ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2021.7.17 ヨーガスートラ講座第2章4日目、あれこれ欲張り土曜日

2021-07-17 20:39:00 | ヨガ
 
 今日はオンラインヨーガ・スートラ講座第2章4回目の受講日だ。
 本当だったら、水曜日の治療後で今日は絶不調必至の日。それでもこれ迄、後になって見逃し録画を拝見するよりリアルに参加したいので、治療直後でもリアル参加を続けてきた。
 今回はエンハーツを開始して1年、初めて好中球低値のため、治療中止になったので(治療が出来なかったという一抹の不安は残るけれど)体調的にはとても落ち着いており、穏やかである。

 少しだけ寝坊をして、朝ドラの復習とチコちゃんをちょっぴり視てから身支度。暑いのでかつらは外して、2週間前のちょこっとハーブクラスや先週の瞑想ヨーガクラスに続いて、地毛デビュー。開始10分前書斎に移動して、無事Zoomに繋ぎ、Sさんとご挨拶。
 今日はご子息のT君の姿が見えない。朝早くからパパとお外に出かけたそうだ。

 次々に参加者の皆さんがPCの画面に揃っていく。インテンシヴコースでお世話になったM先生のお姿もある。ご挨拶の後は出席確認。ॐ(オーム)の音を3回皆で唱えて今日もクラスが始まった。

 今日の瞑想タイムは、前回2-11で学んだ「人生の苦しみは瞑想を通して取り除くことが出来る」という教えを体験する。まずはパタンジャリを讃えるシュローカを唱えてから、呼吸をコントロールする瞑想法として、基本かつ簡単に行える完全呼吸法をガイドして頂く。
 吸う、息を止める、吐く、息を止める、をカウントしながら丁寧に行う。息を止めている間、生命エネルギーであるプラーナも止まり、心が静かになる。プラーナの流れを止める状態を作り出して心を静める体験である。これがプラーナをコントロールする呼吸法、プラーナヤーマである。呼吸以外に意識が向いてしまったら闘わずにそっと呼吸に戻って来る。

 今日は前回の続き2章2-13からスタート。2-11で苦しみの取り除き方として瞑想が説かれ、2-12で瞑想しないでいるとどうなるか、が説かれている。

 今回も画面共有でサンスクリット語のスートラが登場した。下を向いてテキストの小さい文字ではなく、正面の画面を見ながら復唱出来るのが、とても良い。
 2-13 人が現世に生まれてくるのは、過去のカルマが原因としてある。
 生まれ持った貧富や健康状態等は前の人生の時に行ったカルマによるものである。カルマは蒔いた種から起こり、その実は本人が必ず(現世もしくは来世、またはその次の世で)収穫する。となると、今私が病を得ているのも前世の(良くない)カルマによることになるが、果たしてどうなのだろう。
 2-14 過去の良い行いから人生の喜びが、過去の良くない行いから人生の苦しみが生まれる。
 2-15 物事すべて(結果、何かを待ち望んでいる時、潜在意識に残った印象等)に痛みがある。賢人はそれを知っている。
 ここでグナ(性質)の働きについての説明がある。心のグナの3つの性質(サットヴァ:心地よさ・楽しみ、ラジャス:欲望・執着、タマス:恐れ・不安)の図解である。心のグナが変化することにより、人の心はあっという間に変わる。
 2-16 まだ人生に現れていない痛みを取り除こう。
例えば苦しい時にだけクラスに来て、瞑想するというやり方ではダメである。毎日、継続して情熱を持って続けることこそ大切で、それによって未来に起こるかもしれない、かつて蒔かれた(良くない)種をどんどん取り除き、未来に芽を出すかもしれなかった痛みを軽減することが出来る。
 2-17 痛みの原因は観ているもの(セルフ:真の姿)と観られるものとの混同である。全ては移り変わるものであり、私たちの心や肉体は観られるもの(セルフでないもの)である。
 2-18 観られるものは3つの性質(現れ、活動し、進化して安定する)を持ち、5大元素(地・水・火・風・空)と10の感覚器官(知覚器官(耳・皮膚・目・舌・鼻)と表現器官(話す、手・足を動かす、生殖する、排泄する))から成り、私たちに楽しみ(経験)を与え、解放する(自由でいる)ためにある。
 Sさんは2章の中でこのスートラが最も好き、と仰る。ワクワクした生き方を選ぶには楽しみと自由さの匙加減が大切で、好きなことをして幸せということと好きなことをしているのに何か苦しいという状態を例にお話しされる。好きなこと以外の何か別なことが入っていてもイライラせずにいる、好きなことが出来ない時があっても大丈夫という自由さが必要である。楽しみと自由でいることはセットである、に深く頷いた。
 2-19 観られるものはグナ(3つの性質)を持っている。グナには4段階があり、1つ目はアリンガーニ(潜在的状態)、2つ目はリンガマートラ(僅かに現れた状態)、3つ目はアヴィシェーシャ(物質になる前の微かな状態)、4つ目はヴィシェーシャ(特徴ある物質)である。ヴィシェーシャは世界、人、物(観られるもの)の誕生である。
 2-20 観るもの(セルフ)はただ観ている純粋な存在で、肉体に入り、それを通して観る(心や考え方は移り変わる)が、セルフは変わらない。
 2-21 観られるものは観るもの(私たち)のためにある。
 2-22 智慧に目覚めた人は、自分は移り変わることのないセルフであることをはっきり自覚しているので、移り変わっているものをただ純粋に観て、常に満たされた状態で生きることが出来る(苦しみある世界は消える)。けれど、観える事柄は人によって変わり(ショックを受けたり、振り回されたり)、他の人々と共有されているので、世界は消滅せずに存続する。

