”しんさん”のよもやま話

僕のビジネス感や社会現象に対する意見とかを趣味のヨットやゴルフ等の話を織り交ぜながらよもやま話的に発信します。

しんさんのよもやま話

2009年02月04日 20時41分36秒 | Weblog
2月4日(水)曇
今日は書くつもりはなかったのですが、昨日の補足を少ししておきます。
今日は立春ですが古代中国での季節の考え方と西洋の季節の考え方がまったく違うと言うことを補足しておきたいと思います。昼夜の長短のピークが冬至であり夏至です。これを称して二至と言います。昼夜の長短が同じとなるのが春分と秋分です。これを称して二分と言います。この二至二分の区切り方として、古代中国では二至二分が季節の中間と考えたわけです。そこでそれぞれの中間を立春・立夏・立秋・立冬としました。そして春は立春から立夏まで、夏は立夏から立秋までとしたわけです。二至二分を中心にその前後を季節の区切りとした訳です。一方西洋ではもっと単純に春分から夏至までが春、夏至から秋分までが夏と考えたわけです。従って1.5ヶ月ぐらいの差ができてしまいました。
旧暦の正月と立春はほぼ同じ時期にあったことから1年の始まりは春からと考えていた訳です。元々日本の旧暦(和暦)は新月から次の新月までが1ヶ月でしたから1年が12ヶ月であったり、13ヶ月であったりで閏月が2~3年おきに発生していたようです。奈良・平安時代になって中国からの文化が入って来ると太陽の動きも加味した暦が入ってきました。24節気は太陽の動きそのものです。これらを組み合わせて江戸時代のいわゆる我々が言っているところの旧暦ができあがったと考えた方がよさそうです。だから旧暦は太陰暦ではなく太陽太陰暦と言われています。どちらがいいかは考え方だと思うので評論はできませんが両方知っていると我々が行っている行事や行動の意味がわかりやすいと思います。たとえば年賀状に初春とか書いて来るものがありますが1年の始まりが春からと言う旧暦の考え方からみればすごく自然です。
ところで僕も勘違いしていましたが八十八夜とか二百十日はこの立春を起点に数えたものでした。多分僕は旧正月(今年は1月26日)を起点と言ったかもしれませんので失礼しました。立春といえば丁度梅の花が咲く頃です。三重に住んでいた頃は結城神社のしだれ梅よかったですね。もう咲く頃だと思います。梅は大宰府天満宮とか天満宮と言われる神社には大抵あるはずです。菅原道真と縁の深い花ですから。昔、道真が京から大宰府に左遷されたとき「東風(こち)吹かばにおいおこせよ梅の花、主(あるじ)なしとて春な忘れそ」と詠みました。それから道真が亡くなった後大宰府天満宮には春を忘れずに真っ先に咲く梅の花があったと言う飛梅(とびうめ)伝説ができたそうです。菅原の道真は当時の人たちに大変親しまれた人だったようです。大宰府に左遷された後、京では雷雲が立ち込め雷がすごかったそうです。これは道真を左遷したたたりだと当時の人たちは道真の住んでいた桑原と言う地名をとってクワバラ、クワバラと言って道真の魂を鎮めたそうです。それが現代まで伝わって恐いものに出会うとクワバラ、クワバラと言うのだそうです。まぁほんとか嘘かはわかりませんが。
話がどんどんそれてしまいました。すみません。
今日は立春なので昨日の節分の話の細くとして少し立春の話を付け加えました。
ここまで読んでくれてありがとう。
それではまた。
コメント
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