おはようございます。
生き生き箕面通信2423(15081)をお届けします。
・戦後70年の検証⑥ 日航ジャンボ機墜落事件にみる「日本の黒い霧」
インターネット上には、JAL123便の墜落事故に関する下のような写真が数多く残されています。そして、「周りの立木にはそれほど焼けた跡がないのに、なぜ人間だけが“二度焼き”のような状態なのか」という疑問も出されています。
*ネット上に掲載された写真を転載しました
最も基本的な疑惑は、日航機がダッチロールしながら飛んでいる間、自衛隊機がスクランブルして並行ないし追尾飛行していたにも関わらず、墜落事故現場がなかなか特定されなかったことです。
救助隊が現場に到着したのは、公式には墜落から14時間も立った後とされています。しかし、「事故後30分も立たないうちにヘリで現場に到着した人間がいた」という証言が、上空を飛行した別の航空士からなされています。
公式記録では、死者520人と世界最悪。生存者はわずか4人です。しかし、事故直後には多くの生存者がいたが、上記写真のようにあたかも火炎放射器で生きながら息の根を止められたかのようなことがあったのではないかという疑惑もささやかれています。
墜落させたとするなら、その犯人はだれか。ある説では、トロン開発関係者17人が乗っていたことから、この人たちの抹殺説です。Windowsよりも数段優れた、コンピューターのOS(基本ソフト)であるトロンをつぶすための陰謀説です。
ミサイルで狙い、尾翼を吹き飛ばして正常な飛行ができないようにした。決して過去の尻もち事故のせいではない、とされているのです。
肝心のボイスレコーダーは、事故後すぐには公表されませんでした。その後公表されたものは、編集したと疑惑が持たれています。スクランブルで並行飛行した自衛隊機との交信記録が全くないからです。
合理的な大きな疑問が解明されないまま、JAL123便は本日で30年を迎えました。戦後70年を振り返ってみると、解明されないままの大事件があまりにも多すぎます。多くの政治家が、謎の死を遂げました。
時の権力者は、都合の悪いことを秘密裏に処理するための「特別補佐官」をかかえているようです。もちろん、検察あるいは軍隊の経験があるプロ集団とそれを指揮するチーム編成です。日本は戦後70年経ち、「開かれた民主主義国」を標榜していますが、それは表の顔に過ぎず、ひと皮めくるとその下には思いもかけぬ醜悪な面相が隠されていることも承知しておく必要があります。
こうした政治の醜い側面を承知しながら、日本の現実政治をできるだけ公明正大に運営させなければならないですよね。70年経ちましたが、まだまだ勉強し、賢くなる必要があります。
当時、国際線のパイロット。
事故を担当する、当事者でもあります。
大阪府立大・農学部(獣医関係)卒の異色の経歴のパイロット。主張の人でした。
昭和天皇もご搭乗されているJAL123便が不時着し、全員 問題なく生存していたので救助を待っていたところ、日本の埼玉県警の警察官らを中心とした一団が襲いかかり、乗客乗員天皇陛下を虐殺した点が遺憾な状況と言えます。
木にくくりつけて焼き殺すなど、埼玉県警察らしい残忍な犯行で、大変いたましい事態が おすたか にて発生したのでした。
日航ジャンボ123を御巣鷹に不時着させるとともに日本人を中心とした乗客乗員天皇陛下の救援に最大限の尽力を行ったのは米国のみであります