おはようございます。生き生き箕面通信2667(160430)をお届けします。
・「三菱自」も結局、死にゆく病か
三菱自動車も、ついに市場原理主義から立ち直れなかった。同様に、東芝も苦しんでいる。これは、戦争中に日本軍を批判するのと同じく、「不敬罪」のようなものです。日本は、戦後すぐは「民主主義」を身に着けたけれど、小泉純一郎首相(当時)ごろからアメリカ並みの市場原理主義になって以来、立ち直りが遅れに遅れています。これは世界中にはびこった市場原理主義ですが、日本はその弊害がきつい。
三菱自動車は、三菱重工業の自動車部門を昭和45年(1970年)に独立させて、一時は「パジェロ」なども生みました。しかし、燃費に敗れて落ち込むばかりとなり、日本が得意とする「隠ぺい体質」に持ち込んだのでした。かつては、「燃費の差は技術の差」というキャッチフレーズを掲げたものでしたが、そのキャッチフレーズを守れず敗退。
しかし、日本の中では、三菱自は「もうダメだ」と陰口を聞かれていますが、海外では「三菱は、やはりミツビシ」とまずまずの評判です。ただ、日本中に広まった「三菱自たたき」は容易に収まらず、場合によっては、中国など海外などに売り払うことになるかもしれません。そうでなければ、討ち死にもあるのではないでしょうか。