ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.6.18 瞑想ヨーガ指導者養成コース11日目

2016-06-18 20:56:56 | ヨガ
 瞑想ヨーガ指導者養成コースの11日目。余すところ前期も今日明日の2日間になった。
 今朝もいつもより早く起床、洗濯を済ませて出かける。いいお天気。最高気温が32度の予想。暑い一日になりそうである。

 いつものようにSさんが出席を取り、まずは皆でガーヤトリーマントラを9回唱えてから、瞑想。静かに充電された満ち足りた感じになる。2週間ぶりのクラスは質問タイムから。楽しいこと探しが大好きというSさんから促されて、数人が楽しかったことをお披露目。
 今朝はスタジオの近くで、3月まで放映された朝の連続テレビ小説で五代様役だった俳優さんが、ベンツに乗って撮影中だったという情報も入って、皆で盛り上がる。というのもこの俳優さん、以前ヨガの映画でSさんがご一緒したという方だからだ。

 まずは身体を慣らすためにマントラ付きの大地への挨拶の礼拝、前回のクラスで行ったマントラ付きの月礼拝を繰り返して、逆転のポーズ、魚のポーズを経てシャバーサナでお休みする。本当に気持ちよい。体も心もとてもリラックスして休んでいるのに、不思議と感覚は研ぎ澄まされている。そして、至福に満ちた母の心で神をたたえ歌うキールタンを歌う。

 休憩の後は、後期の指導者養成コースのご案内に続き、午前中のカリキュラムであるヨーガ哲学3、ヨーガスートラを学ぶの3回目。ヨーガスートラは1行につき、1年かけて学びなさいとされ、じっくり時間をかけて学ぶものなのだが、195行もあるため、本当に1行に1年かけていたら普通の人は生きているうちに終わらない計算になる。
 今回はSさんが特別にごくごく大切な部分をピックアップしてくださったプリントが配られて、これで学ぶ。サンスクリット語の逐語解説と振り仮名付きの資料を見ながら、Sさんのリードで繰り返し皆で復唱していく。

 集中しているとあっという間に午前のクラスが終了。
 いつものようにランチタイムは3人で。今日も迷わず皆が大好きなタイ料理レストランへ向かった。少し待っただけで入り口のテーブルに座ることが出来た。前回病み上がりで、辛いものを我慢したけれど、今日は暑さにめげないようにとトムヤンクンに挑戦。汗をかきかき、涙や鼻水を押さえて冷たいお茶をたっぷり頂きながらしっかり完食。
 それにしても外の暑いこと。早くも真夏である。あちこちで今年初めて35度を超えそうだというニュースを見て、びっくりする。

 午後はヨーガスートラの続き。超特急で4章までを前半で終了させる。小休憩の後は、カリキュラムのマントラ2ということで、さまざまなマントラの実践。これまで歌わなかったキールタンを残さず歌っていく。10曲ほど歌い続けただろうか。自然に体は揺れ、すっかりリラックスしていい気分だ。
 最後のマントラは10節から成り、全曲通しで歌うと15分以上かかった。意味を思いながら口ずさむとなんだか不思議と安らかな気分になっていく。歌うことはいいなあ、と今日も思う。

 クラス終了後はカルマ・ヨーガで自分の使ったマットを綺麗に掃除して整え、ご挨拶をしてスタジオを出る。

 外は青空。まだまだ明るい。もうすぐ夏至だ。
 そして、泣いても笑っても明日は最終日。カリキュラムでは午前中がまとめ、午後はテストということになっているけれど、どうなることやら。点数がどうの、というよりも皆でしっかり前期の内容を振り返り、おさらいをするための時間ということだから、今日は無理に勉強するよりも、早めに休んで体調を整えて備えたいと思う。 
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2016.6.17 集合住宅に思いを寄せて~海よりもまだ深く&団地~

2016-06-17 21:18:22 | 映画
 高度成長期のシンボル、“団地”を舞台にした映画を2本観た。
 1本目は、ご贔屓の俳優・アベちゃんがダメダメ50男を演じた「海よりもまだ深く」。2本目は、映画出演は16年ぶりという藤山直美さんのために書き下ろされた完全オリジナル脚本の「団地」。

