おはようございます。
生き生き箕面通信2059(140813)をお届けします。
・焼き場に立つ少年
有名な写真だから、すでに多くの方が目にされたことと思います。しかし、敗戦の日を明後日にひかえたいま、もう一度、この写真が伝えるものに思いをいたしたいと思います。
1945年、長崎の爆心地付近の、多くの死体焼却をしていた「焼き場」で、ジョー・オダネルという報道写真家が撮影した「焼き場に立つ少年」です。
インターネットにアップされた写真には、こんな文が添えられていました。
「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。
すると、白いマスクをかけた男達が目に入りました。
男達は、60センチ程の深さにえぐった穴のそばで、作業をしていました。
荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広っぱで遊んでいる子供の姿は、当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子は、はっきりと違っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。 しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに、5分か10分、立っていたでしょうか。白いマスクの男達がおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。
男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶ける、ジューという音がしました。それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気が付いたのは。
少年が、あまりきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に、赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去っていきました」
(インタビュー・上田勢子)[朝日新聞創刊120周年記念写真展より抜粋]
*お知らせ
私たち「生活フォーラム関西」は、生活の党の小沢一郎氏を大阪に招き、「小沢一郎が語る世界の中の日本と政権交代へのみちのり」をテーマに講演会を開きます。ぜひ、ご参加をお願いします。要領は次の通りです。
・開催日時 : 9月13日(土)午後6時半から
・開催場所 : 北区区民センター(関西テレビ北隣り)
・アクセス : JR「天満駅」、地下鉄堺筋線「扇町駅」すぐ
・資料代 : 500円
・申し込み先 : (メール) info@mei-getsu.com
(Fax ) 06-6720-8051
(Tel) 090-8467-8877(山岸)
・主 催 : 生活フォーラム関西
(代表世話人・前衆院議員 渡辺義彦)
私のブログでも紹介させていただきたいと思っています。
感情・感傷をもって大衆を扇動する手合いだ。
不幸はなにも戦争だけには限らんのだ。平和時にこそ不幸も悲劇もある。原則、人間社会はアフリカの動物と同じ、目の前でわが子が食われたりする。生き物の宿命だ。「生きることへの勇気」だ。
人間一度は死すべきものだ。どうせ死なねばならぬなら、倫理や道徳や正義の旗をもって戦う、この姿勢が大切である。
平和平和でなにもしたくない、なんてのは文明の敵である。