ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.1.18 幕引きはこの言葉で・・・週末雑感

2019-01-18 22:39:19 | 日記

 「わが土俵人生に一片の悔いなし」―。
 言わずと知れた、一昨日行われた横綱・稀勢の里の現役引退会見の台詞である。
 相撲に造詣があるわけでは全くないけれど、19年ぶりに誕生した日本人力士唯一の横綱ということで、ひそかに応援していた。悲運の怪我に泣かされ、休場続き。進退をかけての初場所は3連敗に終わり、現役人生のピリオドを打った。
 黒星が続く中、苦渋に満ちた表情で無言で土俵を去る姿には、素人の私でさえ胸が締め付けられた。

 引退は遅きに失したとかなんだとか、外野は色々なことを言う。けれど、日本人一人横綱の重圧は測り知れない。怪我をしたくてする人はいないし、ご本人の気持ちを慮れば、余計なことは言うべきではないだろう。当事者の気持ち、ひいては孤独や苦悩は想像することは出来ても実際のところ当事者にしかわからない。

 誰にとってもどんな選択も、その時その時に出来た最良のものであると信じたい。あの時、無理をしなければ、もっと長く活躍できたとは思わないか・・・などとタラレバのおこがましいことを言うのは失礼千万だ。
 その時その時に自分が出来る最善を尽くすーそうすれば世界はちゃんとうまく行くように出来ている。神様はちゃんと見ておられる。この後、きっと後進の気持ちを汲める年寄「荒磯」としての次の役割が待っている筈だ。
  
 翻って、私の人生。幕引きのときに果たして「わが人生、一片の悔いなし」と言えるだろうか。
 もちろん言うことが出来ればそれに越したことはない。そして、そう言うことが出来るように日々を精一杯送っていきたいと常に思っている。
 少なくとも2005年2月に闘病を始めて14年、2008年1月に再発・転移が分かって11年、我ががんサバイバー人生に悔いなし。それについては今のところ、自信を持ってそう言える。この先も生ある限り病と共に人生を進めるわけだから、そう考えれば、今のように日々を送っていくことが出来れば、いずれ迎える最期の瞬間(とき)にもこの言葉、言えるのではないだろうか。
 年の初め、そんなことを思わせる出来事だった。

 昨日は阪神淡路大震災から24年、鎮魂の日であった。
 もう四半世紀近くになるということだ。震災の後に生まれた子ども達が既に成人し、社会人になっている。
毎年この日を迎えるにつけ思うことがある。ちょうどこの地震の日、私は研修で国内にいなかった。部屋にテレビがなかったし、今のようにメールもネットも身近ではなかったから、夜中にうまくキャッチ出来た時のNHKの短波放送と、現地事務所で見せて頂く新聞だけが頼りだった。そのため震災の情報がかなりすっぽ抜けているし、映像にも圧倒的に触れていない。だから、何かリアリティを持って自分に引きつけてこられなかったという申し訳なさ、後ろめたさがある。
 平成もまもなく終わりを告げる。震災後に生まれた子ども達の時代がやってきている。主催者の高齢化により追悼行事の継続も難しくなってきているという。決して忘れないこと、語り継いでいくことがますます大事になるだろう。

 生きていることは宙ぶらりん。今ここにあることは奇跡の積み重ね。何気ない日常、家族や大切な人たちとの笑顔はかけがえのないもの。その有り難さを決して忘れずに、日々悔いなく生き切ることこそ、私たちに与えられた使命である。
 そんなことを改めて噛み締める週末の夜である。
 
コメント
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