いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第410週

2022年09月24日 18時00分00秒 | 草花野菜

▲ 今週のみけちゃん
▼ 新しい街でもぶどう記録;第410週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の季節柄アクセス

なぜ彼岸花は毎年同じ場所に咲くのか?、あるいは、非散種の例、そして、球根の意義、はたまた、その栽培法

■ 今週の「因果応報」

出典 いつも相手を待たせるプーチンが今週の上海協力機構では、待つ立場に。

■ 今週の核保有・主権国家の余裕の諫言

「戦争している場合ではない」 モディ印首相、プーチン氏に訴え(google

【AFP=時事】インドのナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相は16日、ウズベキスタン・サマルカンド(Samarkand)で開かれた上海協力機構(SCO)首脳会議に合わせてロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領と会談し、「今は戦争している場合ではない」と訴えた。
モディ氏はプーチン氏に「閣下、今は戦争をしている場合ではないだろう」と述べ、「民主主義と外交と対話」の重要性を強調した。

 これに対してプーチン氏は「ウクライナでの紛争に対するインドの立場や懸念は理解している」と答え、「紛争ができるだけ早く終わるよう最善を尽くす」とする一方、ウクライナ側が交渉を拒否し、「戦場で軍事的手段を行使して目的を達成しようとしている」と述べた。(ソース)

インドのモディ首相がこういえるのは自国が核武装しているからである。平和・停戦提言にもpowerが必要。

■ 今週の強い表現

https://www.youtube.com/watch?v=QGXSjG-y_80

NHKがプーチンを「狂気」認定

■  今週の虚言の顛末、あるいは、今週借りた本

森有正は「空想虚言者」であるとドストエフスキー研究者の中村健之介が云っていて、森有正を回顧する栃折久美子が「インチキ」であると云い、平川祐弘が虚構にまみれていたと云っていた(愚記事)。

その森有正が「"第3発目の原爆は日本に落ちる"とフランス女性が云っていた」と書いた。1970年前後らしい。

これは、例によって、作り話なのだが、そのことを白状させたのが大江健三郎。彼の『定義集』(2012年)にある。まず、上記3発目原爆発言については、森の文章として、大江に下記引かれている;

《この間、あるフランスの若い女性が尋ねて来た。〈中略〉私達はよも山の話をしていたが、やがて話は日本における生活、ことに東京の生活のことになった。〈中略〉かの女は急に頭をあげて、殆ど一人言のように言った。「第三発目の原子爆弾はまた日本の上で起り、そして進行しているのである。
 かの女がそう言ったあと、私は放心したように、大学構内の木々が日の光を浴びて輝くのを眺めてた。」》
大江健三郎『定義集』、「もうひとつの前奏曲とフーガ」

この文章について大江健三郎は森有正にインタビューする機会を得た。1972年夏。場所は国際基督教大学。時間帯は朝。森有正は同大学に集中講義にパリから来てきた。この機会は大江の東大仏文科の先輩が仲介してくれた。「毎朝六時には礼拝堂のパイプオルガンでバッハを練習されるのが先生の日課だから、その後、朝食を一緒にといってくださると日時も指定くれたのです」(同上)。

しかし、森は「逃げる」。「尋問の筋これあり」と大江がやって来ると思ったのか?

 練習は終わったけれど、チャペルの正面から先生は出て来られない。ただ、脇の武蔵野の気配の残るわずかな木立にまぎれ込むように頭を垂れた人影が立ち去って行った・・・・・・・ そのまま三十分待って私は先生の宿舎はわからぬまま引揚ましたが、自分の質問のうちに引用していた先生のエッセイが、インタビューへの気持ちを冷えさせたのか、と自責の思いが高まっていました。

その夜、森から速達が来る。大江への回答が書いあったとのこと。

先生の手紙にあったとおりに写します。
ーあれは私自身がそのような考えを持ったのであって、もしきみがフランス人の、人種的偏見というようなことを想像しているとすると、そういうことでは決してない。私の文章を読んだ編集者が、このようにあなたの考えとして書いては危険だ、という。そこで忠告にしたがったのです。

森有正は自己の脳内で日本人たちを核攻撃したことを認めたのだ。ただし、編集者に忠告されてフランス人が云ったことにしたというのは、例によって、作り話に違いない(邪推)。それにしても、なぜフランスの若い女であるのか説明はない。なぜ、中国人とか韓国人とかではないのか?それは簡単なことで、森有正の愛読者はフランス人のやることなすこと、そして言うことをありがたる人種であるに違いないからだ。そういう「需要」層を予期して受けるように書いたのであろう。

なぜ、森有正は自己の脳内で日本人たちを核攻撃したのであろうか?それは、森有正が日本が気に入らなかったである。それでは、森は日本のどういうところが気に入らなかったのだろうか?大江は下記推定している;

 その上で先生は、確かに御自身の、フランスから久しぶりに帰国した東京での日本人の生活ぶりを見て(物質的繁栄と活気を、といってもまだバブル期にはほど遠かったわけですが)感じることを書いていられたのでした。胸を掻きむしりたくなるようなことがこの日本で起こり、そして進行しているのである。

大江も指摘しているが、森が反感をもった「繁栄」日本はバブルの頃(1980年代後半)ではない。1970年である。高度成長の最末期。高校進学率だって100%ではない時代だ(ソース)。その程度の生活水準に日本人が達することが、胸を掻きむしりたくなるようなことだったのだろうか?森有正がパリに行ったのが1950年。つまりは日本国政府発給のパスポートで渡仏したわけではないのだ。Occupied Japanからの出国。1950年には戦災の焼跡も残っていただろう。それが森有正の日本の「原風景」だ。そんな焼跡残る敗残国からおさらばしたのに、20年後に帰国してみると、物質的繁栄と活気(大江の言葉)。そういう日本が許せないということか。それで、森有正は自己の脳内で日本人たちを核攻撃。精神が病んでるよね。ところで、この「脳内で日本人たちを虐殺」を具現したのが、東アジア反日武装戦線による丸の内での爆破事件である。

▼ なぜ、2012年に森有正の脳内日本人核攻撃を公開したのか?

で、大江は2012年になってこの森有正の虚偽を公開した理由が書いてる。3発目「原爆」が生じたから。もちろん、原爆、すなわち核攻撃ではなく、福島の原発事故だ。そして、大江は云っている;

森先生が憂慮された「第三発目の原爆」こそ日本の上へ落ちませんでしたが、ヒロシマ・ナガサキの原爆被害者と、今日のフクシマの原発事故による内部被曝の重荷を担わなければならない人たちと繋いで考えれば、哲学者森有正が抱いた胸を掻きむしりたくなるようなことへの思いは恐ろしい預言でした。(同上)

▲ なお、大江が森の虚偽を明らかにしたこの経緯、特に『定義集』に上記のことが記されていると知ったのは、小谷野敦博士、『江藤淳と大江健三郎』を2015年に読んでのこと。今週、図書館から借りて読んでみた。



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