ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2016.6.27 人との繋がり、とかくこの世は・・・

2016-06-27 21:41:30 | 日記
 先週のものだが、読売新聞のネット記事でなるほどな、と思うものを見つけた。
 世の中、便利になってもつくづく人という生き物は贅沢なもので、その悩みは尽きることがない。こうしてブログを書くことも良いこと悪いこと、常に表裏一体であることを忘れてはならないと実感する。抜粋して転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

読売オンライン 深読みチャンネル
当然? Facebookから逃げ出す若者たち(ITジャーナリスト 高橋暁子2016年06月22日)

 若者のFacebook離れ――。昨今、そんな言葉がメディアでよく取り上げられるようになった。
 ソフト開発会社・ジャストシステムが日本国内の15歳から69歳までの男女1100人を対象に実施した「モバイル&ソーシャルメディア月次定点調査」(16年4月)によると、Facebookを「現在利用している」と回答した10代の割合は27%。前年同月の調査の45%から大幅に減少した。全年代のFacebook利用率は36%で、1年前からほぼ横ばいとなっており、年代別に見ても10代の減少ぶりが突出している。
 一方、ネットリサーチ会社「マクロミル」が実施した「2016年 新成人に関する調査」によると、15年度に成人を迎えた若者のFacebook利用率は36.6%で、12年度の48.8%から12.2ポイント低下している。

親や先生ともFacebookでつながる異常事態
 若者のFacebook離れは、世界的な傾向だ。なぜ、そうなってしまったのか。
 それは、今のFacebookが、「中高年の交流場」となってしまっていることが大きな理由の一つだろう。若者たちは元々、同世代の友だち同士でつながり、コミュニケーションしたいという欲求を持っている。そのためにSNSは大きな役割を果たしてきた。ところが、親の世代もSNSを利用するようになるなど、若者から高齢者まで、あらゆる世代が同じサービスでつながるという“異常事態”となってしまったのだ。
 あらゆる世代が同じサービスでつながったことで、10代が友だちと楽しく盛り上がっているところに親が介入してきたり、学校の先生から指導が入ったりするようになる。そこで、親や先生にやりとりを見られたくない若者たちは、Facebookから離れ、LINE(ライン)やTwitter(ツイッター)、Instagram(インスタグラム)など、親世代の利用がまだ少ない他のSNSにコミュニケーションの場を移してしまった。それが、「若者のFacebook離れ」の正体だ。
 一方、Facebookを使い続ける中高年たちは、評判のレストランでの食事の感想を書き込んだり、楽しかった旅行の様子を報告したりと、自らのリア充ぶりをアピールする。そんな中高年の自慢話に若者たちがウンザリし、Facebook離れがさらに進むという具合だ。

 (中略)

 SNSが普及し始めてから既に10年以上が経っている。今の10代の若者たちは、物心がついたころにはSNSがあった世代だ。彼らはSNSありきの“評価社会”が当たり前となっており、いつも他人の視線を気にし、他人がどう思うか、他人から評価されるか、友だちと比べてどうかを気にしながら生きている。そのことが、このところよく取り沙汰される「SNS疲れ」を呼び起こしている。ユーザー同士でコミュニケーションを重ねるうちに気疲れしてしまうのは、大人も同様だ。
 人間は、根源的に人とつながりたい欲求を持っている。そこで生まれたのがSNSだ。人と人とをつながりやすくし、コミュニケーションしやすくするサービスは、爆発的な人気を博した。ところが、つながりたい欲求は持っているくせに、つながり過ぎるとストレスを感じるのが人間というものだ。
 一人では生きられないくせに、つながり過ぎると見えを張ったり、劣等感を感じたりして楽しめなくなる悲しい動物なのだ。他人との距離感が分からなくなったり、自分のリアルの生活よりSNSが大切になってくる者も現れてくる。

 (中略)

 人と人とがつながることによって問題が生じ、軋轢を生み、それでも人はSNSを使いたいと思うだろう。人間同士のコミュニケーションには正解がなく、悩みは尽きないように、SNSを使い続ける以上、悩みから解放されることはない。SNSは、生きている限り続く、人間関係そのものだからだ。人類は、なんとも罪なものを開発したものである。(後略)

(転載終了)※   ※   ※

 私自身はFacebookやTwitterを使っていないし、今後も使う時間的余裕はないだろうな、と思っている。一方、LINEにはずいぶんお世話になっている。色々なグループから途切れることなくLINEで連絡が入ったりすると、間をおかずに返事をしなければ・・・というえも言われぬ強迫観念に襲われることがある。何かに追われている焦燥感はたびたび経験しているし、それがSNS疲れであるということも容易く理解できる。

 息子の世代はこうしたSNSを自由自在に駆使しているけれど、傍から見ていると常にスマホをチェックしていてそれは大変そう。もし私が彼のFacebookやTwitterを覗いたりすれば、それは息子にとっては鬱陶しい以外の何物でもないだろう。

 若者たちが中高年のリア充自慢にうんざり、というのも納得出来る。美味しい食べ物、楽しい旅行やイベントへの参加、そうしたものを頻繁にアップ出来る人は経済的にも時間的にも余裕のある中高年の筈。当然全員ではないけれど、そういうものが引っ切り無しに送られてくるとなると、比べる必要はないのに、なんとなくその雰囲気に飲み込まれて、はて自分は・・・と心穏やかにいられなくなるというのも良く判る。

 ヨーガの智慧として学んだ人付き合いの4つの鍵から言えば、素晴らしい経験をしている人には「良かったですね!」と讃えてともに喜び、自分も一緒に幸せな気分になることだ。素直にそう出来ればいちいち落ち込んだり、焦ったりすることもないだろう。

 ふと我が身を振り返ってみると、このブログで病気の治療も仕事も趣味も頑張っています、精一杯生きています、とあれやこれやと記事をアップするのも、読み方によってはリア充自慢に映っているのかもしれない。
 そもそも自分の記録に限定するというなら、あえてこうしてブログにアップすることなく、自分だけが読めるベタ打ちの日記に留めておけばいいのだから。

 もちろん、治療記録を残すことは後に続く同病の方たちに何かしら参考になれば、という思いからだ。とはいえ365日毎日治療だけしているわけではない。私の人生、全て病気に乗っ取られているわけではない。

 ささやかで平凡だけれど、日々を暮らす上でこんな素敵なことがありました、こんな嬉しい体験をしたのでシェアさせて頂きます、ということも書き残すのは、ブログを通して人(それがたとえ実際に交流があるわけでない方たちであっても)と繋がれたらいいなと思うからだ。そして、もしこれを読んで頂くことで一緒に幸せになって頂ける方がおられるならなお嬉しい、という気持ちなのだけれど・・・。
 なかなか悩ましいものである。
コメント (2)
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