西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

先輩の「お別れ会」に行く

2014-04-06 | 地域居住学

昨日、4月5日、大学での同じ西山夘三研究室の1級上、3年先輩の三宅 醇さん(豊橋技科大名誉教授、4月1日没、享年75歳)の「お別れ会」に間に合うように豊橋に出かけた。

道中、新幹線は神戸大教授の山崎寿一さんと一緒、豊橋駅で京大教授の高田光雄さんに会って一緒に会場「ディア(涙!)豊橋南会館」にタクシーで行った。

15時過ぎから始まった「お別れ会」は、面白かった。亡くなった三宅さん自身も「面白くしてくれよ」というメッセージを言っていたとのことだ。

仏式でも神式でもキリスト教的でもない、宗教に一線を引く新しいやりかただと思う。

正面を見ると、三宅さんのお棺が中央に据えられ、後ろや横は花で飾られている。花の色は普通の葬儀では、白や黄色であるが、ここでは派手な赤やピンクの花も多い。花畑のようだ。三宅さんの遺影は、にっこり笑っており、背景は故郷、中津川の恵那山とのことだ。この風景は、今まで毎年貰っていた年賀状にあったと思う。

三宅さん自身が、亡くなる間際の意識がはっきりしている時点で、「お別れ会」のプロジューサーとなり、色々指示されたようだ。

「皆さん、来ていただき有難う・・・」のような三宅さんの肉声録音も流された。

弔辞は5人もあり、色々な面から三宅さんの人となりを浮かびあがらせていた。森本信明さん、小川正光さん、正田要一さん(豊橋技科大・三宅ゼミ一期生)、田中 勝さん、住田昌二さんだった。三宅さんが最後の仕事としていた『日本住宅事情史』は、住田さんがバックアップされて三宅さんの弟子の田中さんが完成させるという方向も明らかとなった。

三宅さんと奥さんの結びつきの接点の一つは、コーラスであり、奥さんとそのグループに参列者も加わって「はるかな友へ」「あかとんぼ」「ふるさと」を合唱した。皆が参加意識を高めたであろう。

参列者全員の献花のあと、家族(奥さん、長男、次男、長女)の挨拶(参列お礼と「思い」の開陳)がそれぞれあった。ご長男が、病状の進展具合(最後に自ら設計された自宅に一日だけ戻ったこと含む)もあり、お骨は、豊橋技科大を下に見る寺院に収められ、何時も過ごした技科大を見られるように三宅さんの意をくむ配慮も感じられた。

ご長男の閉会の辞で、約2時間余の「お別れ会」は終わった。個々人で花を三宅さんの眠るお棺に収めた。

奥さんやご長女に昔、拙著(家内との共著)『キラッと輝くいい住まい』(彰国社)に収録するため三宅さんのご自宅を家内と共に訪問し、聞き取り調査をすると共に一泊させてもらったお礼をも言っておいた。ご長女の「あきさん」が、僕が3月27日に出した手紙を、三宅さんの枕元で読みましたよ、と言われた。「良かった、間に合った」と思った。

久し振りに会った人たちと言葉をかわした。後の自主的「二次会」で友人に聞くと、見逃した知り合いが多い。200人にもならんとする参列者で、言葉を交わせなかったのは残念だったが、今後あったら三宅さんのことや、我々の「終活」についても話したいものだと思った。