスキにして、タスキの腰辺りに物を引っ掛ければよい。

道具は手の代わりと考える。
ナイフも爪を鋭くしたものなので、
人差し指の爪で物を切る手の動きが
ナイフを持つ手と同位体になる。

盾は腕の外側や膝による防護の増幅であるから、
盾を持つにしても、身体の動きは徒手空拳のときと同じになるように、
盾の構造をとらえて作ったほうがよい。
さもないと、物や道具に使われてしまう。
飽くまで、手足の機能の増幅として、道具は在るべきと考える。

自動車や自転車も、運転手が歩いたり走ったりすることが
操縦となれば、事故も減るだろう。
身体性から外れるほど、頭や心でっかちとなって、
人間は堕落してしまう。

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長女作◎

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下駄な足い氣いつけなせ。

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今日は暖かく、灯油ストーブ無しで乗り切れた。

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先日、風呂敷をたたんだ帯でペットボトルを結び付けて
ベンチ転倒防止の重しにしましたが、
子どもが蹴ったりするとペットボトルが飛び出たりするので、
結び方を変え、ひっかけ包みで包み込んでみました。
2リットル増量して、さらに安定へ。
備蓄水にもなる。

今日は子どらを連れてホームセンターに行きましたが、
帰り道に末娘が寒がった。
彼女の上着のフードは、かぶっても風で脱げてしまうので、
さあ、こんなとき風呂敷でいかがせむ?

通常であれば、小風呂敷(バンダナ)を斜めにぱたぱた折ったので
図のように鉢巻の如くフードを留めればよい。
これは、たとえフードが脱げなくてもおすすめです。
なぜなら、フードをしていると、左右や後方を確認しようとして
顔を動かしても、フードは動かなくて安全確認のさまたげとなることがあるから、
小風呂敷で固定することで、顔とフードが一緒に動くようになります。



しかし、このたびは既に小風呂敷を別用で使っていて、きれていたので、
止むを得ず大風呂敷で、ずきん。

本人は家で忍者ごっこのようによくかぶっているし、
実際に寒さを防ぐことができたようで、嬉しがっていました。




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うちで最もよく育ちたる野菜は、なんと
囲いのブロック塀と道路との隙間から伸びている
のらぼう(菜)で、こぼれた種から生えたもの。

勢いがあり、先日の雪で山の底へ生き埋められても
びくともしていない。

この場所の条件は、日当たりがよい、鉢ではなく大地そのもの、
上にあるプランタから水が落ちてくる、
塀の向こうは落ち葉が積まれていて小虫も棲み、
酵素やミネラルが流れてくる?

のように好環境は考えられるし、
他にもたくさん種がこぼれた中でそこだけ繁っているので、
とにかくその場がふさわしかったのだろう。

野菜を育てるときは、まず、遺伝子組み換えなどされて
いない安定した種を選ぶことが大事です。
幾度もの氷河期を乗り越えた強い遺伝子を秘めているため、
昨今のような異常氣象にもつよい。
在来種や固定種というものを選ぶとよい。

さて、種を買うと、家庭では蒔ききれないほどあって
たいてい残るので、ご近所や友達に分けたり、あとは
庭じゅうの各所に散らして蒔いておく。

それで、かえってメインの畑よりもよく育つことがある。

先ほどの道路の隙間のげんきなのらぼう菜も、
もう1つ大切なのが、隙間であるということ。

一見過酷そうな隙間でも、競合が少なかったり、
地中の根っ子は逆にのびのび広げられたり、
周りの水や栄養が集まりやすい条件かもしれない。

木炭の細かい孔が、汚れなどを吸い込んで浄化するように、
隙間には何かを惹き付ける力があるのではないか。

そんなこんなで、野菜に限らず、隙間を見つけて種をまく
ことは、無理なく自然の仕組みが進めてくれる可能性を
秘めている。

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またまた
お風呂で眠ってしまった。半ば習慣化してきている。