 どちらもその舞台は古き良きエレベーターのない団地だ。
 私自身、集合住宅に暮らすのは就職後、小さなマンションで一人暮らしを始めて以降のこと。3歳で今の実家に引っ越すまではアパート住まいだったというが、これは殆どというか全く記憶にない。
 けれど、四半世紀弱暮らした実家の近くには、街の名前を冠した第○団地といわれる大規模な集合住宅があり、当然幼稚園、小学校、中学校の友人たちもここに住んでいる人たちが多かった。

 母親役の樹木希林さんが甲斐性なしの息子・アベちゃん演じる良多に向かって「まさかここに40年も住むと思わなかったわねえ~」と呟いていたけれど、当時、団地の友人宅に遊びに行くと、「うちも今にここを出て○○ちゃん(私のこと)よりも大きな家に引っ越すからね」と友人のお母さんに言われ、子ども心になんとなく居心地の悪さを感じたものだ。

 団地は生涯住むところではなく、いずれは一戸建てに、という夢の途中の住処だったのかもしれない。けれど、私は私で平屋でなくて階段があって(当時は4,5階建てでエレベーターがない団地が殆どだった。)、我が家より見晴らしが良くて、コンパクトで機能的な2DKや3DKのベランダのある家はいいなあ、などと思っていたのである。なんとも隣の芝生、である。

 妻に見切りをつけられ、未練タラタラで離婚した主人公の良多は、ギャンブル好きでかつて1作、賞を取って以降鳴かず飛ばずの小説家。今は取材と称して探偵事務所で糊口をしのぎ、半年前に急逝した父の形見を換金しようと実家にこっそり忍び込むようなトホホな男。養育費もろくに払えず、1ヶ月に1度面会を許されている11歳の息子と会うことだけが楽しみだ。

 その息子と元妻が台風のために、偶然訪れた団地の実家で足止めを食らい、期せずしてともに1晩を過ごすことになる。
 もしや復縁の可能性はないのか、といそいそと得意な料理を振る舞い、川の字に布団を敷く母。宝くじが当たったらおばあちゃんも一緒に暮らそう、と孫に言われて涙ぐむ母。ダメ息子の母の気持ちも、ダメ夫が嫌いになり切れずにいる元妻の気持ちも、両親の間に挟まりつつ、彼なりに皆に気を遣う思春期直前の真悟君の気持ちも、なんだかとてもリアルに想像出来て、にやり、くすりとしながらもしんみり切なくなってしまった。

 それにしても「エヴェレスト 神々の山嶺」で孤高のアルピニストを演じたかと思えば、こんな風采の上がらないダメ息子もぴったりハマるようになったアベちゃんはいい役者になったなあ、と贔屓の引き倒しの私は思う。

 一方、団地。
 最愛の一人息子を不慮の事故で亡くし、悲しみを抱えたまま家業の漢方薬局を畳んで大阪近郊の古ぼけた団地に引っ越してきた初老の夫婦が主人公だ。ここに昔の顧客だったというちょっと変わった青年が登場する。岸辺一徳さん演じる夫・清治さんの訳ありな行方不明事件を経て、ラストには夫婦揃ってこの青年に連れられて・・・というSFファンタジーなのだけれど、ひたすら夫婦漫才顔負け、丁々発止の会話がメインの、大阪らしいテンポの映画。おもしろうてやがてかなしき、というか、ヒナ子役の藤山さんの一人芝居の流石なことと言ったら。

 彼女はパートでスーパーのレジ係をしているが、上司いわく鈍臭くて(顔なじみのお客さんへの対応が丁寧すぎて)クビになってしまう。それでも店の裏口で一人、手を動かしてバーコードの読み取りをする仕草を淡々と繰り返す姿には涙を誘われてしまった。

 どちらも甲乙つけ難く、観て決して損はしない作品だと思う。
 団地という存在は、かつて日本を支えてきた人たちの憧れの住まいだったのだと、懐かしくもほろ苦い感じが心に残る。

 おかげさまで今日無事に55歳の誕生日を迎えました。“四捨五入すれば60歳!”と自分で書いて思わずのけぞっています。よくぞここまで生き延びることが出来ました。
 これからも細く長くしぶとく、マイペースで頑張り過ぎずに頑張っていきます。引き続きどうぞ宜しくお願いいたします。

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2016.6.16 痛い時は我慢しなくてよい

2016-06-16 21:59:05 | 日記
 愛読している朝日新聞医療サイト・アピタルのコラム「1分で知る」の最新号で、なるほどな、と思ったので、下記に転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

