ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.6.6 御所参観と京懐石堪能の後、無事帰京

2016-06-06 22:40:18 | 
 昨夜はやはり疲れ過ぎていたのか、なかなか寝付けず。夫は隣で高らかにいびきをかいてグッスリ。こちらは寝返りを打ったり咳払いをしたり・・・であっという間に朝になった。
 熟睡した夫はすっかり元気。私は寝不足の頭をすっきりさせるために浴槽足湯を済ませてから連続テレビ小説鑑賞。

 チェックアウトして荷物を預け、時間をかけて駅ナカのモーニングセットを頂いてから地下鉄で北上する。今日は、事前に夫が宮内庁に申し込んでくれた御所見学。息子が西陣付近に住んでいた頃は、お散歩やジョギングでよく来ていたというが、彼自身もまだ内部を拝見したことはないだろう。
 私たちも門の外から写真撮影はしたけれど、参観が叶ったのは初めてのことだ。東京に長く住んでいながら皇居の中に入ったことがないのだから、御所を訪れたことがないのは、当然といえば当然か。

 さて、関東甲信越では昨日梅雨入りしたというニュースが流れたけれど、こちらは良いお天気。湿度は高く蒸し暑い。予想気温は30度という。見学の20分前から受付開始ということで、見学者たちは大木の下で日陰の恩恵を得ながら、辛抱強く待っている。

 受付後、参観者休所に通される。ここでは電子掲示板で情報が流れており、御所限定のグッズショップがある。参観記念に一筆箋やガイドブックを購入して案内を待つ。
 男性の案内役に引率されて、予定時間1時間の案内ツアーが開始。五、六十人ほどが一団でいただろうか。日差しがどんどん強くなってきて、日傘をさしていても玉砂利の照り返しがきつい。眩しくて目を開けているのがしんどい。

 築地塀に囲まれた南北約450m、東西約250mの方形、面積が約11万㎡の京都御所は、南に白砂式の南庭を構えた紫宸殿が高くそびえ立ち、その存在感が圧倒的に迫ってくる。その北西に、まるで源氏物語絵巻そのもののような清涼殿、北東に小御所、御学問所がいずれも東に面して建っている。

 これらの建物は1854年(嘉永7年)の火災後、翌1855年(安政2年)に異例の速さをもって再建を果たし、現在に至っているという。小御所、御学問所の前には雄大な回遊式庭園である御池庭が配され、松の緑、色とりどりに咲き乱れたつつじが美しい。さすがインペリアルパレス、莫大な維持費がかかっているなあとため息。2つの建物の間にある四角い蹴鞠の庭は、今にも宮廷衣装をまとったやんごとなき方たちが出てきそうな雰囲気。

 蒸し暑さと歩き疲れで、だんだん拡声器越しの説明がどうでもよくなってきて、写真だけ撮ってやり過ごしてしまう体たらく。ピッタリ一時間で案内は終了。かなり体内の水分が蒸発、干上がって消耗した。

 お昼には、以前よく訪れたお気に入りのホテルの京懐石を予約しており、息子も誘っていたのだが、音信普通。まだ予約時間には早いということで、休憩所で水分補給と限定のお土産を物色して時間調整する。

 少し早いけれど、とぶらぶら歩いてホテルに到着する。結局、息子からは連絡がなく、夫と2人で水無月献招というお昼のお勧め料理に舌鼓。祇園祭の山鉾巡業における儀式の一つ「くじ改め」の趣向が凝らされている。
 重ねたお弁当箱がくじ札が収められている文箱に見立てられており、扇子を使って結び紐を解いて蓋を開ける仕草を擬して、扇子の形のお箸袋に入ったお箸を上に持ち上げると、はらりと紐が解けるようになっている。なんと風流なことである。彩り豊かなお料理の数々を目と舌で堪能。
 最後には和菓子とお抹茶のおもてなしもあり、優雅なランチタイムは大満足だった。ホテルのシャトルバスで地下鉄駅に送って頂き、京都駅まで戻る。

 ホテルで荷物をピックアップし、予定通りの新幹線に乗り込んだ。ここでようやくLINEで息子と連絡が取れた。疲れすぎてさっきまで寝ていたとのこと。せっかく美味しい懐石料理をご馳走してあげようと思ったのに、食より寝を選んだわけである。

 午前中太陽光線に晒された所為か、夫も私もぐったり。手持ちの文庫を読み始めたけれど、いつもの車内販売のアイスクリームを買うタイミングも逸して眠りこけてしまった。

 こうして1泊2日の京都から無事帰宅した。
 洗濯も入浴も済ませ、あとは眠るだけ。明日一日仕事に出たら明後日は通院日。いい結果が出ますように。


 

コメント
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