☆9月某日 「プラナリア」 (山本文緒著 文春文庫)
山本文緒は会社の同僚に勧められて、しばらく前に「パイナップルの彼方」を読んだ。同僚の「女性の深層心理をとてもよく表現していて、すごくいいですよ」の言葉通り、大変面白かった。それで山本文緒が直木賞作家とわかって、受賞作を読みたかったのだが、今回漸く文庫化された。
本書は表題作を含む短編集。最初の「プラナリア」と次の「ネイキッド」あたりまでは、どうも呑む気父さんには重いというか、つらいというか、読み進めるのがきつかった。20代から30代の女性の赤裸々な情念みたいなものが迫ってきて、おじさんには受け止めきれないような感じがした。それほど深刻などろどろした内容ではないので少々大げさかもしれないが、私は気楽には読めなかった。
しかしその後のいくつかの話はそれほでもなく(というか父さんが慣れたのか)、すんなりと受け入れることができた。いずれにしても男も女も、女は特に複雑な自分でも御しきれない心情を抱えて生きている、ということかな。
最後の「あいあるあした」は、珍しく30歳代半ばの中年にさしかかる居酒屋のオヤジが主人公で、安心する。勿論話の中には二人の女性が登場し、その二人とオヤジの絡みがとても良い。「やっぱり事情を抱えて脱サラし、こじんまりした居酒屋を営むオヤジの日常は、それなりに波乱万丈であるのだなぁ~」などと妙に感心したりするのだが、こんな居酒屋をやるのも呑む気父さんの夢だな。
でも毎晩常連=呑み仲間が集まり、一緒になって呑んだくれていたのでは商売にならない。いくら商売でも、仲間が呑んでいるのに自分だけ素面で肴を作ったりすることは私には無理だ。夢は夢のままだからいいのかもしれない。
さて今度は山本一力の「蒼龍」を読み始めた。この作品も短編集だが、その第一篇「のぼりうなぎ」の書き出しはこうだ。
『柝(き)が打たれたあとから、夜回りの長い韻が流れてきた。』
く~っ、たまらんねぇ~。目の前に、江戸の冬の宵闇が浮かび広がる。
山本文緒は会社の同僚に勧められて、しばらく前に「パイナップルの彼方」を読んだ。同僚の「女性の深層心理をとてもよく表現していて、すごくいいですよ」の言葉通り、大変面白かった。それで山本文緒が直木賞作家とわかって、受賞作を読みたかったのだが、今回漸く文庫化された。
本書は表題作を含む短編集。最初の「プラナリア」と次の「ネイキッド」あたりまでは、どうも呑む気父さんには重いというか、つらいというか、読み進めるのがきつかった。20代から30代の女性の赤裸々な情念みたいなものが迫ってきて、おじさんには受け止めきれないような感じがした。それほど深刻などろどろした内容ではないので少々大げさかもしれないが、私は気楽には読めなかった。
しかしその後のいくつかの話はそれほでもなく(というか父さんが慣れたのか)、すんなりと受け入れることができた。いずれにしても男も女も、女は特に複雑な自分でも御しきれない心情を抱えて生きている、ということかな。
最後の「あいあるあした」は、珍しく30歳代半ばの中年にさしかかる居酒屋のオヤジが主人公で、安心する。勿論話の中には二人の女性が登場し、その二人とオヤジの絡みがとても良い。「やっぱり事情を抱えて脱サラし、こじんまりした居酒屋を営むオヤジの日常は、それなりに波乱万丈であるのだなぁ~」などと妙に感心したりするのだが、こんな居酒屋をやるのも呑む気父さんの夢だな。
でも毎晩常連=呑み仲間が集まり、一緒になって呑んだくれていたのでは商売にならない。いくら商売でも、仲間が呑んでいるのに自分だけ素面で肴を作ったりすることは私には無理だ。夢は夢のままだからいいのかもしれない。
さて今度は山本一力の「蒼龍」を読み始めた。この作品も短編集だが、その第一篇「のぼりうなぎ」の書き出しはこうだ。
『柝(き)が打たれたあとから、夜回りの長い韻が流れてきた。』
く~っ、たまらんねぇ~。目の前に、江戸の冬の宵闇が浮かび広がる。