風呂敷だけに、おふろが棲み家と化しているのか。

今夜こそちゃっちゃとお蒲団でぐっすり寝ようと
思っていたのだが、本を持ち込んでいて、目が疲れて休憩してる
間にねむりの國へと吸い込まれている。

何か疲れたからというよりも、昨日やったことは繰り返しやすい。
昨夜(?)は朝の6時、今夜は4時半に布団入りだ。

子どもとともに入浴すれば、体を拭いたりするために
必ず上がるから、それを対策としていこう。

でも、季節が暖かくなれば、湯よりいでる億劫さがなくなるから、
自然と解決されることかもしれない。

昨日、食卓に向かう子どもの座るベンチに重しをつけた。
木製の既製品だが、軽いため、上に立ったりすると
傾いて倒れやすい。

はじめ、下部に板などをネジで打ち付けようかと考えていたが、
基本は風呂敷のように、傷をつけずに元に戻せる在り方を
心がけている。

そこで、ちょうど前日に川原で杉の間伐材のような流木を
拾ったので、長さを合わせ、周りを鎌で削り、ベンチの下部に渡した。

それを固定するのは、ネジではなく、斜めに折りたたんだ小風呂敷。

これだけではまだ軽いので、流木の梁に
水を入れたペットボトル数本を、おなじく小風呂敷で結びつける。
4本つけ、8kg以上増量してベンチはずっと安定した。
板などを打ってこの重さにすると、持ち運びなど難儀するが
風呂敷で結んだだけなのですぐに戻るし、水の備蓄にもなり
力学的に安定した構造を見出だす試行錯誤としても
こんなやり方はなかなか佳きものだ。



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灯油を手もちで汲んでくるのは重いが、
大事に使いたくなる。

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都心さ向かっている。浅草の実家を片付けに。
天氣はよい。
お昼は抜き。



作業着と軍手なので、はかが行くだろう。
屋上はアロエ天国となっている。
排水溝に土が詰まるなど、水が引かず、雨漏りの原因となる
心配もあるため、可哀想だが片付ける。
以前も相当片付けたのだが、少し残ったのからまた
わんわんと繁茂した。

夏に伐ろうとしたら、アロエ森の中にアシナガバチの巣があって
指を刺されたので、この真冬がチャンス。

家に着くのが13時前。そこから18時くらいまで、できることを
あれこれやろう。時間も交通費もかかるので、テキパキこなしたいところだが、
焦っても疲れるばかりなので、マイペースながら
勘が冴えて効率のよい動きを願う。

ともあれ、心身はささやかに確かに春を感じていて、
この与えられた機会を大切にしながら、地球上での限りある
いのちを感じ、何事からも氣づきや知恵を得、
よりよき未来へとつなげていきます☆

好きな季節はいろいろあるが、
短くて泳げる夏は貴重。
夏のなごりの寂やかさと、食べ物美味しく空清く映る秋も
ぐっとくる。

そして、靄もやした空の下にだんだんと草花萌え繁りゆき、
蜜蜂とすれ違える春は、心に解け入る湿度のそよ風が
顔をくすぐり、江戸前の夜の川端を、いつまでも
歩きたくなる、めくるめく頃。

冬は長いと思いきや、家にこもりてこつこつと
物を作っていればるるると過ぎ行く、みなが集いて
語らうのも面白き季節。

ともあれ、春が誘ってくるから、冬をきちんと終えておこう。
もうすぐ新宿。後架(トイレ)へ寄ってから、どの道筋で
浅草さ行くか。
中央線銀座線か、
中央線山手線(上野から歩き)か
丸ノ内線銀座線か。

すっきりしてから決めよう♪

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立春が開けて、まだ2月は寒いといっても、体はびんびんと
春風を感じている、そんな氣がしてる。
だからか、昨日は子どもたちは、大人なら頭で考えて
ストップするに違いない、2月の川へ、靴と靴下脱いで
浸かって遊んでた。

これからノビルの季節が近づくというのに、近所の土手は
堤防工事でことごとく剥がされ、今春はワヤになった。
でも他所にもノビルは生えているし、度重なる異常氣象による
増水に備えた堤防の補強は必要なことなのだろう。

春から、正確には連休明けからか、末娘っちも幼稚園さ通うようになる。
我輩はますます濃く生きて、人のよろこび、動植物の喜び、を
忘れずに、その大元となる自分自身の楽しさと直観を道しるべに、
日々心つくして励んでいこう。