日本人は痛みに耐えすぎ?(2016年6月15日06時00分)

 注射を打たれるとき、痛みをぐっとこらえて表情を出さないのは日本人ぐらいだそうだ。がん研究会有明病院(東京)の服部政治・がん疼痛治療科部長が、米国での研修中に気づいたという。日系米国人は普通に痛がるといい、「人種の違いではなく、日本で教育を受けると、我慢=美学という精神が深く根付いている表れではないか」と話す。
 がん治療の現場でもその傾向は変わらない。痛みをやわらげるモルヒネなどの医療用麻薬は「一度使ったらやめられない」といった誤ったイメージも重なり、使用をためらう患者が少なくないそうだ。服部さんは「痛みがあることを隠す患者もいる」と指摘する。
 がんなどの痛みの緩和に必要な医療用麻薬の適正使用量と実際の消費量を比べたWHOの統計(2010年)がある。日本は患者1人あたり適正使用量189ミリグラムに対し、消費量は29ミリグラム。米国では消費量が適正使用量の2倍以上に上るなど、日本の消費量の少なさが際立つ。
 服部さんは「がんの痛みを放っておくと、体力や免疫力が下がり、治療継続が不可能となる。遠慮なく医師に『痛い』と伝えてほしい」と訴える。(石塚広志)<アピタル:1分で知る・がん>

(転載終了)※   ※   ※

 そう、私も小さい時から注射で痛がろうものなら「はい、我慢我慢!」と言われ、ぐっと堪えられれば「よしよし、偉かったね、強いね」と育った。泣いたら弱虫、ダメな奴みたいな感じ。我慢は美徳、顔で笑って心で泣いて・・・みたいなものが日本人魂といったところだろうか。

 それでも痛い時は痛いものだし(とはいえ、痛みのスケールはかなり個人差があると思うし、ある意味とても主観的なもの。痛みに強い人、弱い人は確かにいるのではないかと思う。)、それを相手にきちんと伝えなくては、その辛さは判ってもらえない。痛いのは自分だから我慢すればいいか・・・というのも、ちょっとの間なら可能かもしれないけれど、いわゆるがん疼痛で延々と続く痛み、となったらそうは問屋がおろさないだろう。

 今はおかげさまでロキソニンで済んでいる私も、いつ医療用麻薬のお世話になる日が来るかわからない。けれど、その時は決して無理せず医師を信頼して処方してもらって、痛みから解放されようと思う。これは自分の身体の声にきちんと耳を澄ませば、それほどタイミングをしくじることはないように思っている。

 一般的な頭痛薬を飲む時などでも経験することだけれど、痛みが酷くなってから慌てて飲んでみたところで効くのに時間がかかって却って往生することは多い。だから、なるべく早めに準備して、後手後手にならないように。

 なんといっても痛みは間違いなく病と立ち向かう気力を奪うものだ。それで体力や免疫力まで落としてしまっては元も子もない。
 少しでも長く心穏やかに病と共存していくためには痛みを上手にコントロールすることは絶対必要だと思うが、どうだろう。
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2016.6.15 4年の重みは計り知れない

2016-06-15 21:42:54 | 日記
 ここは政治についてあれこれ語る場ではない。けれど、日々の雑感として、一言書いておきたい。

 一期4年という年月は決して短くない。
 都知事という職を、20代半ばの頃、ごく身近に見ていたことを思い出すと、本当にどれだけ大変なものだったかと思う。
 ただの名誉欲や私利私欲ではとても勤まるものではない。
 小国ほどの予算を采配し、ある意味大臣よりも重鎮だ。文字通り公人だからプライベートな時間はごくごく限られ、紛れもなく分刻みのスケジュール。体調管理は至上命題である。

 それが、2度あることは、3度ある・・・で、任期途中でまたしても知事が辞職することになった。
 前々知事は多選の末、あたかももう飽きたという風情で途中投げ出し。前知事は僅か1年で自らの政治資金問題による惨憺たる幕引き、そして当初は耳を疑うようなレベル(毎日出勤するとか、レクの時に怒鳴らないとか)で尊ばれていた現知事も、その公私混同問題から2年4ヶ月で辞職を受け容れることになったようだ。

