生き生き箕面通信

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生き生き箕面通信439 ・憲法9条は事実上、今日、誕生しました

2010-02-13 07:04:57 | 日記
お早うございます。
生き生き箕面通信439(100213)をお届けします。

・憲法9条は事実上、今日、誕生しました
 3日前に書きましたように、新憲法草案は、64年前の今日、GHQから日本側に提示されました。実質的に日本の新しい骨格が決まった日です。軍国主義の国から、平和国家への転換はみずから成し遂げたのではなく、占領軍の手によってなされたのは厳然たる事実です。

 問題は、9条下で、この64年間どのような道筋をたどってきたか、の検証です。

 新憲法が施行されたのは1947年5月3日。そのころは、ソ連を中心とする共産圏との対立が激しくなり、早くも46年にはイギリスのチャーチル首相が米フルトン大での演説で「バルト海からアドリア海まで”鉄のカーテン”が降ろされた」と演説したほどです。

 占領軍GHQは、当時のトルーマン大統領からの命令で、日本を共産圏に対する「アメリカの防波堤」とする政策に転換、時の吉田茂首相に「再軍備」を強く迫りました。武装放棄と戦争放棄を”押し付けた”GHQが、全く逆の占領政策に変わったのです。

 3年後の1950年には朝鮮戦争が勃発、一時はアメリカ軍も共産軍に押しまくられ、朝鮮半島の南端から海に追い落とされる寸前まで追い詰められました。結局は盛り返して、最終的には今の38度線で南北朝鮮に分割され固定化しました。大戦後に誕生した共産中国の脅威を見せ付けられた戦いでもあったのです。

 それだけにアメリカは、日本の再軍備を最重要課題として日本に圧力をかけ続けたのですが、吉田首相は再軍備に反対の気持ちが強く、ようやく妥協して誕生したのが警察予備隊でした。日本の労働組合を中心とする”平和勢力”はもちろん「再軍備反対、憲法9条を守れ」の立場でした。主婦も「再び子どもたちを戦場に送るな」と、再軍備に反対し、憲法9条は実感として広く国民の間に浸透し定着していきました。

 日本中に展開していたアメリカ軍の基地に対する「反基地闘争」も激化しました。内灘にはじまり、砂川闘争など、歴史に残る闘争が全国で展開されました。

 そうしたなかにありながらも、アメリカは沖縄の基地は共産勢力を防ぐ最も重要な基地として強化こそすれ、返還するなど微塵も考えませんでした。昭和天皇が「沖縄を使ってください」とマッカーサーに申し出たいきさつも大いに影響しました。昭和天皇は亡くなる前、うわごとのように「沖縄へ行かなければ」と繰り返したそうですが、沖縄に対する贖罪の意識からと解釈されています。

 いま、普天間基地。これは一つの象徴です。日本人は、自分たちの国の安全保障と世界の平和構築と、どのような存念を固めるのか、他人負かせではすまない選択をする絶好の機会です。ぼくは前から「普天間は撤退、撤去すべき。日米安保条約は日米平和友好条約へ転換するべき」という立場です。