絵を描くのも植物を育てるのも、手がける時間を増やし、
さらには絵とはまた別の、三次元の形あるものを制作していく。
鍋釜のように実際使うものを直したり、よりよく加工し、
生命に関わる道具を生み出していきたい。

身近に入手できる材料と人力をもって、実現できるものの
可能性に汗を流す。

絵で育んだバランス感覚と、風呂敷から教わったものづくり
精神を、様々な物事へ生かしていく。

風呂敷講座ももちろん進化していく。
より、無理をせず、家やポケットにある
当たり前の布っぱしを、魔法以上に役立つ存在へ組み換える。

植物の遺伝子組み換えは、生命の歴史に対する冒涜であるが、
ふろしきの結び変え、組み直しは、するほどに
物事のはかが行く。

大切なのは、ひろくてあたたかな安心感覚でいつでも臨むこと。

不安は視野を狭くするから、氣づき逃した別のリスクにやられる。

取り越し苦労が120%の世の中で、安心してそのまま歩みていくと、
そこまで行ってみないと分からない、小さく輝くルビー色した鍵を
見つけることができて、次の門がすっとひらいていくのだから◎

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いつも背負いたる風呂敷リュックには、何やら蟹やらが
常備レギュラーセットとなっております。
旅行のときは、ここに下着とハンドタオルを加え、
あとはお水を増量するくらいで済むため、相変わらず
準備をしない生き方。

いつでも非常用のリュックを持ち歩いているともいえます。
通常なら、あれこれ詰め込んでいては
重くてかさばって
難儀するわけですが、苦もなく能うのは、一枚で多目的に形を変えられる
ふろしきのあるお蔭です。

さらに携帯食を考えるなら、ナッツ類がよいでしょう。
脂肪やたんぱく質は、炭水化物よりも効率がよいし、ブドウ糖に変化もできます。
しかし、食べれば水分を欲するものなので、まず水を大切にして、
食べ過ぎないほうがよいです。

どこかに沢山食糧が届いても、道路の寸断やガス欠で
運搬できなければ届かないので、運ぶための風呂敷やリヤカー、
人力で道を作る工具が自治体ごとに備わっていることも大切。
本来は井戸や用水があれば水問題は大丈夫ですが、
現在は飲用に適さない井戸水も多く、川も汚れているため
水の有無は最も切迫した条件になります。

水と風呂敷があれば、火災になりかけた時に
濡らした風呂敷をかぶせて鎮火させるという緊急手段もあります。
そのためには、燃えると危険な化繊でなく、麻や木綿の
風呂敷が基本です。

上からかぶせられないほど炎が立ち昇っていたなら、
安全確認した上で、火そのものではなく、燃えている
燃焼面を濡れた風呂敷で覆うために、2人以上で協力して
低い位置でスライドさせたり、風呂敷の角に結んだ
ひもを引っ張って移動させるなど、状況に応じ工夫します。

だから、材料となる風呂敷、手拭い、ひもといった
シンプルな素材を携帯しておくことは大切です。

道具に固定せず、材料を持ち歩く。
そして、必要な道具はその場で作るのが、ふろしきの心です。

完成品の買い替えばかりでなく、材料を調達して、家や自分で作るという
産業や教育を導入することが、よりよい世の中へとつながっていくと思われます。

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止めても聞かず、子どらは水遊びをこのむ。





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インターネットが普及した現在、様々なことを検索一つで見出すことができますが、
直接人と人が同じ場で交流できる風呂敷講座では、ただ結び方のハウツーだけでなく、
元に戻せるふろしきを通し、後始末ができて人や自然に負担をかけない
ものづくりの心を感じていただきたいと願っています。



大切なのは、その場限りの完結ではなく、そこからの増幅や変異、進化です。

ふろしきって色んな使い方ができて便利、で終わりではなく、
材料をむすんで、必要な形をつくり、その用が済んだらふたたび元の材料に還る、
このことは様々なことへも応用ができ、
現在の諸々の問題や環境汚染の解決を考える、大きなヒントになると思われます。

