ぐるっとパスという「美術館・博物館等共通入場券&割引券」というものがある。都内、78施設で使える。2000円。有効期限2カ月。
G.W.前後に都内のあちこちに行こうと思い買った。 筑波山麓にいたときも買っていた。でも1日だけ使用。そんな何度も都内に通うには交通費がかかるから。でも、逆にいうと、1日3つくらいの美術館を回るのは、ぐるっとパスを買った方が安いのだ(った)。
(数年前と比べ、あるいは、昨年度と比べ、入場券が少なくなり、ただの割引券が多くなっている。前売りと変わらない。数年前は普通に入れば1000円の入場のところが、このぐるっとパスを使うと、バンバン只だった。)
■ 先週末は、「ぐるっとパス」78施設の内、42;新宿区立 新宿歴史博物館と49;新宿区立 林芙美子記念館に行った。途中、別途、中村佐伯祐三アトリエ、中村彝アトリエの見物にもいった(両者、新宿区立で入場無料)。
▼ 42;新宿区立 新宿歴史博物館
5000年前の縄文人の全身の骨が数年前新宿区で発掘されたことの研究成果の展示。
新宿歴史博物館 特別展「新宿に縄文人現る~市谷加賀町二丁目遺跡の発見~」
(この御尊顔が復元された縄文人さまは、頭がい骨にぼこられあとがあり、それが治癒しているのである。
そして、数年前、この縄文人さまの全身人骨が発見されたとき、まず出動したのは、現行の警察である。事件性の有無の検証だ。でも、腓骨からして、どうみても縄文人、ってことで警察は手を引いた。
でも、!!!この 頭がい骨のぼこられあと、については何ら捜査が進んでいない!!!に違いない。
陥没骨折は頭頂部にあり、自然治癒していた。国立科学博物館の坂上和弘研究員(自然人類学)は「強い衝撃によって表面が円形に割れていた。脳への障害が あったかどうかは不明だが、感染症にもならず生き抜いたようだ」とみる。骨折した場所が場所のうえ、手足に骨折の痕がないことから打撃によるものの可能性 も高いという。
ソース:縄文の「濃い男」、リーダーの威信…男の顔は履歴書?)
四谷からJR目白駅に移動。中村彝アトリエ→佐伯祐三アトリエ→49;新宿区立 林芙美子記念館は、パッケージ化された周知の散歩コース。 なぞる。
出展; 落合記念館散策マップ
■ 中村彝アトリエ
■ 佐伯祐三アトリエ
アトリエ全体図:模型
愚ブログの佐伯祐三関連記事;
▼ 49;新宿区立 林芙美子記念館
私の唯一の理想は、女成金になりたいと云う事だった。(林芙美子、『放浪記』(新版))
昭和16年/1941年に林芙美子が建てた家が豪邸なので、感嘆した。「女成金」になってよかったね、と言ってあげたくなった。
なお、「放浪記」の初版には「女成金」になる理想をもって生きているとは書かれていない。つまり、「放浪記」初版が売れたあとに、後付けしたんではないか?
そして、気づいた。林芙美子のお屋敷は段丘崖/斜面に建っているのだ。下の図の中井駅の上(北)が林芙美子のお屋敷があるところ。中井駅がある面が河岸段丘でいうと沖積面で緑色の濃い面が段丘面でいうと武蔵野面。沖積面と武蔵野面は崖/斜面となっている。その崖/斜面に林芙美子のお屋敷はあるのだ。上のお屋敷の屋根は母屋より上の斜面を庭としている場所から撮影。
「放浪記」が売れて「女成金」になった林芙美子はパリに行った。当時の日本女性の「庶民」がひとりでパリに乗り込むとはすごいことなのではないだろうか?でも大丈夫。彼女は子供の頃から放浪には慣れているのだ。これをおいらは世界渡航の「原始的蓄積」と呼んでいる。「なんでもみてやろう!」なんて、林芙美子のための惹句ではないか。
林芙美子は運がいい。「放浪」家族に育った高女時代は大正デモクラシー&好景気。作家デビューを目ざしていた「放浪」時代は恐慌前で、「放浪」は深刻ではなかった。『放浪記』の出版は、恐慌の年。世間の多くが「放浪」に放り込まれた。恐慌で放浪した庶民が求めたものが、「植民地支配」と「侵略」である。政府・軍部はその「庶民」の「願い」に応えたのだ。
時流に乗る林芙美子は、この後、「なんでもみてやろう!」として、支那戦線、南方戦線に作家として、従軍。
さて、日本女性の「庶民」がひとりでパリに行く3年前、東京芸大出で、奥さんの実家が豪商だったので、パリに行っていた佐伯祐三が死んでいる。林芙美子が佐伯祐三を知っていたのか、今のおいらには、不明。 佐伯-林-落合-パリの経緯を略まとめてみた;
→ 林芙美子 年譜
楽しそうだな。 従軍任務中の林芙美子;
(太鼓鳴らして、笛吹いて、)「なんでもみてやろう!」
困難なことは、「なんでも書いてやろう!」ということだ。
彼女が、何を書かなかったのか!?(ナニカアル)
that is the question.