いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

迦陵頻伽

2008年08月14日 21時21分19秒 | インド・2・4・5回目

 

- - 「あんた、カリョウビンガ知らんの。」

「はあ。」

「へえ、生島さんでも知らんことあるんやね。」- -

                車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』




- アクバルの居城、ファテープル・スィークリーにて - (本文と全然関係なし)

■ラジオを聞いていると、カリョウビンガは源氏/紫式部、あるいはその周辺にも出ているのだと知った。 Google; 迦陵頻伽 紫式部 つまり、カリョウビンガという言葉は古くからの日本語なんだ。知らなんだ。 

■おいらはこれまで2度カリョウビンガに「出会い」かつ記憶に残っていたので今調べた。記憶に残った理由のひとつは、音/語感が変だから。

初めて知ったのはがきんちょのころで「レコード」出してた人たちのグループ名。KARYOBIN。 パープルモンスーンという曲が当時とても新鮮だった。

2ちゃんねる、 上田知華+KARYOBINについて語ろう

当時ラジオ番組で上田知華が「KARYOBINは名前を覚えてもらえず、かつ間違えられやすく、火炎瓶、と間違えらたこともある」と言っていたことを思い出した。

今CDとても高い; Amazon, KARYOBIN

ちなみにYouTUbeにアップロードはない模様。 たくさんある

●で、2度目が20年たっての上記の車谷長吉、『赤目四十八瀧心中未遂』。アヤちゃんの背中に彫ってあったのがカリョウビンガ。このときはじめて、カリョウビンガというのは鳳凰のような壮麗な鳥とわかる。

今、生まれて初めてカリョウビンガをちゃんと調べた。

ウイキペディア; 迦陵頻伽

サンスクリット語起源なんだ。kalavinka。kalavinka → 迦陵頻伽。

これは、7世紀に儀浄はナーランダで10年勉強して、たくさんのサンスクリット文献を母国・唐に持ち帰る。これを契機にサンスクリット語→漢語の大翻訳時代が始まり、多くの漢語(概念)がシナで作られた。の一環でのことらしい。(拙記事:『議論好きなインド人』 アマルティア・セン その3

つまり、支那知識人の大暴走族時代でのことである。迦陵頻伽! パーラ、パーラと聞こえそうである。元祖暴走万葉仮名に他ならない。

そして何より、『赤目四十八瀧心中未遂』でアヤちゃんは、「へえ、生島さんでも知らんことあるんやね。」と言って、手提げから手帳を出して、迦陵頻伽、と書いてみせるのである。「アマのバタ屋で育ったような女やのにな」と自称する女が、迦陵頻伽、と書いちゃう。不思議だ。でも、そうなのだ、彼女も族あがりなのだ。



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