”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2023年11月21日 22時49分43秒 | Weblog
11月21日(火) 晴

 ホモサピエンスその3

少し落ち着いたと前回のブログで書きましたが、中々そうは行きませんでした。ことの発端は自転車が紛失してしまったこと。まぁ買い替えようと思っていた自転車なのですが、まさかあんなボロの自転車が盗難にあうとは考えにくいのでですがどういったことか紛失してしまったのです。まぁそれは良いとしても新たな自転車を購入しなくてはなりません。そのため自転車屋巡りをして以前と同じような自転車を探していました。また田舎の屋根の修理代等の臨時支出などもあったことから保有している外貨預金を一部円に換える手続きをしていました。まぁ10年も前に外貨に換えていたので円安の現在ではかなり差益があります。さらにそれに加えて病院に行ったりでかなり慌ただしくなってしまいました。
そして明日は科学館で小学校への出前授業の準備に行きます。明後日からは御殿場の田舎に行く予定です。そんな訳で相変わらずドタバタしています。本当は来週のゴルフコンペに備えて練習もしたかったのですが、どうもぶっつけ本番になりそうです。
さて今日はその後のホモサピエンスの話をしてみます。ホモサピエンスが他の人類を絶滅させたり、当時の大型生物を絶滅に追い込んだことは以前述べましたがホモサピエンスの狩猟採集民がどうして農耕民となっていったのか?それによって生態系はどうなったのか?そしてそれから先にはどうなっていくのか?こんな疑問にどう答えますか。まず狩猟採集民のホモサピエンスと農耕民のホモサピエンスが長い間共存していたことは容易に想像がつくと思います。そして狩猟採集民のホモサピエンスはかなり広範囲を家族単位で移動しながら生活していました。そのためたくさん子供を持つことはできなかったと思われます。それに対し定住生活の農耕民は子供をたくさん持つことができたことが一つの要因です。そして農作業の特性から家族間での共同作業、共通の認識を持つ必要性があったと考えられます。共通の認識とは想像上の神とか神の化身となった人物を崇拝することや共通の外敵(畑を狙う動物など)に対処することなどが考えられます。そんな共通の認識によって家族間のつながりがより大きな組織化を可能としました。そのため数の少ない狩猟採集民はより辺鄙な所に追いやられ衰退していったと思います。また農耕民にとって外敵となる生態系は衰退し、農耕民に役立つ犬、猫、ヤギ、羊、鶏、牛、馬などが家畜化されていったことにより生態系もどんどん変わっていったと思われます。そして現在もそのことは絶滅危惧種となって続いています。
まぁその結果地球上にはほとんどが農耕民のホモサピエンスとなってきた訳ですが彼らをつなぎ留めている神とか神の化身の人物はすべて共通ではありません。したがってホモサピエンスが信じる崇拝者(物)の違いがお互いを殺しあう戦争を引き起こしました。そしてこれは現在も地球上のいたる所で起こっていることです。まぁ時代が経つにつれ科学と言う知恵によって戦い方はずいぶんと変わりましたが相変わらず同じことを繰り返しているのが現在です。
ではこの先ホモサピエンスはどうなっていくのでしょうか?その答えは狩猟採集民から農耕民に変わっていったことと同じことが起こるのかもしれません。つまりより大きな共通の認識を持った人類に変わっていくのかもしれません。そしてそれは科学のさらなる進展によって起こる事なのかもしれません。ひょっとするとクローン化されていくのかもしれませんが現代の我々には想像もつかないことなのでこの辺でこの話は終わりにします。
コメント
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