おはようございます。
生き生き箕面通信2193(141225)をお届けします。
・「美しい国」vs「泥くさい生活者の国」
第3次安倍内閣なるものが昨日12月24日夜、発足したようです。相変わらず、アベノミクスを成功させると力んでいます。
アベノミクスを成功させ、集団的自衛権の法整備を進め、沖縄の辺野古に米軍用最新鋭軍事基地を日本国民の税金で造って差し上げ、学校の教育課程に「道徳」の科目を押し付けて、「これぞわが日本がめざすべき『美しい国』だ」なんだそうです。
なぜ日本ではこんな指導者がいつまでものさばっていらっしゃるのでしょう。一番の理由は、これに代わるタマが意識できないところにあります。
折柄、民主党の代表選が実質的にスタートしていますが、立候補の名乗りを上げた者も、取りざたされているタマも、どちらかといえばお利口さんタイプであり、その上なんだかくたびれてパッとしない。
蓮舫とやらが、目立ちたがっていますが、これといった抱負経綸があるわけではありません。せいぜい「二番目の国ではダメなんですか」くらいでしょうか。ましてや、「生活者の思想」として打ち出せる内容が決定的に欠けています。
もちろん、共産党にも政権を担おうとする迫力のあるタマはゼロ。委員長の志位和夫、書記局長の山下芳生という男たちも、今ではすっかり野党暮らしが身について居心地がよく、政権などというやっかいなものには見向きもしない。口先で、「自民と真っ向勝負」などとイキがってみせるだけです。
「美しい国」を掲げる安倍晋三氏と対極にあるのは、新潟の泥くさい田舎から出てきた田中角栄氏あたりでしょうか。
田中角栄氏が掲げた「日本列島改造論」は、日本列島をコンクリートで固めてしまうような土建国家=利権国家のイメージが付きまといますが、根っこには旧来からの庶民の生活システムの維持、例えば農村の保護、家族を維持する社会福祉制度の充実などがありました。「生活者が第一」だったのです。
その系譜を引き継いでいるのが、小沢一郎というタマです。このタマは、今の日本でこそ役に立つタマだと、分かる人には分かっている。「小沢一郎待望論」もいまだに根強いものがあります。
しかし、権力中枢部が官僚を含め目を皿のようにして監視し、警戒しており、ためにするウソの情報、プロパガンダをめぐらし続けています。
日本丸は「泥くさい生活者の国」への針路へ舵を切るべき時ではないでしょうか。その日本丸の船長には、小沢一郎氏が適任です。しかし、日本の指導者選びのシステムは、一部の人間に操作されて、本当の民意が汲み上げられない形になっています。その壁を突破して、真のリーダーを選ぶのは私たちの務めのはずです。それは次世代の人々に対する責務を果たすことでもあるといえます。
これが宗教のうちに留まって入ればよいが、政治にそれが入り込む。左翼思想である。ロレンスなどが、そこを突いたのだな。レーニンの中にルサンチマンをみた。
美しきもの、高貴なるものへの反発、打ちこわし。
左翼は、虐げられた者、庶民の立場、底辺、等々、が好きなのだ。逆に、高きもの、美しきもの、高貴なるものには反発する。階級闘争。
オルテガの大衆概念もそうしたものだ。
こんなルサンチマンを情念とする左翼運動は、最後は旧ソ連や毛沢東の地獄社会を結果するのだ。