いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

横浜散歩:JR山手駅⇒ 根岸外国人墓地⇒ 馬の博物館・根岸森林公園⇒ エリアXゲート⇒ 根岸なつかし公園 旧柳下邸⇒ 八幡橋

2024年01月14日 15時28分03秒 | 東京・横浜

JR山手駅から、磯子1丁目まで散歩した。途中に、 根岸外国人墓地、根岸森林公園などがある。主目的は、根岸なつかし公園 旧柳下邸。今まで行ったころがなかった。磯子、根岸方面も散歩したことはない。根岸森林公園はかつて1度散歩っしたことがある。2017年9月だ(本牧台地散歩;「帰って母に聞いて、日本がアメリカに負けたことを知りました」)。このとき、エリア・ワン(area 1)も知らなかった。ただ、本牧方面にレコンキスタ案件の見物に行こうとおもい、散歩した。2017年は事前にネットで調べたりしなかった。2017年には根岸の米軍住宅をみたのだが、この域はエリア・エックス(area X)と呼ばれているは知らなかった。今回知った。

1.JR山手駅、2.根岸外人墓地、3.馬の博物館、4.旧根岸競馬場一等馬見所、5.米海軍住宅(エリアX)、6.岸根小学校裏の段丘崖の階段、7.根岸なつかし公園 旧柳下邸、8.磯子区磯子1丁目2−11(ガスト磯子店)、9.八幡橋バス停

■ 1.JR山手駅 ⇒ 2.根岸外人墓地

■ 2.根岸外人墓地

扉は閉まっていた。自分で開けて、入った。

根岸外国人墓地は、JR根岸線「山手駅」を降り、南へ坂道を登ること約100mのところにあります。
 関東大震災では、外国人も多く被害を受け、死者1,789名、負傷者2,353名、所在不明者5,251名との記録も残っています。
 根岸外国人墓地入り口脇の説明板には「現在1,200有余の外国人が埋葬され、墓碑は160基程が確認されている。」と書かれていますが、同時に「外国人船員、関東大震災罹災者及び第二次大戦後に埋葬された嬰児(幼児)など、埋葬者名が不明な者も多い。」とも記され、震災の犠牲者が何名埋葬されているかは不明ですが、ここには横浜市が建立した外国人震災慰霊碑が建っています。神奈川県 web site:根岸外国人墓地

 

墓地は本牧台地の端の段丘崖にあり、敷地は段々になっている。最上位の面からの見晴らしは、(墓地では不謹慎だが)すばらしかった。

モニュメント [片翼だけの天使の翼の像を模した慰霊碑](Google

■ ⇒ 3.馬の博物館

仲尾台公園 更新再開のお祝いをしていた。


根岸森林公園が見えた。

■ 3.馬の博物館

馬の博物館(うまのはくぶつかん)は、神奈川県横浜市中区の根岸競馬記念公苑(根岸森林公園)の敷地内にある、競馬・馬事文化の関連資料を展示した博物館である。1977年にJRAにより開館。

同公苑は、日本で初めての近代洋式競馬が行われ、1866年に誕生した横浜競馬場(根岸競馬場)を記念して建てられたもので、この施設では横浜競馬場の関係資料や、競馬競走の成り立ち、馬と人間の文化関係、馬の体の仕組みや習性などを収蔵資料や模型などで多角的に紹介している。wiki

馬の博物館は2017年に来たことがあった。ただし、何か特別なことをやっていたらしく、本物の馬がいた(下画像)。招待がない人は入れないといわれ、博物館の中を見ることはできなかった。2024年1月28日をもってしばらくの間休館するとのこと。長期休暇の前に博物館に入ることができた。

2017年

馬の博物館の入口から旧根岸競馬場一等馬見所の上半分が見える

フィナーレ展 「うまはく所蔵優品選」をやっていた。

 
「三彩女子騎馬俑」(左) 「埴輪馬」

■ ⇒ 4.旧根岸競馬場一等馬見所

■ 4.旧根岸競馬場一等馬見所

wikipeia 横浜競馬場

■ ⇒ 根岸米軍住宅、エリアX

根岸住宅地区:

