ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.6.16 痛い時は我慢しなくてよい

2016-06-16 21:59:05 | 日記
 愛読している朝日新聞医療サイト・アピタルのコラム「1分で知る」の最新号で、なるほどな、と思ったので、下記に転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

日本人は痛みに耐えすぎ?(2016年6月15日06時00分)

 注射を打たれるとき、痛みをぐっとこらえて表情を出さないのは日本人ぐらいだそうだ。がん研究会有明病院(東京)の服部政治・がん疼痛治療科部長が、米国での研修中に気づいたという。日系米国人は普通に痛がるといい、「人種の違いではなく、日本で教育を受けると、我慢=美学という精神が深く根付いている表れではないか」と話す。
 がん治療の現場でもその傾向は変わらない。痛みをやわらげるモルヒネなどの医療用麻薬は「一度使ったらやめられない」といった誤ったイメージも重なり、使用をためらう患者が少なくないそうだ。服部さんは「痛みがあることを隠す患者もいる」と指摘する。
 がんなどの痛みの緩和に必要な医療用麻薬の適正使用量と実際の消費量を比べたWHOの統計(2010年)がある。日本は患者1人あたり適正使用量189ミリグラムに対し、消費量は29ミリグラム。米国では消費量が適正使用量の2倍以上に上るなど、日本の消費量の少なさが際立つ。
 服部さんは「がんの痛みを放っておくと、体力や免疫力が下がり、治療継続が不可能となる。遠慮なく医師に『痛い』と伝えてほしい」と訴える。(石塚広志)<アピタル:1分で知る・がん>

(転載終了)※   ※   ※

 そう、私も小さい時から注射で痛がろうものなら「はい、我慢我慢!」と言われ、ぐっと堪えられれば「よしよし、偉かったね、強いね」と育った。泣いたら弱虫、ダメな奴みたいな感じ。我慢は美徳、顔で笑って心で泣いて・・・みたいなものが日本人魂といったところだろうか。

 それでも痛い時は痛いものだし(とはいえ、痛みのスケールはかなり個人差があると思うし、ある意味とても主観的なもの。痛みに強い人、弱い人は確かにいるのではないかと思う。)、それを相手にきちんと伝えなくては、その辛さは判ってもらえない。痛いのは自分だから我慢すればいいか・・・というのも、ちょっとの間なら可能かもしれないけれど、いわゆるがん疼痛で延々と続く痛み、となったらそうは問屋がおろさないだろう。

 今はおかげさまでロキソニンで済んでいる私も、いつ医療用麻薬のお世話になる日が来るかわからない。けれど、その時は決して無理せず医師を信頼して処方してもらって、痛みから解放されようと思う。これは自分の身体の声にきちんと耳を澄ませば、それほどタイミングをしくじることはないように思っている。

 一般的な頭痛薬を飲む時などでも経験することだけれど、痛みが酷くなってから慌てて飲んでみたところで効くのに時間がかかって却って往生することは多い。だから、なるべく早めに準備して、後手後手にならないように。

 なんといっても痛みは間違いなく病と立ち向かう気力を奪うものだ。それで体力や免疫力まで落としてしまっては元も子もない。
 少しでも長く心穏やかに病と共存していくためには痛みを上手にコントロールすることは絶対必要だと思うが、どうだろう。
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