 ここで今日の学びは終了し、質問タイムとなる。
 いつものことながら、他の方たちから出る質問には色々な学びや気づきがある。今日はヨーガの教えとシータヒーリングの共通点や違いなどにも話が及んだ。

 第1章を学び直している方からは、言葉の繋がりや関係等に?と悩むこともがあるという発言があったが、Sさんは、ヨーガスートラは400年もの長期間を経て編纂されたものなので、チグハグなところもある、と仰る。なるほど、と納得する。そもそも1つのスートラを1年かけて学ぼうというくらい壮大な学びをしているので、今の進み方もかなりのスピーディなものだという。

 これで今日のクラスは終了。皆でॐ(オーム)を1回唱えてお開きとなったが、なんとなくまた退出しがたく残ってしまう。コロナワクチンについての話題もあり、シータヒーリングで学んだコマンドのイメージを使って、というアドバイスに従って2回目の接種を受けようと思った。
 ここで予定時間を20分近くオーバー。Sさんがミーティング終了ボタンを押され、充実した気持ちでPCを切った。
 やはり体調が落ち着いていると、学びの度合いが全然違うなと思う。こうしてブログでまとめを書いていても頭がすっきりしている。

 外は梅雨明け直後の爽やかな夏空。寝具類等を洗濯機に入れて廻す。ベランダに干したらびっくりするほど早く、お日様の匂いがするくらいパリッと乾いて気持ち良かった。

 夕方からT先生のビギナーヨガに参加。その前に、夫が夏用のパンツが欲しいと言うのでアウトレットモールに出かけた。デニム等2本と追加でデッキシューズ等も2足買う羽目になった。アウトレットモールには近づくな、くわばらくわばら、である。と言いつつも、私は、ヨガスタジオの帰りにちょっと迷って、今使っている枕がヘタってきたので、低反発枕を買って帰宅した。まあ、これは生活必需品ということで・・・。
 今週末、こんなにあれこれ好きなことが出来たのは予定外のケモホリデーのおかげである。今はその恩恵を有難く享受して、1回治療が出来なかったことを不安に思うことはない。全てはうまくいくように出来ているのだから。

 これから2週間に1度の高校時代のZoomミーティング。絶不調なので参加出来ないと諦めていたけれど、こちらも参加が叶う。
 朝から晩まで期せずして欲張りスケジュール。嬉しい土曜日である。
コメント
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