管理:在日米海軍横須賀基地司令部

米軍人、軍属及びその家族が居住し、管理事務所、教会、宿舎、中央公共施設(図書館、銀行、郵便局等)、診療所等が所在していましたが、平成27年12月にすべての居住者が退去しています。

なお、現在も在日米海軍司令部統合消防隊第5消防署は存続しており、在日米海軍横須賀基地司令部憲兵隊が交代制により立哨業務及び警備巡回を行っています。

また、米軍施設・区域に囲まれた土地に横浜市民の方々が居住しており、日常生活上の様々な制約を受けています。

横浜市 web site

ネット情報によると、すでに2023年中に米軍住宅は解体されているとのこと(google)。
上の画像で、瓦礫の山が見える。

 

左上から時計回りに地形凹凸図、1945-1950年航空写真、現在の航空写真、1974-1978年航空写真。

敗戦後、耕地であった域が米軍住宅になったとわかる。米軍住宅域ないに緑に覆われた小山が見える。下図参照。これは、神奈川・米軍根岸住宅地にある「日本人」住宅

「この家は船具商だった祖父母が別宅として建てた家なんです」と、みどりさんは説明する。1951年にこの家で生まれ、ずっとここで暮らしてきたという。みどりさんが生まれたとき、すでに自宅の周囲は米軍施設に囲まれていた。接収が行なわれたのは47年だが、当時10軒が徴用を免れたそうだ。ただし当時の記録がないため、なぜ取り残されたのかはわからない。(上リンクより)

終戦後の日米間の国力の差は歴然としており、「基地の中は高級車ばかりでした」と、みどりさんはふり返る。根岸住宅地には上級士官とその家族しかいなかった。日本人がようやく自転車を手にしたとき、基地内の駐車場には米国製のキャデラックやムスタングが並んでいた。この住宅地の近くに実家がある実さんも、当時の様子をよく覚えていると言う。みどりさんが中学校を卒業する頃まで、米軍将校たちの家々にはメイドやボーイとして働く日本人の姿があった。敷地内に彼らの独身寮があり、そこから毎日通勤していたのだ。米兵と結婚した日本人女性たちも暮らしており、基地内で日本人を見かけることは珍しくはなかった。


赤線内が米軍接収、現在も未返還区域。

星条旗新聞:‘Things don’t last forever:’ College student documents demolition of US Navy housing complex in Japan

■ ⇒ 6.岸根小学校裏の段丘崖の階段

■ 7.根岸なつかし公園 旧柳下邸



横浜市指定有形文化財[根岸なつかし公園 旧柳下邸]横浜市 web site

外観の見どころ

建物は東館、西館、洋館、蔵から構成されています。洋館の屋根は規模は小さいですが、周辺の町並みからは突出した高さを持っていることから、近隣のランドマーク的存在となっています。

東館、西館の屋根は「むくり」を持たせた入母屋造りの和瓦葺きです。東館は棟の向きが直交しているため、4つの入母屋屋根の複雑な構成になっています。

洋館の屋根にはフランス瓦が葺かれていて、ドーマー窓、銅の棟飾りがついています。(横浜市 web site)

■ ⇒ 8.磯子区磯子1丁目2−11(ガスト磯子店)


掘割川

堀割川(ほりわりがわ)は、神奈川県横浜市南区から磯子区を流れ、根岸湾に注ぐ流域全長2700mの二級河川。大岡川の分流である。明治時代に作られた運河(人工河川)で、横浜港発展に大きな役割を果たした。wiki

 

ガストとバーミアンが並んでいる。しばしば見る風景だ。すかいらーくグループの<まとめ賃借り>策なのだろう。


ガスト、味噌カツ丼味噌汁・漬物付き

■ 9.八幡橋バス停


八幡橋交差点横断歩道

八幡橋バス停から桜木町行きバスに乗り、伊勢佐木町に向かう。

▼ 伊勢佐木町 イセザキ・モール

▼ 有隣堂本店

有隣堂本店にお参りした。初めて来た。売り場面積の広さの割には展示冊数は多くないと感じた。高密度感はない。

■ まとめ 散歩通過街

横浜市 中区 仲尾台、豆口台、滝之上、根岸台、簑沢、寺久保

磯子区 西町、下町、原町、中浜町、磯子

↓ バス

中区 伊勢佐木町

 

 

 

 

 

 



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