いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

文盲の万能人、アクバル大帝

2008年08月05日 20時19分27秒 | インド・2・4・5回目

- アクバルの居城、ファテープル・スィークリーにて -

■「文盲」の万能人だなんて、いつもの、 「単なる奇をてらった毒舌偽悪芸が目的の」このブログの調子で、ゆるしてください。 でも、PC(political correctness)で文盲率は非識字率になったけど、文盲な人を非識字な人といっても回りくどいし、読み書きのできない人というのはもっとわずらわしい。

■昨日来、アマルティア・センにより、かれの著作『議論好きなインド人』で絶賛されているのがアクバル大帝であり、その理由は彼が、モンゴル・ムスリムの出自にもかかわらず、ヒンドゥー教、キリスト教、パールーシー、ジャイナ教、ユダヤ教、そして無神論者などさまざまな宗教家や知識人と会話し、議論しあったからだと。

そして、ウイキペディア Akbar によらずとも、万能人であったと伝えられている;

Akbar was an artisan, artist, armorer, blacksmith, carpenter, emperor, general, inventor, animal trainer (reputedly keeping thousands of hunting cheetahs during his reign and training many himself), lacemaker, technologist and theologian. 

■イエズス会士モンセラーテは『ムガル帝国誌』に言う;

アクバルは学識ある人びとを非常に厚遇している。したがって常に学者を自分の近くにひかえさせ、哲学上の諸問題や宗教や信仰にかかわる事柄を自分の前で論じさせ、歴代の王や過去の輝かしい出来事の歴史を説かせている。判断力にすぐれ記憶力も抜群で、他の人びとの議論にじっと耳を傾け、多くの事柄についてすくなからず学び、相当な知識も得ている。こうすることはたんに文字をしらないこと(彼は読むことも書くこともまったくできない)を補うばかりでなく、難しいことを明白かつ明確に表現する能力を身につけることも可能ならしめている。それにまた、どんなことを訊かれても正確に要領よく答えることができるようにもなっているので、事情を知らない人はすべて彼が文字を知らないどころか、非常に深い知識と学識をそなえた人物であると判断することであろう。しかし事実はこのとおりであって、われわれが述べたように王は鋭い才能を発揮するのみならず、雄弁の才においても、王の権威とその高い地位に相応しく、知識の点ですぐれている王宮の学者の大部分をはるかに凌駕しているのである。 

『世界の歴史14 ムガル帝国から英領インド』より孫引き

■センのアクバル大帝論には、議論好きインド人筆頭の彼が文盲であったことには触れていない。一方、現代のインド貧民層も議論好きであると主張する。そのわりには、インド貧民層の識字率と議論好きの関連性は、あるにせよないにせよ、言及されていない。もし、インド人が議論好きであるのでれば、つまりは口語による情報伝達、お互いの認識披露と評価、議論が盛んであれば、その原因の一旦は必ずしも高くない識字率と関係しているのんでないべか。もっとも、アクバルの場合その権力により学者から口頭で情報を得ていたともいえる。


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