ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.12.17  お弁当雑感

2010-12-17 20:16:25 | 日記
 朝の連続テレビ小説を見て、朝から涙線が緩んだ。
 主人公が「お弁当を食べたら、お母ちゃんの顔が想い浮かんだよ、にこにこしながら作ってた。」と言うと、育ての母が「お弁当を作る時、母はみんな笑顔よ、子供の食べる姿を想い浮かべるから。」と。

 私も一応母をやっているので、毎朝お弁当は作っているけれど、とてもじゃないけれど、にこにこしながら作ってはいないなぁ、と反省。
 全て手作りのおかずを詰めるほどの余裕はないし、冷めても味が変わらないもの、お弁当に詰められるものというと、どうしても限られるからワンパターンになる。
 一方、最近の冷凍食品は実にうまくできていて種類も豊富、大きさも手ごろ、彩りも味もなかなかで、冷めても美味しい。空になったお弁当箱に手作りのおかずが残っていて、冷凍食品だけが完食だとなんだかなぁ・・・ではあるが、それはそれとして、恥ずかしながらすっかり冷凍食品サマサマである。

 お弁当と言えば、息子は保育園育ちだから小学校に上がるまでは年に数回の行事弁当だけですんでいた。
 だから、その頃は「サンドイッチとー、おにぎりとー・・・」と何種類ものリクエストをされても(年に数回・・・)と唱えながら、早朝に起きて頑張っていろいろ作っていた。
 が、小学校に上がり、長期の休みに学童クラブへ持っていくお弁当作りには苦労した。なんといっても夏。暑いからといって冷蔵庫に入れてもらえるわけでなし、保冷剤でがっちり四隅を固めて、お弁当より保冷剤の方が重いくらいだった。

 中学受験で塾通いだった頃。
 塾でのお弁当の休憩時間は15分ほど。沢山作っても食べきれずに残してきていた。
 先生に「せめてあと5分伸びないのでしょうか」と伺ったところ、「他のお子さんはちゃんと食べてますよ。○○君はずっと喋っているので食べられないのです。」と言われ、赤面。それ以上言えなかった。
 育ち盛りに週数回の塾弁。それもろくに食べられず、帰宅して夕食を取るにはあまりに遅い時間で、翌朝の胃もたれも甚だしい。今思えば可哀想だったなあ、と思う。週に1回はファーストフードのお届けを利用したがったけれど、やはり温かいものが食べたかったのだろうな、と思う。
 専業主婦のお母様方は、ちょうど夕食休憩の前に温かい手作りのお弁当を届けていらっしゃるようだった。私はそんなことは不可能だったから、朝お弁当を作り、冷蔵庫に入れると固くなってしまうので野菜室に入れて出勤した。息子は学校から帰宅するとそれを持って塾に通い、夜、食べていた。
 息子が熱を出し、塾を休んだ日のこと。とても夕食がとれるような状況ではなく、夫は帰りが遅く夕食がいらなかったので、私が息子の塾用のお弁当を食べた。
 冷たくてご飯も固くなっていて、揚げ物などもへにゃんとしていて、食べながらなんだか涙がにじんだ。
 美味しくなかった。(美味しくないよね、こんな冷たいの、君はいつもこんなものを食べて長時間授業を受けていたんだよね・・・)と。
 それでは、と保温ランチジャーを買ってみた。それでもそもそも朝作って昼食べるという想定だから保温時間はせいぜい6,7時間。朝作って食べるのが夜8時では12時間以上経ってしまう。息子曰く「ぬるかった。」。
 食品Gメンの夫に言わせれば「そんな生ぬるい状況で何時間もおいた弁当なんて食中毒の温床で、とんでもない。絶対辞めた方がいい!」ということで、このランチジャーはお蔵入りになった。講習の時、朝作ってお昼に食べられるときだけは使ったけれど。

 そんなこんなで中学入学。一応学食はあるのだが、中学生は高校生に押されてなかなか使えないし、教室から遠い、とのことで、(週に数回は学食で楽をしよう・・・)と夢見ていたぐうたら母はやむなく毎日お弁当を作っている。
 最初のうちは購買が新鮮だったらしく「お弁当いらない、パン買うからお金ちょうだい。」と手を出していた息子も、最近では当然のごとく毎朝お弁当を持っていく。
 一緒にご飯を炊くので私も“ついで弁当”。夫が加わることもある。
 お弁当を食べながら「同じものを食べているのだな、喋ってばかりいて、何を食べているのかわかっているのかしら・・・」と思いながら。
 今夜も、帰宅後催促しないと絶対出てこない息子のお弁当箱を開けて、空っぽの中身を見て思わずにやりとする私である。

 夫は今年何度目かの忘年会。
 息子と2人でまたまた簡単な夕食である。

コメント
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