十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

成仏してから死ね(2)

2024年07月29日 | 一法言

 「成仏してから死ね」なんて、前回書いたけれど、とにかく死んでから追善してもらって成仏なんてあり得ない、とすると生きている間に成仏するしかないのである。

 じゃあ、仏とは何かというと、自己の周りに仏国土という世界を持っており、それが浄土であるということである。

 内山老師の自己図(下図)のように誰でも自己世界を持っているのであり、それを清浄にすればいいだけのことである。

 自己がいて自己の周りに自己の世界があるなんてことは、ちょっと考えればすぐ分かることであり、そこに余計な、馬鹿げた、錯覚を混ぜ込むから世界が汚れるのである。

 では、クリーンにするにはどうするか、只管打坐の坐禅をするしかない。ちかごろ、瞑想流行りだが、いくらよいことを考えても透明清浄から比べればゴミに過ぎないのである。

 只管打坐すれば、自己世界が見える、その世界が清浄になる、つまり、仏の出来上がりである。仏典に出てくる次の言葉を参考にされるがよい。

 一切衆生悉有仏性( 涅槃経)

 自性清浄心(大乗起信論)

 坐禅自己の正体なり(正法眼蔵随聞記)

 衆生本来仏なり(坐禅和讃)

 修証一等(正法眼蔵弁道話)

 一寸坐れば一寸の仏(禅語)

 生も時なり 仏も時なり(正法眼蔵有時) *生とは衆生のこと。

 とにかく、只管打坐を坐禅を体験し、死ぬ時にはそれを思い出し、坐禅でも臥禅されれば仏として死ねることになる。

 仏とは宇宙一杯の存在だから、死ぬことはない。

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