以前、レンガと板を重ねるだけの本棚を使っていたことがあります。
いつでも形を変えられるし、たとえ地震があっても前にバッタンと倒れず、
一つずつがガラガラと崩れるだけで安心。

そこまでいかなくても、木と木を組むだけの家具であれば、
引っ越しのときは外してコンパクトに運ぶこともできる。

道具は道具として固定せず、必要なときに、材料を組み合わせて好きな道具にして、
終わったらまた材料に戻す。

そのためには、シンプルな仕組みを、ただ増幅しさえすればよい。

増幅といっても、拡大路線というよりは、視点を増やすことでもある。



体を暖めるストーブで、同時にお菓子を焼いたり(ストーブの形式によっては注意)、
一人だけでなくなるべく大勢で共有することも、最大限生かすことへつながっていく。

たとえば家のあり方を考えるとき、
常緑樹の下は雨やどりができ、一つの居場所となるが、それだけでは家にまではならない。
それでも、樹の下に住む、というのを一つのシンプルな家の単位としてとらえたとき、
そこから増幅させると、周りにも生垣としての植物が繁っていれば
風もよけられるし、雨でぬかるんだら少し登った部分に居ればよい。

食べものもまた、最小単位として椎の実を考えたとき、
それを増幅させるなら、庭の西や北に、街路樹に、公園に植えたり、
どんぐりを拾えるスポットの地図を作成する。
常緑樹で暗くなるのが困るところには、落葉樹の栗やクルミを植える。
そういう運動を、地域、市町村、都道府県でしっかりと取り組めば、
食糧問題に対するひとつの安全保障のかたちとなります。

ふろしきも、ただの布きれを最大限に増幅させて生かしているものです。
元々そこにあるものに、新たに意味を、価値を、命をふきこんで生かすことは、
ブリコラージュと呼んだりもします。

そういう志向を身につけるきっかけとして、身近ですぐその場で思いつきを試せる
ふろしきは、適していると思っています。

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先日1/28(日)、朝日中高生新聞での風呂敷の紹介記事に
載せていただきました。

普段、学校での講座は小学校のほうが多いですが、
以前はある高校で毎年開催していたことがあり、
「もっと早う知りたかった!」と感嘆した生徒さんも
いらっしゃいました。

中高生になると異性の目を意識し、女子は可愛く、男子はかっこよく
見られたいきもちが強まる子も増えるでしょう。

そんな彼/女たちにとって、「風呂敷」といわれても、
古くさい、ださい、和っぽすぎて引いちゃう、という先入観は
ありましょう。

けれど、21世紀生まれにとっては、風呂敷は見たことも使ったことも
ない子もいるだろうから、
あたかも「お駕篭」のごとき、過ぎ去った過去の遺物なのかもしれません。

リヤカーだってそんな存在かもしれない。
だけど実際自分が実地に、様々な作業を手がけたとき、
リヤカーは何て便利だろう!と見直すでしょう。

風呂敷もおんなじで、困ったときに
布きれ一枚によって、拍子抜けするほど難なくまるく治まった
経験が重なるうちに、刷り込みも距離感も消え、手足のごとある
当たり前の存在へとなってくるものです。

風呂敷について記された記録や文献が少ないのも、
ごく日常であり過ぎたからかもしれません。

歴史に残る記述とは、変わってて珍しかったことほど
書き残されやすいのだから、過去の書物を読んで、
いにしえは、かような暮らしだったのだ、と認識するのは早合点です。

ともあれ、風呂敷は唐草文様で、泥棒が背負っている泥臭い布、と
決めてかかっては、貝殻についた苔を嫌って中の真珠を見落とすような
もったいなきこと。

印象は結んだかたち以上に、元の生地の色や柄が影響します。

なので、生徒諸君は、可愛い色やかっこいい模様の生地をえらんで、
その端を縫ってふろしきにすれば、さらなる楽しき
スクールライフを堪能できるに違いありません。

学生カバンのなかに一枚、スキな布をたたんでおいて、
自分や大切なひとが困ったときにショイショイと済ませるのが、
粋ってんだな。

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