ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.6.15 4年の重みは計り知れない

2016-06-15 21:42:54 | 日記
 ここは政治についてあれこれ語る場ではない。けれど、日々の雑感として、一言書いておきたい。

 一期4年という年月は決して短くない。
 都知事という職を、20代半ばの頃、ごく身近に見ていたことを思い出すと、本当にどれだけ大変なものだったかと思う。
 ただの名誉欲や私利私欲ではとても勤まるものではない。
 小国ほどの予算を采配し、ある意味大臣よりも重鎮だ。文字通り公人だからプライベートな時間はごくごく限られ、紛れもなく分刻みのスケジュール。体調管理は至上命題である。

 それが、2度あることは、3度ある・・・で、任期途中でまたしても知事が辞職することになった。
 前々知事は多選の末、あたかももう飽きたという風情で途中投げ出し。前知事は僅か1年で自らの政治資金問題による惨憺たる幕引き、そして当初は耳を疑うようなレベル(毎日出勤するとか、レクの時に怒鳴らないとか)で尊ばれていた現知事も、その公私混同問題から2年4ヶ月で辞職を受け容れることになったようだ。

 最後になって知事が尤も気にかけたオリンピック。間近に迫ったリオはおろか、2020年の東京にまでその影響は及んでいく。あの状況で「公益にそぐわない・・・」と主張することこそ、都民の名誉を汚すことなるとは思い至らなかったのだろうか。

 そもそも私個人としては、2020年のオリンピック招致についてもウエルカム派ではなかった(もっとやるべきことは沢山あると思っている。)けれど、何かする度にこんなにあれこれケチがついてしまって、なんだか呪われているような気もしてくる。
 それでも、2020年は開催するしかないのだろうか。

 次なる首都の顔を選ぶのは他でもない私たち都民だ。初めて選挙権を行使することになる18歳、19歳の若者たちには今回のドタバタ劇がどう映っているのだろう。

 今日も雲が重く立ち込める梅雨空だ。それでも紫陽花は色濃く、美しい。こうして植物たちは自分の置かれた位置でその時が来れば誰に言われなくともきちんと咲く。どれほど尊いことだろう。

 なのに、どうして選ばれた人たちはその立場に置かれ、きちんと咲くことが出来ないのだろうと哀しく思う。
 我が家では、夫が先日実家の庭で切ってきた4種類の紫陽花が満開である。紫、赤紫、青紫、淡いブルー。ガラスの花器にこんもりと大輪の花を咲かせている。
 ともすれば重くなりがちな心が洗われる6月の夜である。


コメント
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