”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2023年04月16日 16時07分53秒 | Weblog
4月16日(日) 晴

 福岡周辺城巡り(2)

昨日に続き12日から14日の城巡りの旅続編です。
13日は福岡の宿、東横イン南口を朝8時に出発。福岡天神の西鉄福岡駅まで行き大宰府行きの急行電車に乗って大宰府に。西鉄電車の窓は黄砂のせいでしょうか外の景色は霞んでよく見えません。
大宰府は外国人観光客でいっぱいです。とりあえず大宰府天満宮で参拝。
本殿は工事中の様なので裏本殿にて参拝しました。

大宰府天満宮から元の西鉄太宰府駅に戻り、案内所で大野城へ行く道を案内してもらい四王寺山を登ります。自然歩道は一人ではちょっと怖いので林道を2時間ほどかけて登りました。
途中岩屋城跡で一休みです。

岩屋城は戦国時代、猛将高橋紹運が約750の兵で守っていた城ですが、島津氏約10万に攻められ玉砕した悲劇の城のようです。たった750の将兵で10万の大軍に果敢に戦い全員玉砕したのですが今でも地元の人に偲ばれているようです
ここから更に登ること1時間、大野城跡の一つ焼米が原に着きました。

大野城は天智天皇の時代に朝鮮式山城の一つです。百済を援助して朝鮮半島で戦った白村江で敗れ、新羅の侵略に備えて朝廷が造った城です。岡山の鬼ノ城と同じ目的で造られました。もっとも大野城にはもう一つ大きな目的として緊急時には大宰府の移転先として考えられていました。

ここは大野城の倉庫跡です。まぁ実際には看板に示されたような倉庫があったようです。

大野城は四王寺山全体が石垣や土塁で囲まれている広大な城と言うより居住地になっていたようです。
とても周囲を巡って歩くことはできないので帰りは自然歩道を歩いて大宰府に戻りました。
大宰府に戻り、百名城のスタンプのある大宰府政庁跡までまた歩きます。もう歩数は3万歩を超えています。

大宰府政庁跡は宮城県の多賀城跡と造りはよく似ています。ただ多賀城跡と比べあまり再現には力を入れてないようでだだ広い原っぱになっていました。

まぁ疲れ切って福岡天神に戻りましたが、福岡と言ったら中州に行かなくてはと言うことで中州で夕食にしました。焼ラーメンを食べましたが量が多くてまずまずの味でした。
さて翌日は佐賀県の吉野ケ里遺跡に足を延ばしました。

吉野ケ里公園駅からは上図のような案内板があり歩いていくには便利です。

吉野ヶ里公園入口から入ると中はものすごく広い。入園料はシルバーと言うことで200円です。遺跡跡に入る前には環濠が張り巡らされています。

環濠の中に集落があります。最初は南内郭

更に奥に行くと北内郭。

その奥には祭殿がありました。

まぁ復元建物がたくさんあってなかなか立派でした。
祭殿を見ている時に雨が降ってききて戻るのが大変でした。笠を荷物預けに置いてきてしまったのでずいぶん濡れてしまいました。もっとも今回の旅行はあとは帰るだけなのでとりあえず大丈夫。
予定より1時間早く切り上げ長崎本線、鹿児島本線を乗り継いで博多に戻り、若干の土産を買い14日夜に名古屋に戻りました。
まぁこれで日本百名城は80となりました。残り20となって今年はコロナで行けなかった分多めに行けるようこれから計画を立てていきます。
さて旅が終わったばかりですが明日からは御殿場の田舎に出かけます、今回は畑の植付けやら高校時代の仲間とゴルフをやってくるつもりです。
ここまで読んでいただいた人ありがとうございます。ではまた。
コメント
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