向島ニュータウンの駅前左手の3街区は七つの住棟で構成されている。京都側からタクシーで24号線を帰る時、宇治川を渡る辺りから良く見えた。現在、三つの棟では大きく覆いがかぶさっていて外壁(外面)全体が補修中である。この街区は、私が4街区に住み始めた1978年3月以降に出来たものであるが、もう25年以上は経っている。だから、ひょっとして2度目の補修(化粧直し)かもしれない。
この街区には、私の知り合いが何人か住んでおられる。奈良女子大で10年ほど「先輩」のE.先生(現・名誉教授)、やはり奈良女子大におられたが京大に替わられた6年ほど「先輩」のS.先生である。阪神・淡路大震災の後にE.先生に聞くと、廊下のつなぎ目の「エキスパンション・ジョイント」のピンが飛んだ、と言っておられたのが記憶に残っている。よほど揺れたに違いない。
(写真は、大きく覆われた3街区の住棟)
この街区には、私の知り合いが何人か住んでおられる。奈良女子大で10年ほど「先輩」のE.先生(現・名誉教授)、やはり奈良女子大におられたが京大に替わられた6年ほど「先輩」のS.先生である。阪神・淡路大震災の後にE.先生に聞くと、廊下のつなぎ目の「エキスパンション・ジョイント」のピンが飛んだ、と言っておられたのが記憶に残っている。よほど揺れたに違いない。
(写真は、大きく覆われた3街区の住棟)