 最後になって知事が尤も気にかけたオリンピック。間近に迫ったリオはおろか、2020年の東京にまでその影響は及んでいく。あの状況で「公益にそぐわない・・・」と主張することこそ、都民の名誉を汚すことなるとは思い至らなかったのだろうか。

 そもそも私個人としては、2020年のオリンピック招致についてもウエルカム派ではなかった(もっとやるべきことは沢山あると思っている。)けれど、何かする度にこんなにあれこれケチがついてしまって、なんだか呪われているような気もしてくる。
 それでも、2020年は開催するしかないのだろうか。

 次なる首都の顔を選ぶのは他でもない私たち都民だ。初めて選挙権を行使することになる18歳、19歳の若者たちには今回のドタバタ劇がどう映っているのだろう。

 今日も雲が重く立ち込める梅雨空だ。それでも紫陽花は色濃く、美しい。こうして植物たちは自分の置かれた位置でその時が来れば誰に言われなくともきちんと咲く。どれほど尊いことだろう。

 なのに、どうして選ばれた人たちはその立場に置かれ、きちんと咲くことが出来ないのだろうと哀しく思う。
 我が家では、夫が先日実家の庭で切ってきた4種類の紫陽花が満開である。紫、赤紫、青紫、淡いブルー。ガラスの花器にこんもりと大輪の花を咲かせている。
 ともすれば重くなりがちな心が洗われる6月の夜である。


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2016.6.14 マスコミ報道もさることながら

2016-06-14 22:49:49 | 日記
 海老蔵さんの奥様である小林麻央さんの進行性乳がん報道が全国を駆け巡ってから数日が経った。
 進行再発乳がん患者の一人として思うのは、本当に芸能人の方たちは気の毒だということ。心底そっとしておいてほしいだろうなと思うし、そっとしておいてあげてほしいと思う。
 あれだけの情報であれこれ推測することはとても失礼な話で、当事者以外が憶測の域で何かを語ることは何の意味がないのだけれど、とも思う。

 ところで、本題は、夫が夕食の時に、ぽろっと言ったことで感じたことだ。
 職場でこの話が話題になって、女性たちがワイワイガヤガヤ話すのをなんとなく聞いていたそうだ。
 そして「女性だからって皆が、乳がんのことを知っているわけじゃないんだね~」とのこと。夫でもあれ?と思うようなトンチンカンなお喋りが続いたのだろうか。

 夫は初発から数えて11年半、再発進行がん患者(つまり私)とともに暮らして8年半にもなるから、まあそれなりにこの病気のことは普通の男性よりも良く知っているだろう。
 ただ、それはあくまでも私のケースであって、全てに通じる一般論ではない。私自身も、自分のこととせいぜい自分と同じタイプのこの病気のことを、他の人よりも経験した分だけ少し知っているというに過ぎない。この病気には実に様々なタイプがあり、辿る経過は百人百様だ。

 まあ、具体的にどんな話がされていたのか、あまり聞きたくもなかったし、あれこれ詮索したところで誰も幸せにならない。
 だからサラリと「そりゃ、そうでしょ。私だって自分がかかるまでは詳しいことは知らなかったし、あえて知ろうとも思わなかった。皆、自分なり家族なりがかからなければ所詮他人事なのよね。そして、このがんは他の部位に比べて予後が長いし、なってから勉強するという時間的余裕があることも事実だしね。」と返してその場を納めた。

 色々な医療関係者も、今回の件でどういう状況が考えられるのか、とあれこれ文章を書いておられるようだが、結局のところ、推測でしかないのではないだろうか。
 先日、検診によるマンモグラフィで判別不能なケースについてはノーコメント(異常なしとみなす)という記事も読んだばかりだけれど、検診レベルではおそらくそうなのだろうな、とは常々感じていた。

 早期発見してその時出来る標準治療をしても再発転移することは十分にありうるから、安易に早期発見すれば治るなどとは言ってほしくないし、検診さえしておけば大丈夫(若い女性には過剰検査等が必要になって却ってマイナスになるケースもある)だといった無責任な情報は流さないで欲しいな、と思うのだ。

 一生懸命治療に頑張っている患者さんと、それを支えている家族の方たち。お子さんが小さければそのストレスはいかばかりかと心が痛む。

 2人に1人ががんになる時代。女性の12人に1人が乳がんにかかる時代である。どうか決して他人事、対岸の火事と思わずに、静かに暖かく寄り添ってほしいと強く思うのである。
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