たとえば、駅から家までの寒い夜道、徒歩15分。
家に着けば、温かくて美味しいシチューが待っているとする。
そうなると、たいていはハヤク家に着きたい!思いで
セッセカと身を縮めて急ぎ歩くことになりがちだが、
今この瞬間が、シチューが為に仕方なく歩き続ける
面白くもないただの道程になってしまう。
もちろん、疲れ道によって食事はより美味しくなるのだが、
前(シチュー)を見て歩くよりも
中(今の息吹)を見ながら進みたい。
足元の夜道が永遠に続いてもよいと思えるような、
安心に満たさせた意識と姿勢で歩くんだ。
憧れのシチューの幻想は追わない。
自分に流れてる温かな血潮を、いつでも泳いでいるだけさ。
そうして、ようやく目の前には美しいシチュー。
ずっと眺めててもいい。
ペロッと食べても、体の一部となって
一生涯共にあるという感覚。
それでこそ、経験は肉体に刻み込まれ、
時を超えていつでも逢うことができる。
| Trackback ( 0 )
|